黄金の島・ジパング4時間目あこがれのヨーロッパ
さて今日は、ヨーロッパ人が日本にやってきたとき、日本人はどんな対応をしたかを見ておこう。最初に資料集74・75ページの屏風絵を開けてくだ
さい。
これはある時やってきたヨーロッパ人の一行を描いた屏風絵です。真中に大きな日傘をさしているのがこの一団の司令官。そのうしろの人たちが
乗組員です。良く見るとヨーロッパ人ではない人も含まれているね。
「黒人がいます」 そう。この人は何ですか。「奴隷です」 そうだね。ヨーロッパ人たちの奴隷として使われているわけだ。ところでこの一行はトラや犬
や馬も運んできたね。このトラなんかどうするんだろう。
「皮をはいで売るんじゃないの?」「いや、日本のえらい人に贈り物にするんだよ」「そうかな。この絵の中にトラの皮を売ってる店があるよ」「あっほん
とだ」「でもこれはわざわざ折に入れて持ってきたんだからきっと贈り物だよ」
そう。トラは日本にはいない動物だから贈り物かもしれないね。ところで、トラを日本のえらい人に贈ってどうするのかな?。
「貿易したいって頼むんじゃないかな」 なるほど。じゃ、そのえらい人って誰かな。「大名」「将軍」「天皇」 これっていつごろの話しだっけ。教科書の
年表で、ヨーロッパ人がはじめて日本に来たのはいつか調べてみよう。
「1543年。ポルトガル人が鉄砲を伝えるとあります」「南蛮貿易開始ってあるよ」「1549年にはザビエルがキリスト教を伝えるってあります」「えっ
ザビが?先生ここに居るじゃん。」「本物のザビエルの話だよ」・・・・(しばしザビエルで盛りあがる。私のあだながザビエルなもので・・・)
うん、そうだね。ところでこれって何時代?。「戦国時代」 じゃ、だれが一番力があったんだっけ。「将軍」「ちがうよ。大名」「織田信長だ―」「天皇じ
ゃない?」「ちがうよ。天皇は力がなくて家もボロボロだってやったじゃないか」「あっそうだっけ」・・・・(勝手に討論している)・・・
うん。戦国時代って言うのは諸国の大名がお互い争っていた時代で、誰が一番ってわからない時代だね。おそらくヨーロッパ人は各地の大名や将
軍やなんかに贈り物して貿易の許可を求めたんだろうね。
ところでこの時代の日本人の反応だけど、資料集の75ページの「17世紀前半の京都四条河原の歌舞伎見物客」という資料をみてごらん。
ここにへんな格好をしている人がいないかな? 「?」 ほら、日本の服としてはちょっと変なもの・・・。「あっ ひだえりを着けているやつ?」 そう。
それだ。さっきの屏風絵のヨーロッパ人の格好と比べてご覧? 「みんな首のところにひらひらのえり着けてら!」「えっどれどれ」「ほんとだ!」「これ
を真似したんだね」
そう。そのとおり。この時代はヨーロッパ人がもたらしたものが流行ってね、ヨーロッパ人の真似をする人がたくさんいたんだ。他にもいるよ。キセ
ルだってヨーロッパ人が持ってきたもんだ。「キセルってなに?」「タバコ吸うやつだよ」「じゃ、タバコもこの時代に日本に伝わったんだ」
そう。いろんなものが日本に伝わった。「何があるの?」 あれ? 知らない?。「あっ鉄砲」 そうだね。他には?。例えば食べ物だと?
「天ぷら!」「そうなの?」「先生がヨーロッパ人が伝えた天ぷらを食べ過ぎて徳川家康は死んだって言ってたじゃないか」「あっそうか」
ほかには?「カステラ」 そう。良く知っているね。ほかは?「・・・・?」 コンペイトウもそうだね。「砂糖の塊みたいなの?」 そう。あれだ。
遊びだと? 「百人一首?」「違うよ! トランプが日本に来てそれを真似て日本で作ったのが百人一首だよ」(ちょうど今、学年で百人一首大会のた
めに毎日練習しているところ・・・) カルタって呼んだんだね。それがはやっていろんなカードゲームが日本にも生まれたわけ。他にもあるよね。あの
キレイな絵が書いてある札の・・・ 「花札だ!」 そう。そうやってヨーロッパ人が持ってきたものが日本人の間に流行ったわけだ。
板書事項 ○日本人はヨーロッパ人にどう対応したか? @積極的に貿易をした。 Aヨーロッパ文化を積極的に取り入れ真似した |
ところで流行ったものの中にはキリスト教もあるんだ。そのページの資料に日本のキリスト教の信者・キリシタンの数がどう増えたかを示した資料
があるね。
「うん。あるある」 どんどん増えて1614年には37万人にもなったんだ。「少ないじゃん」 そう。今から見ればね。当時の人口は約3000万人。という
ことは何人に一人がキリシタン?。(一生懸命計算をしている・・・)「約100人に一人!」 そうだね。でもこれは西日本が中心だったというから西日本
ではもっと割合が高くなるわけだ。
ここで問題。「なぜ急速にキリスト教の信者が増えたのだろう」 自分の考えをノートに書いてみよう。
