年貢さえすませば・・・・・・D 鳴かぬなら殺してしまえ


教師:では最初にノートの復習問題をやってみよう。

○戦国時代:【@   】の世の中で実力でのしあがり【A   】の荘園を奪って力をつけた【B    】たちは、治水工事を起こし、鉱山を開発して、国を【C   】にした。さらに【D   】を作って家臣を監視し、国内の【E   】を保とうとした。

(各自ノートの復習問題をやる)

教師:じゃあ、答えあわせをしよう。@の答えは、何の世?。

生徒:「下剋上の世!!!」

教師:そう。下剋上の世だね。・・・ではA番。誰の荘園を奪ったのかな?。

生徒:「貴族!!!」「荘園領主!!!」

教師:うん。これはどちらでも正解だね。荘園を取られた荘園領主の多くは貴族だからね。・・・ではその貴族の荘園を奪って力をつけたのは?。

生徒:「戦国大名!!」「武士!!!」

教師:武士で良いんだけど、後の問いを考えてみると、戦国大名のほうが良いね。・・・ではそC番。戦国大名は治水工事や鉱山開発などで国をどうしようとしたのか?。

生徒:「豊か!!!」

教師:そう。豊かにしようとしたんだね。・・・では家臣を監視するための5番は?。

生徒:「掟!!!」「きまり!!!」「家法!!!」

教師:そう。家法だね。要するにきまり。・・・当時の言い方ならおきてだね。・・・では最後のE番。家臣を監視して国内の何を保とうとしたのだろう。

生徒:「争いをなくす!!」「平和!!!」

教師:そう。平和だね。争いをなくすということだ。国を平和で豊かなものにするというのが戦国大名たちの理想だったんだね。・・・じゃあ今日の授業は・・・(フリップを貼る)。

生徒:「あっつ。織田信長の言葉!!」

教師:よく知っているね。

生徒:「織田信長は、殺してしまえほととぎすって歌ったんだよね。」「秀吉は、鳴かしてみせようほととぎすだね。」「家康は鳴くまでまとうほととぎすだ。」

教師:そうだね。下剋上の世を終わらせて、平和で豊かな国をつくろうとし、それを実現した戦国大名3人を比べた歌だね。信長は、平和で豊かな国をつくるためにはじゃまするやつは殺す。豊臣秀吉は、さからうやつを言うことをきかしてやる。徳川家康は、みんなが従うまで待つという意味。最初に戦国時代を終わらせようとした信長はじゃまする勢力を次々に殺していき、あとを継いだ秀吉は十分に力が強くなっていたから、殺さずに言うことを聞かして戦をなくした。最後の家康は、先の二人の後ろに控えていて、平和で豊かな世に反対する人がいなくなるまでじっと待っていて、最後に天下をとった。こういう歴史的事実を、江戸時代になってから、三人の人が歌った歌ということでつくられたんだよ。

生徒:「下剋上をやめさせるのは、結構大変だったということだね。」

教師:そうだね。・・・じゃあ問題をやってみよう。「戦国大名の動きをじゃましたのはどのような人々だろうか?。」。下剋上の世をやめて平和で豊かな国にしようとする彼らの動きをじゃましたのは誰かということだね。

生徒:「こんな良いことをじゃまする人いるの?。」「いるさ!!」「誰が?。」「それが問題だろ!!」

(各自ノートに自分の考えを書く)

教師:じゃあ良いかな?。・・・・はい。●●くん。

生徒:「はい。戦国大名の動きをじゃましたのは、他の戦国大名です!!」

生徒:「なんで同じ理想を持った人が他の人のじゃまをするの?。手を組めばいいじゃない!」

生徒:「だれが大将になるかってことだからさ。誰が一番強いか勝負したくなるんじゃないの?。統一って強いやつがみんなを従えるってことさ。」

教師:なるほどね。・・・・他にはあるかな?。・・・・はい。□□さん。

生徒:「はい。戦国大名の動きをじゃましたのは、荘園をとられる貴族たちだと思います。」

生徒:「はい。今のに反対意見!!」

教師:はい。@@くん、どうぞ。

生徒:「はい。そりゃ貴族は戦国大名の動きに反対だけど、貴族なんか力がないわけだから、抵抗もできないと思うよ。」(なるほど!!!)

