「麻生不動について」 
                                                                 不動尊班 


   

1.はじめに 

 皆さんも,「だるま市」を御存知と思います。私達は,その年中行事である「だるま市」の調査を実行しました。そして最も関係の深い「不動明王」に

重点をおいて,この文化祭のために頑張ってきました。

2.不動尊(不動明王)とは?

 五大明王,八大明王の1つ。語源はサンスクリット語(梵語)のAcala(アチャラ)で,「阿庶羅」とも書き,「不動尊」「無動尊」「不動使者」などとも訳し

ます。仏の教えを受け,仏教の障壁を取り除く神格です。このため怒りの姿をし,全ての穢れを焼き払う火を背負い,右手には迷いと悪魔を断ち切

る剣を持ち,左手には人を引き寄せる縄を持っています。

 インドにおける不動明王像の遺例は,一つも発見されていないが,12・13世紀の密教修行書「サーダナーマーラー」には,「チャンダローシャナ」と

も呼ばれる不動の形が説かれています。

 中国・中央アジアに遺例が多く,日本では,和歌山県高野山南蔵院「波切不動」,同じく高野山明王院の「赤不動」(以上重要文化財),京都府青

蓮院の「青不動」(国宝),醍醐寺の快慶作の「不動明王像」(重要文化財),滋賀県園城寺の「黄不動」(国宝)など,名品といわれる遺作の数が極

めて多い。

◎不動尊の原名→「アチャラ=ナータ」→語尾が上がる発音〜「山の神」全般。
                 ↓
          語尾が下がる発音〜「不動尊」のみ。

    

○日本における不動尊信仰は,弘法大師空海(774〜835 年) によって中国よりもたらされました。

○不動尊は,宗派を越えて幅広く信仰されています。

○正式には不動尊と呼ぶべきであり,不動明王という呼び方は,不適当という意見 もあります。なぜなら,弘法大師は終始一貫して不動尊と記さ

 れているからです。                                      

3.麻生不動について 

  

・明王山不動院般若坊という。

・別名  木賊(トクサ)不動ともいう。

 縁起によると,鎌倉覚園寺開山・開基・願行上人が不動尊三体を作り,一体は自坊に,他の二体を相模の大山(雨降山)と武州麻生郷不動院に

安置したといいます。 嘉永4年(1851)に僧了円が再興につとめ,柿生の王禅寺の管理下になって一層繁栄し,1月28日の不動の日には,北は津

久井郡城山から,南は東海道川崎宿からも参詣にきたといいます。

 本堂左手の祠には,本尊にちなんだ大きな不動様の石像があり,「南無木賊不動明王 寛保2年7月11日」(1742)と刻まれ,祠の前にはトクサが

植えてあります。                                     

@ 木賊不動ともいわれた訳は?

 伝説では,昔,ある村人が木賊ヶ原でトクサを刈っていると,八寸程の不動尊が見つかった。これが麻生不動の本尊で,良弁作といい,以来木賊

不動の名がつき,火伏せの神とされています。

 注1.木賊〜とくさ科の常緑多年生植物。茎は直立していて,30p〜1mで円筒形。中はからで,堅くてざらつき,物をみがくのに用いる。

 注2.とくさヶ原〜昔,亀井城から不動院にかけてとくさヶ原といって,とくさがたくさん生えていた。

A 麻生不動の御利益は?

 <「火伏せの神」>

 不動の縁日は1月28日です。参詣者は,火伏せの利益のあるという銭をいただいて帰り,それをいろりの自在鉤にかけておくと,子供が炉に落ち

ない,また,火事にもならないとされています。1年間無事に過ごせた時は,昨年いただいた穴あき銭にお礼のお金をそえて返し,新しい火伏せの

銭をいただきます。この風俗は,囲炉裏のなくなった現在もつづけられています。

 <「見合い不動」>

 良縁結びの御利益があります。 

 現在においては,家内安全・交通安全,全ての神にもなっています。     

B麻生不動が下麻生にあって,王禅寺の所有になっている訳は?

 むかし,柿生村は貧乏でした。自分の家の生活も自給自足で,それでも生活は苦しかったそうです。そんな時期だけに,寺・神社・不動院の維持

には大変でした。 本来下麻生にある不動院が王禅寺のものになったのは,不動院を下麻生が管理・維持ができなくなって,山二山・酒一升をもっ

て王禅寺に維持・管理をお願いしたためだそうです。

4.おわりに 

 私達考古学部不動尊班は,この調査を通じて,より多くの人々に「不動明王」を知ってもらうことをモットーに調査を進めてきました。

 今回調べられたのは,以上です。麻生図書館に通ったり,土地の方達にたづねてまわったりして調べました。でも今回調べられたのは,「このよう

な言い伝えがある」という範囲まででした。この言い伝えが,どの程度真実なのかは,これからの調査課題となると思います。これからも続けて調査

していきたいと思います。

 また,皆さんも,暇な機会がありましたら,麻生不動院まで行ってみてはどうでしょうか。


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