じゃあ自分の考えを発表してみよう。
「キリスト教の教えがとても良いので気に入ったから」「ヨーロッパの文化にあこがれていたので入った」「ヨーロッパ人の真似するのが流行っていた
から」「ヨーロッパ人と仲良くしたかったから」 なるほど。どれもありそうだね。でもまだあるよ。
大名がキリスト教の信者になり領地の住民をみんなキリスト教に改宗させたから。「何それ?」「へんじゃん」「それまでは何教だったの?」
良い質問だね。キリスト教が来る前に日本で一番流行っていたのは? 「イスラム教」「適当に言うな!」「仏教」「キリスト教」「それじゃ答えになんな
いだろう!」
どれ?「仏教!!!」 そうだね。中には仏教のお寺を壊してキリスト教の教会に変えさせた大名もいたそうだよ。「なんでそんなことするの?」
良い質問だ。皆で考えてみよう。
「キリスト教を心から信じていたから?」 それもあるかもね。「ヨーロッパ文化にあこがれてたから」「それだけで仏教のお寺まで壊すか?」
「仲良くしたいから」 だれと? 「ヨーロッパ人と」 どうして?「ヨーロッパ人は皆キリスト教の信者だから」「そうなの?」 だいたいはね。
じゃなんでヨーロッパ人と仲良くなりたいの?・・・・・・「貿易!!」「鉄砲が欲しい!!」・・・・なるほど。そうかもね。
板書事項 ○なぜ急速にキリスト教の信者が増えたのだろう? @キリスト教の教えが良かったから Aヨーロッパ人の真似をするのが流行っていた(あこがれていた)から B貿易の利益のためにヨーロッパ人と仲良くなりたかったから |
「なんか、危険だね」 なにが? 「ヨーロッパ人は貿易の利益でつったり、神様だと思わして安心させてその国を征服したじゃない」「そうだ!!」
そうかもね。いいところに気がついたね。
ところでさっきの鉄砲だけど。その鉄砲が日本に初めて伝えられたときの日本人の反応を見ておこう。資料Cの鉄砲の伝来を見てごらん。
<黄金の島・ジパング>資料C「鉄砲の伝来」 天文12(1543)年8月25日。種子島の西村の小浦に、一隻 の大船が流れついた。どこの国から来たかわからない。 船客100余人。その中に大明国の五峰と名のるものがいた。 西村の村長の織部丞は漢文(漢字で書いた中国語の本)を よく理解出来たので、つえで砂の上に字を書いて筆談した。 異国人の一人はムラシャ(フランシスコ)、ひとりはキリシタ =ダモタといった。 二人は手に一物をたずさえている。長さ2・3尺(60〜 90cm)。その物体は中が空でそとはまっすぐ、そして重い。 形は何にたとえようもない。 妙薬をその中に入れ、小さな鉛玉をこめる。小さな的を 岸に置き、一物を手にしてみがまえ、目をすがめにしてねら い、小さな穴から火をはなつと、命中しないことがなかった。 島主の種子島時尭は、その値段が高すぎるのもかまわずに、 その鉄砲を2丁買い求めた。 「鉄砲記」より |
さて、ここで問題。種子島の島主は何のために鉄砲を買ったのか。自分の意見をノートに書いてみよう。
「2つ買ったということが大事なのかな?」 うん。それは大事だな。(一斉に鉛筆をはしらせる音・・・・・・)
じゃ、君たちの考えは? 「鉄砲を自分で作るため」「同じでーす!!!!!」
なるほど。じゃあ何のために2本買ったの?。「1本は分解して、部品の形や大きさや数を調べるためでーす」 じゃあ、もう1本は?
「見本!!!」「それと同じ物を作るため!!!」
なるほど。きっとそうだね。教科書110ページの資料「鉄砲の普及」を読んでみよう。
鉄砲の普及 種子島では領主が2挺の鉄砲を 買い取り、家臣などにその製造法 と火薬の製法とを学ばせた。この 製造技術はすぐに紀伊国(和歌山県) 根来や堺に伝わり」、のちに近江の国 友でも鉄砲がつくられるようになった。 日本の刀鍛治の技術が応用されたと いわれる。数年後に来日したポルトガ ル人は、日本の各地で鉄砲の製造と 販売が行われているのに驚いたとい う。 |
じゃあ、ノートの最後の問題をやってみよう。
○日本とアメリカ・アフリカとのヨーロッパ人への対応の比較 @アフリカの部族の王は( )の利益に眼がくらみ、黒人たちを 奴隷としてヨーロッパ人に売った。 日本の大名は( )の利益のためにキリスト教の布教を許し 領民をキリスト教に改宗させたりした。 Aアメリカのインディオは鉄砲を雷だと思い、ヨーロッパ人を ( )だとかんちがいした。 日本ではヨーロッパ人が持ってきた鉄砲を研究しその( ) を学び大量生産した。 |
一番の二つのかっこは同じ言葉。答えは? 「貿易!!」 そう。では二番の最初のかっこは? 「神!!」 じゃあ二つ目のかっこは?
「作り方!!」 そうだね。では今日の授業はこれでおしまい。