教師:うん。良いところをついたね。・・・貴族たちは荘園を取られてしまってから、より強い戦国大名に御願いして、自分が取られた荘園を取り戻してくれるように頼んだりしたんだよ。

生徒:「弱い貴族の頼みを聞いてくれるの?。」

教師:貴族には特権があるからね。位を授けたり、朝廷の官職につけたりという特権が。これと引き換えに御願いするんだ。

生徒:「位や朝廷の官職なんか役に立つの?。実力の時代に。」

教師:戦国大名の敵は戦国大名だし、それから機会をうかがっている家来なんだ。だから都の貴族とつながってたとえば甲斐・山梨県を治めている武田さんだったら、甲斐の守という甲斐の国を治める官職をもらって、おれの地位は都の天皇も認めているんだといって、家来やライバルの大名に力を見せ付けるというやりかただったんだよ。

生徒:「なるほど。そうやって貴族は自分の荘園を守るんだ。」

生徒:「でも守れたのは位や官職を授けられる天皇や偉い貴族だけだよね。」

教師:そのとおり。一部の偉い貴族だけだよ。・・・・はい。**くん。何か他に意見があるの?。

生徒:「はい。あります。戦国大名に動きに反対した人の中に、農民がいると思います。」

生徒:「なんで?。平和で豊かになるじゃないか?。変だよ!」

生徒:「でも戦国大名は一揆に苦労したと言います。特に一向一揆。信長は何万人もの一揆の農民を殺しました。」

生徒:「よく知っているな?。」「先生、ほんと?。」

教師:うん。ほんとの話だよ。どの戦国大名も一向一揆には苦しんでいたね。

生徒:「でもなんで農民が戦国大名のじゃまするの?。洪水がなくなってり戦争がなくなるって、農民にとって良いことじゃん。」

生徒:「私も変だと思います。戦国大名の理想に一番賛成したのは農民だと思います。」

教師:うん。そこが不思議だね。・・・でも事実なんだよ。戦国大名と農民の一揆が戦ったのは。・・・これを考えるには、戦国時代当時の社会がどうなっていたかをちょっと見る必要があるんだ。・・・その資料を配るよ。(資料G戦国の世を配る)

資料G「戦国の世」

※寺社(じしゃ):天皇や貴族が建てた寺や神社。僧や神主は貴族で数万人の僧兵(兵隊)を持ち、広い領地を持っており、しばしば惣村や惣町という百姓の一揆と結びつき、大きな力を持っていた。

★戦国大名は家来の武士たちに領地を与えずに大名の城に住まわせ、給料とほうびを与えるが、厳しい家法で監視して武士をまとめ、数万の軍隊をもった。そして商業を自由にしたり産業を発達させ、この力で天皇や貴族の荘園を奪い、大きな力を持っていた。

教師:この資料をよく見てごらん。・・・戦国大名のライバルは戦国大名だけじゃないことがよくわかると思うよ。

生徒:「あっつ、寺社だ!!」「将軍も強いんじゃない?。」

教師:なぜ、寺社や将軍が戦国大名のライバルだとおもったの?。・・・はい。▼▼さん。

生徒:「はい。寺社や将軍派は、その家来の僧や武士を通じて惣村や惣町という農民や商人の一揆とつながっていて、そこから年貢をとっているからです。」

生徒:「はい。補足!!」

教師:はい。△△くん。

生徒:「はい。それに寺社には数万人の僧兵がいるし、百姓の一揆も数万人にはなるから、戦国大名の数万人の軍隊に対抗できます。」

教師:そうだね。惣村や惣町という、農民や商人などの自治の組織とつながっているのは、戦国大名だけではなかったんだね。

生徒:「先生!。なんで惣町や惣村の中に寺社とつながってそれに年貢を納めたりするところがあるんですか?。」

教師:良い質問だね。・・貴族や寺社はね、さまざまな商売に特権を与える権限をもっていたんだよ。

生徒:「へえ、どんな権限?。」

教師:商売の許可を与えるもの朝廷だし、その商売をする人が各地の関所や港をとおるときに税をはらわなくても良い特権を与えるのも朝廷なんだ。だから朝廷の有力な貴族は、これらの許可を与えることができるし、同じく有力な貴族である、寺社の幹部はできるわけです。

