「亀井の城」について
                                                        亀井城班


1.はじめに 

 上麻生の亀井に,「亀井城」があったという事を皆さんは知っていましたか?。

 僕達は,こんな身近に城があったことに大変興味をもったので,調べてみました。

2.亀井城とは?  

 ○場所−−−−−−−−麻生区上麻生,亀井。

 ○城主−−−−−−−−亀井 六郎(鈴木 重清)といわれている。

 ○作られた時代−−−−平安時代末期といわれている。

 ○土地の形−−−−−−台地。                                  

2.亀井 六郎とは?

 亀井城を作ったのは,源 義経の四天王の一人,「亀井 六郎」という人が建てたといわれています。では亀井氏とはどのような武士なのでしょう

か。

 亀井氏は,もと紀伊の国の神官であった豪族で,もとの名は鈴木氏といいました。それが,重清の時に,紀伊亀井に住んだので,これを氏としまし

た。       

 戦国時代に出雲に移って尼子氏の臣となり,尼子氏の滅亡後,茲矩は織田信長・豊臣秀吉に仕え,因幡鹿野城主となりました。関が原の闘いで

は,徳川氏に属し,1617年(元和8年)政矩は,石見津和野に移り,津和野藩主(4万3千石)として幕末に至りました。

☆亀井氏の系図☆

 亀井六郎(重清)−−盛清−−−重春−−−重永−−−資重−−−為重−−−重徳    
                                                  ↓
              重貞−−−重則−−−重高−−−重信−−−重村−−−重宗
               ↓
               秀綱−−−茲矩

3.亀井城について 

 『新編武蔵風土記槁』には,上麻生村の小名として「亀井」をあげ,「村の東をいへり。亀井と云人居住せしより,かくよべりともいへり」とあります。

 伝承地は 鶴見川に向かって南に張り出した台地の一帯で,その東端に月読神社があります。境内に建つ碑文には『当社は,約四百五十年前,

武蔵国都筑郡麻生郷の領主,小島佐渡守が,うち続く応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため,天文3年(1534) 9月29日,亀井城の卯の方(東)に

社殿を建立』と記されています。

 なお,小島佐渡守の末裔20代目にあたる小島辰郎氏が台地の南麓に居住し,豊臣秀吉の制札を伝えもっているといいます。しかし,小島氏の由

緒は,明らかではありません。

〔亀井城の位置〕 

4.おわりに

 今回調べられた事は以上の通りです。亀井城については,伝承地はあっても,ここにたしかに平安時代末期の城があったという資料はありません

し,城主が亀井六郎だというのも伝説であって,確かなことではありません。また,この亀井六郎についても,どんな人だったのか資料があまりなく

て,よく分かりませんでした。

 結局集められたのは,亀井城についての「伝説」だけでした。これからの調査でもっとたしかな事が言えるようにしたいと思っています。


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