書名 | <聖徳太子>の誕生 |
著者名 | 大山誠一 |
出版社・出版年 | 吉川弘文館・1999年 |
内容・目次 | 問題提起 聖徳太子は実在したか 虚構の成立 聖徳太子関係史料の検討 素朴な疑問 法隆寺系史料 『日本書紀』 <聖徳太子>への道のり 『古事記』と『日本書紀』 <聖徳太子>誕生の時代背景 聖徳太子信仰の成立 不比等の悲願 道慈の思惑 長屋王の幻想 聖徳太子信仰の変容 長屋王の変 災異発生 光明皇后の願い 関連年表 あとがき |
解説 | 聖徳太子に関係する史料を一つ一つ検討した結果その主なものである法隆寺に伝わるものは すべて740年代になって成立したものである事を論証し、このことを基礎として聖徳太子架空論 を著者は立て、その「犯人は藤原不比等」というのが著者の論である。注目すべき論ではあるが、 一つ一つの論証を検討すると、単に先人の説を無批判に下敷きにしたものが多く、近年の学問の 研究成果や論争を無視した面が多い。 その第1は「藤原氏中心史観」。河内氏の「古代政治史における天皇制の論理」の発表以来、天 皇家を中心に政治史を見る視点が確立し、そこから藤原氏とは直系皇統をつたえるために天皇家 によって選ばれた氏族という認識が成立した。著者はこの研究動向を全く無視し、「造作」の主体を 皇太子首皇子(後の聖武天皇)を天皇位につけるために、皇太子の権威を確立するために皇太子 としての初見である聖徳太子を高く評価するために造作したと論じている。しかし河内氏以来の認 識を基礎にすればこの造作の主体は首皇子を天皇にし、天武の直系皇統を草壁・文武・聖武へと 独占しようとした持統天皇・元明・元正の3代の天皇にこそ置かねばならないと思う。 また第2にその動機を「皇太子の権威」を確立するためとしているが、そのように矮小化するので はなく、日本書紀の編纂意図である「大和王権こそ日本の中心王朝」というテーゼを歴史敵に確立 するという意図のもとに、中心王朝であった九州王朝の史書からその最盛期の王である上宮法皇 の遺蹟を同名の上宮に居住した廐戸皇子に仮託したとする古田武彦の説の方がより説得的である。 なぜなら当時の貴族の多くは天武自身が九州王朝の一王族として「真人」の位をもった貴族にす ぎなかったことを知っており、2代続けて王族の母を持たない王(父母ともに天皇または天皇の子で あることが皇位継承の条件)である文武・聖武の正統制が疑われていたからである。 |
値段 | 1700円 |