★地域史の研究★
14.3.30更新
生徒たちと部活動を通じて研究した地域の歴史の研究成果を載せてあります
地域史研究は授業を展開する上で不可欠のものです。
二子神社の謎の石塔 | 91年春から2年間の調査。学区の二子神社にある武田家の家紋 を持った「念仏供養塔」の成立の謎に迫った。 |
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作延城の謎 | 93年春から3年間の調査。学区の緑ケ丘霊園にあったという作延 城を江戸時代の記録と1965年に破壊される前の目撃証言によって 復元し、その時代と城主を推定した。 |
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忘れられた二ヶ領用水の支流 | 96年春から3年間、学区内の暗渠やどぶとなった江戸時代の支流 を江戸時代の絵地図・明治時代の地図・現在の地図を比べながら 一つ一つ歩いた記録。 |
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古墳時代の柿生ー柿生の横穴古墳の特色ー | 1981年の連合文化祭社会科発表会で発表。1978年の創部以来の調査結果に基づき川崎市麻生区の「柿生」地区に存在する33基の横穴古墳の実態を詳述し、その特色と成立年代を推定した。 |
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古墳から奈良時代の柿生NEW!01.1.3 | 1983年刊。「うれ柿第35号」所収。先人の発掘調査と考古学研究部の調査に基づき、古墳時代から奈良時代の柿生地区の特色をまとたもの。 | ||||
鎌倉武士の墓に使われた横穴古墳NEW!01.1.4 | 1984年刊。「うれ柿第36号」所收。横穴古墳の奥壁に「南無・・・」「永仁六・・・」の文字が彫られ、鎌倉時代に「やぐら」として再利用された可能性の強い墓について、専門家の論文をもとに紹介。 | ||||
あしあと1号@ | 発刊にあたってNEW!02.1.03 | 1986年3月刊。「あしあと第1号」所収。 | |||
あしあと1号A | 「王禅寺伝説」の解読NEW!02.1.03 | 麻生区の古刹王禅寺に伝わる3つの伝説。「夢の御告げ伝説」「弘法大師伝説」「四つの塚伝説」について紹介し、その解明を試みた。 | |||
あしあと1号B | 昔の人の食べ物NEW!02.1.07 | 縄文時代から江戸時代までの食べ物を調べてみた。 | |||
あしあと1号C | 麻生不動についてNEW!02.1.07 | 学区の古刹麻生不動尊のいわれについて紹介。 | |||
あしあと1号D | 「亀井の城」についてNEW!02.1.07 | 麻生台団地の南の丘にあったという「亀井城」のいわれについて紹介。 | |||
「王禅寺伝説」の解読NEW!01.1.4 | 1986年刊。「うれ柿第37号」所收。あしあと第1号所收論文のダイジェスト版。 | ||||
あしあと2号@ | 第2号発刊にあたってNEW!02.1.12 | 1987年刊。「あしあと第2号」所收。 | |||
あしあと2号A | 「幻の観音像」ー王禅寺伝説の解読(その2)−NEW!02.1.05 | 1986年連合文化祭社会科発表会で発表。王禅寺開闢の伝説である「夢の御告げ伝説」を柿生地区の考古学資料を元に推理し、伝説の黄金の観音象は現在の観音像の胎内にありとの説をうちたてた。 | |||
あしあと2号B | なぜ王禅寺には「無空上人伝説」しか残っていないのかー王禅寺伝説の解読(その3)−NEW!02.1.06 | 「幻の観音像」の考察を基にして、現在の王禅寺の開闢伝説である「無空上人」伝説について検証したもの。部員鶴井 和の論考。 | |||
あしあと2号C | 麻生不動尊は誰が作ったのかNEW!02.1.12 | 麻生不動尊の開闢の謎にせまる。 | |||
あしあと2号D | 「亀井城」の謎(その1)NEW!02.1.12 | 亀井城は義経の家臣亀井六郎重清のものとの説を紹介。あわせて亀井城あとの実地調査の記録も所收。 | |||
「幻の観音像」ー王禅寺伝説についての一仮説ー NEW!01.1.06 | 1987年刊。「うれ柿第39号」所收。あしあと第2号所收論文のダイジェスト版。 | ||||
あしあと3号@ | 第3号発行にあたってNEW!02.1.13 | 1990年刊。87年から89年までの3年間の亀井城についての調査・研究をまとめたもの。 | |||
あしあと3号A「亀井城」の謎(その2) | はじめにNEW!02.1.13 | 今までの研究の流れを概観。 | |||
1.鈴木氏と佐々木氏NEW!02.1.13 | 亀井六郎重清の出自についての二つの説を検討。 | ||||
