第3号発行にあたって

                                                          考古学研究部前顧問   川瀬 健一


○「あしあと」第3号は、1987年4月から88年3月までの研究活動の成果をまとめたものです。しかし、発行が当初の予定であった88年3月を大

 幅に遅れてしまい、2年5ヶ月後の90年8月となってしまいました。

  88年3月に顧問の突然の転勤という事態のため、ほぼ構想もまとまり、原稿の元もできていたのですが、転勤のあわただしさの中で、原稿を推

 敲し発行にこぎつけることができませんでした。

  顧問の転勤で存続のあやぶまれた考古学研究部でしたが、その後の2年間は、松永・飯塚両先生のおかげで、研究活動を続けていくことができ

 ました。ここに、両先生にあつくお礼いたします。

○88年にはまだ一年生であった部員たちも、90年3月には無事卒業し、ここに柿生中考古学研究部の活動は、終了しました。

  77年12月の麻生台横穴古墳群の発見と発掘調査をきっかけとして、それまでの「歴史研究部」が改称され、考古学研究部に生まれかわり、以

 後、柿生地区の歴史研究を考古学的資料に基づいて進めてきました。

  これ以後の研究活動として、一応の成果を得たものは、以下のとうりです。

 @柿生地区の横穴古墳の分布調査・・・・・・・・・・・78年から85年まで。

 A王禅寺伝説の解読・・・・・・・・・・・・・・・・・84年から87年まで。

 B麻生不動尊の謎の解読・・・・・・・・・・・・・・・85年から87年まで。

 C亀井城の伝説の解読・・・・・・・・・・・・・・・・85年から90年まで。

 D昔の人の食べ物について・・・・・・・・・・・・・・84年から87年まで。  

○「あしあと」第3号は、亀井城の謎について、集中して研究した結果をまとめました。 

  85年から87までの研究成果をもとに、87年から88年にかけて、おもに一年生の部員だけで研究をすすめました。

  この年の研究の特徴は、従来の文献のみにたよっていた研究を、亀井住宅南の「城郭」遺構の実地調査と他の城との比較研究に踏み込んだこ

 とです。城の考古学的調査に基づいて研究する方向です。

○88年4月以降も、部員たちの手で、亀井城の謎についての研究が続行されました。

 また、上記の研究分野についても、まだまだ、まとめきれていない部分が多々あります。 柿生地区の歴史について10年以上にわたって行われ

 た調査。この過程で分かったことや分からなかったこと。きちんとまとめて、柿生の歴史に関心のある人々にも分かるようにする必要を感じていま

 す。(第4号として88年以後の研究はまとめる予定です)


地域史へ HPTOPへ 次を見る