生徒:「けっこう大きな力をもっているんだね。」

教師:そう。そしてね、貴族や寺社によって特権を与えられた商人は、おなじ仕事をしている者どうしが集まって集団をつくるんだ。その集団に入らないとその商売はしてはいけないという、そういう集団をね。

生徒:「あっつ、座だ!!」「えっつ、何?。」「座だよ。座。銀座とは魚座とか材木座ってやつだ。」

教師:そのとおり。座だね。

生徒:「でも、座って商人でしょ。商人の集まりの惣町が貴族や寺社にくっつく理由はわかったけど、農民の集まりの惣村はなぜくっつくの?。農業の特権でもあったの?。」

教師:いや、この時代の農民はね、田畑で作物をつくるだけじゃなくて、その作物や、その作物を加工してできたものを売っていたんだよ。農民も商人みたいなものなんだ。だから惣村も商売をするために貴族や寺社とくっつく。それから大きな寺社の荘園だったら、商売の特権をもらうかわりに、年貢を村でまとめて納めて、その分安くしてもらうという取引をしていたんだね。

生徒:「寺社とくっつくともうかるわけだ。」

教師:そういうことだね。だから、その寺社と惣村・惣町がくっついた一揆は、戦国大名が手を焼くほど強いんだ。・・・じゃあ、ここで最後の問題を考えてみよう。「戦国大名は、抵抗する寺社や一揆にたいして、どのような対策をとったか?。」

生徒:「簡単だよ!」

(各自ノートに自分の考えを書く)

教師:では、みんなの意見を聞いてみよう。・・・はい。##くん。

生徒:「はい。抵抗する寺社の僧兵や一揆の百姓は、皆殺しにするしかありません。たしか信長もそうやったと思います。」

生徒:「今の意見に、反対!!」

教師:はい。◎◎くん。どうぞ。

生徒:「僧兵やいいとしても、百姓を皆殺しにしちゃったら、年貢が入ってこなくなり、大名は困ります。他の方法をとらないといけないと思います。」

生徒:「どんな方法があるんだよ!。」

生徒:「うーん。どうするかな?」(笑い!!)

生徒:「はい!」

教師:はい。$$さん。どうぞ。

生徒:「はい。寺社や貴族と、百姓の一揆とでは違う対策をとれば良いんでしょ。」

生徒:「そうだよ!」

生徒:「百姓が寺社にくっついているのは、年貢が安くなったり、関所などの税がただになったりするからです。だから戦国大名も百姓に対して、年貢を安くしたり、税をただにすれば良いんじゃないでしょうか。」

生徒:「今のに反対!!」

教師:はい。■■くん。

生徒:「はい。関所の税をただにしたりするのは、朝廷だからできるのであって、戦国大名が勝手にはできないと思います。」

生徒:「そんなの勝手にやればいいじゃん」「大名は強いんだから、朝廷にできることぐらいできるだろ!!」(なるほど!!)

生徒:「下剋上の世なんだから。地獄の沙汰も金次第だよ!!。いや、力次第だ!。」(笑い!!)

