年貢さえすませば・・・・・・G 憂世から浮世へ


教師:では今日は(フリップを貼りながら)、この単元のまとめをします。

生徒:「何?。それ?」「うきよって読むの?。後ろの方のやつは?。」

教師:うん、そうだよ。うきよ。今、自分が生きている世の中をさす、江戸時代の言葉だ。

生徒:「じゃあ、最初のほうは何と読むの?。」

教師:これもうきよ、と読みます。これは室町時代の言葉で、さっきのうきよと同じく、今、自分が生きている世の中をさす言葉なんだ。

生徒:「ふーん。」「どう違うんだ?。」

教師:じゃあ、今日は単元のまとめに入るけど、その前に復習をしておこうね。ノートの復習問題をやってみよう。

【江戸時代への歩み】
 【@       】は諸大名に【A    】を禁止したり【B     】を百姓に出して武器を出させ【A】を禁止し、【A】のない【C   】な国を作ろうとした。彼の死後、1600年に天下を争う大名たちが【D     】で戦ったが、これに勝った【E      】は江戸に【F   】を開き、武士や大名にたいして【G       】を出して【A】を禁止し、【C】な国を作ろうとした。このため江戸時代は以後は約250年の間は【A】のない【C】な世の中となった。

教師:では、答えあわせをしてみよう。・・・・最初の@は誰?

生徒:「秀吉!!」「豊臣秀吉!!!」

教師:そうだね。秀吉。・・・では彼は何をしたかだ。A番。彼は大名に何を禁止したの?。

生徒:「争い!!!」「戦争!!!」

教師:うん。どちらでも良いが、次のBを考えてみると、争いのほうが良いね。・・・・じゃあBは?。

生徒:「刀狩!!!」「刀狩令!!!」

教師:そう。刀狩令だね。・・・そして彼は争いのない、どんな国を作ろうとしたのかな?。

生徒:「平和!!!」

教師:そう。平和だね。・・・所でこの、争いのない平和な国を作ろうという秀吉の目標を現した言葉があったね。

生徒:「何だっけ?」「わかった!!」

教師:はい、●●くん。

生徒:「はい。国土安全万民快楽、です。」

教師:うん。そうだったね。国土安全万民快楽。・・・・では次に行こう。Dは?。

生徒:「関が原!!」

教師:そう。関が原の戦い。・・ではこの戦いにかったEは誰?。

生徒:「徳川家康!!」「家康!!」

教師:そう。徳川家康だね。・・その家康が江戸に開いたのは?。

生徒:「幕府!!」「江戸幕府!!!」

教師:そう。幕府だね。武士の政府。で、幕府が武士大名に争いを禁止する目的で出したGは?。

生徒:「武家諸法度!!!」

教師:そう。武家諸法度だね。・・・そうして江戸時代250年間は、争いのない平和な世の中が続いたという。

生徒:「あっつ、わかった!!」

教師:何?。□□さん。何がわかったの?。

生徒:「はい。その黒板に貼ってある文字ですが、後ろの方の浮世。浮くっていう文字を使ってあるでしょ。どうして浮くって文字を使ったのかわかったのです。」

教師:ほう。どういうこと?。

生徒:「はい。浮くって文字は、うきうきするって意味だと思います。きっと争いがなくなって平和になって、うきうきするほど楽しい世の中になったから、こういう文字を使ったのだと思います。」(なるほど!!!!)

生徒:「じゃ、質問。最初のほうの憂世は、どういう意味なの?。」

生徒:「よくわからないんだけど・・・・。」

教師:うん。これはこの授業の最後に考えてみようよ。・・・では資料を配ります。江戸時代の農民がどんな暮らしをしていたかだ。(資料Kを配る)

★資料K 江戸時代の農民の休日★
享和3(1803)年の梶ヶ谷村の休日
  休んだ日 理由
1月

計8日

1日
2日
3日

正月につき農作業は休み

7日 火事よけの祭礼のため休み
11日 蔵開きでお備えを割るため休み
15日 小正月で休み
16日 荒神さまの祭りで休み
20日 お備えを割るので休み
2月

計6日

1日 お備えを煮て雑煮にし休み
初午(はつうま) 稲荷祭りのため休み
彼岸中日 墓参りのため休み
その他 奉公人が交代する月のため3日ほど村役人がおお触れを出して休み
3月

