第2号発行にあたって
                                                             考古学研究部顧問 川瀬  健一 


 昨年の3月に,考古学研究部機関誌「あしあと」第1号を発行してから,1年たちました。

 この1年間は,一昨年の文化祭で発表した事を,より深める作業に没頭しました。しかし,この作業は,非常にたいへんなものでした。なぜならば,

3つの研究テーマそれぞれが,どれもはっきりとした確かな資料を見つける事ができなかったからです。

 「王禅寺伝説」については,11月の連合文化祭の社会科生徒研究発表会で発表する事になっていたので,とりわけ大変でした。

 私たちが「夢のお告げ伝説」と名付けたものが,いったいどのような史料にもとづいているのか。一昨年の文化祭の時には,小塚光治氏の「川崎

史話」からの孫引きの状態でした。この伝説をしるした歴史的な文書はないのか。これが,一番大きな問題でした。もう一つは,1寸8分の金製の

観音像の実例を探すことでした。金製の小観音像を持っているという寺に手紙をだして,資料を送ってくれるように以来したりしました。でも,全く返

事は返ってきませんでした。そんな時に思い出したのが,昨年の4月に山口県で,手のひらに乗る程小さい金製の仏像が見つかったということが,

テレビで報道されていたことでした。さっそく調べてみたのですが,結局分からずじまい。文化祭をやる10月になっても,この2点の解決のめどは全く

立っていませんでした。

 その時幸運なことに,百合ヶ丘のタウン誌に,もと東柿生小学校の校長先生がお書きになった「麻生の歴史」が連載され,その中で,『閻浮檀金聖

観音略縁起』が神奈川県史に納められていることが紹介されていました。さっそく図書室で資料をさがし,これに基づいて自分達の意見をまとめた

のが,文化祭もあと2週間というころでした。

 「麻生不動尊」についても資料がなく,昨年の夏休み前に,皆で,大山不動にでかけて,「大山縁起」についての資料を手にいれました。しかし,こ

れ以外の資料がなく,鉄仏についての研究書も見つからず,麻生不動を見る事も出来ない中で,とにかく考えをまとめたというのが実態です。

 「亀井城」も同様で,今だに,「亀井城」が亀井六郎の城だとする伝説がいつごろからあったのかについてすら,確実な資料がない状態です。

 このような状態でなされた研究成果を今回,機関誌第2号として発行するにあたり,正確を期するために,顧問よりの補足として,これらの研究の

不充分な点はどこかについて,それぞれの文章の途中・または末尾に注を入れておきました。拙い内容ですが,読んでいただいて,御批判・御意見

を寄せていただければ幸いです。                                        

○考古学研究部・部員・班員名簿 

 @王禅寺伝説班  ◎讃岐 賢一(3)・大矢 夏目(3)・鶴井  和(3)・林 正弘(2)
              上田 卓矢(2)

 A不動尊班     ◎青山 寛文(3)・鈴木 勇二(3)・臼井 宗胤(2)・柏木 茂(2)

 B亀井城班     ◎小島 基樹(3)・土屋 興司(3)・伊藤 悟(2)・横山 寛樹(2)
              押井 謙一(2)

 ○考古学研究部顧問     川瀬 健一


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