3:今なぜ憲法改正なのか?


 これはいくつかの要因があります。

 一つは、冷戦構造の崩壊により、約50年封印されてきた民族独立の動きが加速し、国際資本主義体制が崩れそうなこと。

 もう一つはこれと関連しますが、「永久に成長し続ける資本主義」の神話がほころび始め、各国の国内がきな臭い状態になっている事の2つがあ

げられます。

@冷戦構造の崩壊

 冷戦構造とは、その表面上の対立的性格とは裏腹に、事実は、米ソの平和共存と共同での世界秩序の固定化のシステムであったということが一

般には忘れられています。

 たしかに、1949年の中華人民共和国の成立によって当初は対立的様相が強かったのですが、もともとソ連邦の国家官僚たちは「社会主義革

命」が広がる事には利益を感じては居らず、むしろそれが停滞し消え入りそうになっている状況を基礎に彼らはソ連の権力を簒奪したもの達ですか

ら、「社会主義革命」の進展を抑止する事に利益を見出しています。その意味で、ソ連の国家官僚たちは、アメリカを筆頭とする国際資本主義と利

害関係を同じくしていました。

 ですから、当初中国共産党指導部が、ソ連邦の中国革命を止めようとする圧力を乗り越えて革命を進展させたときは、「社会主義の祖国」を標榜

してきたソ連としては中国革命を支持せざるをえませんでした。しかし、1950年代後半に中国がソ連と路線対立を起こし、アジアや日本などで社会

主義革命が成功せず、アジア規模の社会主義合衆国の実現の可能性もなくなり、そのうえソ連技術者の引き揚げによって中国が社会主義への道

をたたれ、ソ連と同じく国家官僚によって歪められた国となり、革命がこれ以上進展しない事がわかると、ソ連の国家官僚は、アメリカとの協調の路

線に復帰しました。 

 その後、同じくソ連の革命を止めようとする圧力を乗り越えて、1955年にベトナム共産党が、そして1960年にキューバ共産主義者同盟が社会

主義革命を達成したとき、またしても、ソ連を先頭とする「社会主義陣営」とアメリカを筆頭とする「資本主義陣営」の対立が極限に行くかに見えまし

た。

 でもこの2つの事例においても、それ以上の社会主義革命の広がりがなく、ソ連による援助も絶たれた中でベトナム・キューバの両共産党が革

命の進展をとめ、国家官僚が権力を握った歪んだ国になるとともに、この対立は解消しました。

 いわゆる平和共存の体制です。

 冷戦と平和共存は、別物ではなく、一つ物の裏と表の関係です。

 ソ連は、発展する旧植民地の民族独立運動の中で、社会主義へと進もうとするものをその圧力で押し留め、アメリカは旧植民地諸国に膨大な経

済軍事援助をあたえることで、旧植民地において資本主義的開発を進め、その国が社会主義革命へと進み国際資本主義体制から離脱する事を防

ぐと言う、協力分担関係で現状の固定化を図ったのです。

 ですから、この体制が安泰な限りにおいて、日本の再軍備と海外派兵は、必要ではないのです。

 自衛隊が出来て行く過程は、この米ソの共存体制が社会主義革命の広がりの中で不安定となって、各地で民族独立・社会主義の動きが激化して

行く過程でもありました。アメリカ単独では抑えきれずに、日本の再登場が求められたのです。

 ですがこの動きが、1960年のインドネシア共産党に対する大弾圧で押しとどめられて以後、アジアの旧植民地諸国において資本主義的な高度

経済成長が起こり、資本主義体制の一員として発展していくことが確実と成ると、日本の再軍備は自衛隊を作っただけで、憲法の改正には行かず

に中間的に止まったのです。

 アジアの植民地解放運動を、資本主義の枠内に留める事がアメリカの経済力のみで可能となったのですから、これを乗り越える少数の国には、ア

メリカ軍の抑止力とソ連の抑止力の発動で十分であり、自衛隊が海外に進出する必要はなかったのです。

 しかし、ソ連邦の崩壊によりこの民族独立を抑えていた一方の体制が崩れ、同時期に国際資本主義体制の戦後続いた高度経済成長が止まり、

「永遠に発展する資本主義」の神話が壊れそうに成ると、各地で50年封印されてきた民族対立運動が激化し、へたをすると国際資本主義体制がこ

われる危険性すらが出てきたのです。

 1980年代後半から各地で民族紛争が激発した事は、その現れです。しかも、同じ「社会主義」の国であるベトナムとカンボジアとが戦争を始める

という形、そして「社会主義」の国のユーゴで内戦が起こるという形をもとって、この民族紛争が激発し、ソ連の崩壊ともあいまって、アメリカ一国の抑

止力では手におえなくなったのです。(経済の高度成長が止まったのですから、アメリカ一国で世界の憲兵の役割を引き受ける経済的余力は、アメ

リカにはないということです。)

 だからこそ、1950年の朝鮮戦争における「多国籍軍」という形が湾岸戦争で復活をとげ、アメリカ・ヨーロッパ、そして日本という、資本主義の発

達した国々の共同という形で、「国際紛争」を処理する必要が出てきたのです。 しかも1950年には、この多国籍軍に「国連軍」という形を与え、

「正義」を引き寄せる事が可能であったのですが、国連に多くの発展途上国が加盟し、これらの国々が少なからず、アメリカ・ヨーロッパ・日本という

「先進国クラブ」に敵意を抱いている現状では、「国連軍」という形すら取ることができず、この闘いでは、「正義」という錦の御旗を引き寄せる事も

できなくなりました。もはや、剥き出しの「利権保持」の戦争になったのです。

 アメリカは衰えたりとはいえ、依然として卓越した軍事・経済力により、この闘いを先導してはいますが、共同利害を持つ日本やヨーロッパにも「応

分の負担」を要求しています。それも湾岸戦争の時は、『多国籍軍』という名の、実質は米英軍ですませ、日本を始めとするその他の国は、経済的

負担ですみましたが、紛争があちこちで続くとともにそれではたりず、ユーゴ内戦では実質「EU軍」である「NATO軍」という形で、アメリカは、ヨーロ

ッパ各国をも戦争に引きずりこみ始めました。

 ここに日本に対して、自衛隊の海外出兵が要請され、憲法改正により「日本軍」が「憲兵」の役割を果たす事が要請される所以があります。

 (そのAに続く)


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