計7日

1日  
?日 雹(ひょう)祭りで休み
?日  
15日  
その他 春の種まきのあと3日ほど村役人がお触れをだして休み
4月

計3日

1日  
8日 お釈迦さま誕生の日で休み
その他 雹(ひょう)祭りで村役人から触れを出して1日休み
5月
計1日
5日 端午(たんご)の節句(せっく)で休み
6月

計7日

1日  
7日 春の村祭(村の神社の祭礼)で休み
14日  
15日  
その他 田の草取りをしたあと3日ほど休み
7月  計5日 1日  
7日 七夕の節句で休み
14日
15日
16日
お盆の祭礼で休み
8月
計3日
1日  
15日 十五夜の月見で休み
彼岸中日 秋の墓参りで休み
9月
計2日
14日 秋の祭り(村の神社の祭礼)で休み
16日 秋の祭りの終わりで休み
その他計2日 疫病よけ が流行ったら疫病よけの祭礼のために1日休む
雨乞い 日照りが続いたら、村役人からお触れを出して1日休む
総計
44日
   

    川崎市史資料編2より

    ●秀吉の時代(1500年代の終わり)の農村のお休みは

                   年 20日ほど

教師:この資料をまず読んでみよう。これは隣の梶ヶ谷村の資料なんだけど、江戸時代の終わりのころの1803年に、この村の農民がいつどんな理由で農作業を休みにしたかの資料なんだ。

生徒:「理由が書いてないところはなんですか?。」

教師:理由が空欄の所は、理由がわからない休日だね。・・・・でこの資料と、資料の最後に書いておいた、秀吉の時代の休日と比べてみると、何かはっきりとした違いがあるね。

生徒:「はい!」

教師:はい。@@さん。

生徒:「はい。秀吉の時代のお休みは年に20日ほどだったのに、江戸時代の終わりにはその倍以上の休みをとるようになっています。」

教師:そうだね。休日がずっと多くなっている。・・ところで休日の主な理由は何だろう?。・・・はい。$$くん。

生徒:「はい。お祭りが多いです。」

教師:そう。お祭りだね。・・・他には?。・・・はい。##さん。

生徒:「はい。春の種まきのあととか、田の草取りのあとのように、大変な仕事が終わったあとには3日も休みにしています。」

教師:そうだね。農作業の節目にはかならず休みが入っているね。そう考えると、春の村祭りはおそらく田植えのあと、そして秋の村祭りは収穫のあと。そういうように、仕事の節目には長い休日をとっているんだ。・・・・ということは、農民たちはこのお休みには何をするだろうね。

生徒:「はい!!」

教師:はい。▼▼くん。

生徒:「当然、仕事のない休みですから、遊びます。」

生徒:「何の遊びをするの?。」

生徒:「うーん、それは・・・・。ゲーセンに行きます!」(爆笑!!!)

教師:(笑いながら・・)そうだね。どっかに遊びに行くとかね。他には?・・・・。はい。&&さん。

生徒:「はい。長い休みには、ちょっと旅行にっていうのも良いと思います。」

教師:なるほど。・・・・他には・・・・。はい。◎◎くん。

生徒:「はい。お祭りの時には、盆踊りをしたり、お芝居を見たり、それからお祭りに集まったお店で買い物をしたりしたんだと思います。」

教師:なるほど。お祭りも遊びの一つなんだね。・・・そうです。江戸時代の農民の暮らしは、前の時代より、ずっとゆとりのある暮らしだったんだよ。もっともそれは農民だけではなく、職人や商人や武士にとっても同じだったんだけどね。・・・ちょっと教科書を読んでみよう。145ページだ。庶民の活動・・・・・・誰か読んでくれますか。・・・・はい。&&くん。お願いします。

 この時代になると、庶民も多方面に積極的に活動するようになってきた。四季おりおりの年中行事、寺社の祭りなどで、人々はごちそうを食べたり、晴れ着を着たりして楽しんだ。また、民謡や盆踊り、集団でお金を集めて旅などをする講もひろまった。さらに、幸せを願って、伊勢神宮(三重県)や熊野大社(和歌山県)などに参詣する風習や、西国・四国の寺を巡礼することもさかんになった。こうした旅での見聞は、農業技術の向上にもつながっていった。

教師:ここまでいいかな。・・・じゃあ問題をやってみよう。「江戸時代の農民の暮らしはなぜ前と違ったものになったのだろう」

(各自ノートに自分の考えを書く)

教師:では、みんなの考えを聞いてみよう。・・・・はい。△△さん。

生徒:「はい。江戸時代までは戦争が多くて大変だったけど、江戸時代は平和で豊かになったから、ゆとりのあるものになったのだと思います。」(さんせい!!!!!)