教師:うん。うまいところをついてきたね。そのとおり。実際に戦国大名は、みんなが考えたようにやっているよ。織田信長のやったことを例にまとめてみよう。資料を配ります(資料H「信長の政策」を配布する)。

★資料H「信長の政策」
〔1〕町衆(有力商工業者)・寺には

 ○信長に従う町や寺には

  ・町や寺の自治を認めて、楽市楽座令を出し、商売の自由も認めた。

 ○信長に従わない町や寺には

  @矢銭(戦争の費用)を出して降参するか。

  A町を焼き払い皆殺しにする。

〔2〕土一揆や寺に対しては 

 ○信長に従うとの誓約書を出した村や寺には

  ・村や寺の自治をみとめて、楽市楽座令を出し、商売の自由も認めた。

 ○信長に逆らった村や寺には(越前の一向一揆の場合)

…人数を四手にわけ、山々谷々残るところなく探し出し、首を切りました。17日に持ってこられた首は2000個あまり、生け捕りは70〜80人ほど。これも首を切りました。18日。500〜600ずつ首がほうぼうから持ってこられたのでその数を数えられません。19日。600人余りを討ち取り、生け捕り100人。これも首を切りました。20日。1000人余り切り捨て、生け捕りは100人ほど。これも首をはねました。21日。首500、生け捕り10人余り。これも首を切りました。柴田勝家・明智光秀より、1000人ほど首を切ったとの報告がありました。

       1575年8月22日           信長

   村井長門守どの

 ○楽市・楽座令

 一、城下の市場に移住して来る者は、織田家領内はどこでも自由に行き来して良    い。また年貢や諸役は免除する。

 一、楽市・楽座とするから承知して商売せよ。

 一、強制的な買い上げや暴力行為は絶対に許さない。

     永禄11(1568)年9月

生徒:「先生!。楽市楽座って何?。」

教師:うん。楽市っていうのはね。市場で商売するのに、いちいち許可や使用料はいらないということ。楽座は、座を廃止する。つまり朝廷の許可を受けなくても自由に好きな商売ができるということ。両方あわせて、自由に商売できるということだよ。

生徒:「朝廷や貴族や寺社の権限をとっちゃったんだね。」「うまいな!!」

生徒:「でも反抗した人は殺したんでしょ!!」

教師:そうだね。越前の一向一揆のときには数万人殺されたと言われているね。

生徒:「逆らって殺されるか、従って自治を認められ商売が自由にできるか。どっちを選ぶのかっていうことなんだ。」

生徒:「死ぬよりそっちのほうが良いじゃん。何で逆らったのかな?。」

教師:うん。そこは不思議だね。・・・では最後に、信長の全国統一の過程を見てみよう。教科書を出して。112ページから113ページだ。

   だれか読んでくれるかな?。・・・はい。◎◎さん。御願いします。

【信長の統一事業】応仁の乱ののち100年あまりもつづいた戦乱は。織田信長によって全国統一に向かいはじめた。
 信長は、尾張(愛知県)の小さな大名であったが、1560年に駿河(静岡県)の今川義元の大軍を桶狭間(愛知県)に破ってから、急に勢力を強めた。そののち、三河(愛知県)の徳川家康と同盟し、1567年に美濃を平定し、翌年京都に進出した。さらに1573年には、信長を倒そうとした将軍足利義昭を京都から追放し、室町幕府をほろぼした。1575年には鉄砲をうまく使って武田氏を破った。さらに、1576年からは近江の安土に壮大な城をきずき、城下町をつくってここを本拠地とした。

【信長の政策】信長は、全国統一をすすめるなかで、さまたげとなった勢力に対して、ようしゃなくこれを攻めた。軍事費の調達をこばんだ堺からは自治の権利をうばい、朝倉氏とむすんで反抗した延暦寺に対しては、全山を焼き打ちにした。また、各地でおこった一向一揆には強い態度でのぞんだが、こうした仏教勢力への対抗策として、キリスト教を保護した。さらに、岐阜や安土で楽市楽座の政策を実施した。これは、それまで公家や寺社の保護をうけ、市や座の特権をもっていた商工業者からそれを取り上げるというもので、各地から商人・職人を集めて自由に営業させることができた。
 信長は、中国地方の毛利氏を攻めるために、豊臣秀吉を派遣し、1582年、みずからも安土から京都にすすんだおり、本能寺で家臣の明智光秀に倒された。

教師:じゃあ今日は、ここで終わろう。


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