2.義経記に出てくる主な家来NEW!02.1.13 | 義経の主な家来の出自を検討する事で亀井六郎の出自にせまる。 | ||||
3.亀井住宅の謎の平地NEW!02.1.14 | 亀井城あとの斜面に残る「謎の平地」実測。 | ||||
4.多摩丘陵の城の特徴の変遷NEW!02.1.27 | 多摩丘陵の城の特徴の変遷をまとめ、亀井住宅の斜面の平地の性格を検討し、「亀井城」の年代を推定する。 | ||||
5.龜井城はだれのものかNEW!02.1.27 | 部員佐藤康人の論考。3・4の論考をもとに亀井城=小嶋佐渡守の城説を展開。 | ||||
まとめ NEW!02.1.27 | 今後の研究課題を提示。 | ||||
あしあと4号@ | 第4号発行にあたってNEW!02.2.03 | 1994年刊。柿生中考古学研究部が1989年に廃部となって以後、当時の生徒と元顧問の私とによる共同追加研究の成果を載せる。 | |||
あしあと4号A「亀井城」の謎(その3) | はじめにNEW!02.2.03 | 今までの研究の流れを概観。部員佐藤康人のまとめ。 | |||
亀井城は誰の城か(その2) | 部員佐藤康人の論考。今までの研究を集大成し、さまざまな証拠から「亀井城」は戦国時代の武将小嶋佐渡守の築造を証明した。 |
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亀井城はなぜ築かれた | 部員佐藤康人の論考。麻生地区の歴史的由来を検証し、その戦略上の性格から、なぜこの地に城が築かれたのかを論証。 |
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亀井六郎重清と佐々木六郎厳秀は同一人物?NEW!02.2.11 | 顧問川瀬の論考。今までの研究を集大成し、亀井六郎重清は佐々木六郎厳秀と同一人物である可能性について論証。 | ||||
亀井六郎と柿生の鈴木氏の間には関わりがあるか?NEW!04.9.16 | 部員保科秀幸の論考。柿生の鈴木氏の歴史を踏まえて検証。 | ||||
亀井六郎は本当に鈴木氏の出自か?NEW!04.9.16 | 部員佐藤康人の論考。 亀井六郎についての諸説を検証。 |
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あしあと4号B | 研究のまとめNEW!04.9.16 | 考古学研究部の十数年の研究の歴史をたどり、研究の成果と残された研究課題をまとめる。 |
弥生末〜古墳時代編3〜6世紀 1995.2実施 |
長尾の山に存在する弥生時代の環濠集落と弥生の王墓方形周溝墓群・初期古墳の関係を論じたもの。NEW!14,3,30 | |
古墳時代後半から奈良・平安時代初 1995.9実施 |
長尾の山および津田山に散在する横穴古墳の性格を武蔵国造の内乱との関係で論じたもの。NEW!14.3.30 | |
威光寺と稲毛三郎重成 1996.2実施 |
長尾妙楽寺の薬師如来の脇持日光菩薩像の胎内文書を手がかりに長尾山威光寺の建立者として稲毛三郎重成を想定した。NEW!14.3.30 | |
威光寺と太田渋子郷〜中世の長尾はどのような村だったか〜 1996.9実施 |
長尾妙楽寺の薬師如来の脇持日光菩薩像の胎内文書と佐々木家所領文書の関係を論じた専門家も論文を基に、この地域で多く発見される板碑との関係を考察し、中世長尾像を構築。NEW!14.3.30 | |
豊臣秀吉の禁制と長尾〜戦国時代とはどのような時代か?〜 1997.2実施 |
長尾の鈴木家に伝わる秀吉の禁制木札を読み解き、その背景となる戦国時代と村の暮らしを考える。NEW!14.3.30 | |
二ヶ領用水と街道の建設〜江戸時代(1)〜 1997.9実施 |
二ヶ領用水の建設による石高の増加の様子と江戸時代の街道の網の中での、江戸時代の長尾の様子をさぐる。NEW!14.3.30 | |
江戸時代資料に見る長尾〜江戸時代(2)〜 1998.2実施 |
新編武蔵風土記稿と江戸名所図会に見る、江戸時代長尾を様子を概観。NEW!14.3.30 | |
人々の暮らしと信仰〜江戸時代(3)〜 1998.9実施 |
長尾の山根家に伝わる「年中行事書上げ」と綱下げの松由来騒動を手がかりに、江戸時代後期の村人の暮らしと信仰のさまを描く。NEW!14,3,30 | |
江戸末から明治初の学校教育 1999.3実施 |
明治初期における川崎市内の小学校設立状況を手がかりにして、江戸時代末〜明治初期の学校教育の様子と、そこにあらわされた人々の考え方を考察。NEW!14.3.30 | |
明治時代 1999.9実施 |
自由民権運動とその活動家井田文三を通じて、明治初期の人々の考え方を考察する。NEW!14.3.30 | |
明治・大正・昭和 2000.2実施 |
明治末から昭和初期までの川崎市域の発展のさまを振り返りながら、長尾のその後の様子を概観する。NEW!14.3.30 |