生徒:「はい。一つ質問があります。」

教師:はい。&&くん。何ですか。

生徒:「今の意見の人に質問です。どうして戦争がなくなると豊かなくらしになるんですか。」

生徒:「そんなの当たり前ジャン。わかんないのか?。」

教師:いや。良い質問だと思うよ。どうして戦争がなくなると、豊かでゆとりのある生活になるのか?。・・・はい。●●さん。

生徒:「はい。戦争があると田畑が荒らされて収穫が充分に取れなかったりしますが、平和になればそういうことはありません。」

生徒:「はい。補足!」

教師:はい。□□くん。

生徒:「はい。戦争があると農民の村や家が焼かれたり、ひどいときには捕まって奴隷にされたりしたから、農業を一生懸命やれませんでした。でも戦争がなくなったから、村や田畑が焼かれたり荒らされたりしないから、農業を一生懸命できます。だから収穫も増えて楽になります。」

生徒:「もう一つ追加!!」

教師:はい。&&さん。

生徒:「はい。それに平和になれば、農民も農業に工夫をすると思うのです。いろんな便利な道具を考えたり、作物の種類を増やしたり、肥料を入れたり。そうすれば、農作業の時間も少なくなるし、その上、収穫も増えて、くらしはゆとりがあって豊かになります。」

生徒:「さすが。なんでそんなことわかるの?。」

生徒:「戦争の多かった室町時代でも、農民は売れる作物を作ったり、肥料を工夫したり道具を工夫して収穫を増やしていたといつか勉強したでしょ。戦争ばっかりで辛い時代にもそうなんだから、戦争のない平和な時代にはもっと工夫すると思うんです。だからきっと収穫も増えて、農民の収入も増えたのじゃないかな。」(さすが!!!!)

生徒:「はい。もう一つ質問。」

生徒:「まだなんかあんのか?。」

教師:はい。&&くん。どうぞ。

生徒:「平和になれば農民が工夫して収穫が増えるのはわかりました。でもそうすると、かえって年貢が増えるんじゃないかな。武士は働かないから、収穫が増えるともっと年貢を重くして、贅沢な暮らしをしようとすると思うんです。」(なるほど!!!)

教師:良い質問だね。

生徒:「先生質問!!」

教師:はい。□□さん。

生徒:「はい。今の&&くんの意見ですが。実際に農民の休日は倍以上に増えていて、いろんな遊びもはやっているし、旅行も流行っているのだから、年貢が重くなったとは思えません。」

生徒:「はい。今のに追加!!」

教師:はい。##くん。どうぞ。

生徒:「はい。もしかして年貢が重くなったのかもしれないけど、農民の工夫がそれ以上だったから、農民の手元に残るものが増えたんじゃないかと思います。」

生徒:「はい。今のに質問。」

教師:はい。&&くん。

生徒:「でも小学校で習ったけど、江戸時代の年貢は収穫の半分って決まっていたから、収穫が増えると年貢も増えます。」(おっつ勉強したんだ!!。爆笑!!)

生徒:「でも年貢も増えるけど、とれた作物の50%が年貢なんだから、農民の手元に残るものも増えるだろ。」

生徒:「あっ、そうか。まいった。まいった。」(爆笑!!)

教師:お互いに良いところに目をつけたね。良い議論だったと思います。・・実際にさまざまに農業の工夫がされていたんだね。資料集をあけてごらん。88ページと89ページ。・・・89ページにはいろんな農具が工夫されていることが書いてあるね。

生徒:「うん。ある。ある。」「いろんなのを工夫したんだね。」

教師:でもね、工夫したのは農民だけじゃないんだよ。・・・88ページを見てご覧。・・・新田開発ってあるね。

教師:そこの「全国の耕地面積の拡大」というグラフを見てご覧。・・・そしてね。江戸直前と江戸時代が終わった明治初期とを比べてご覧。

生徒:「2倍!!」「約2倍だ!!」

教師:そう。すごい増え方だろ。・・そしてどうやったかというと、新田開発っていって、あちこちで荒地を田んぼにしたんだよ。たとえば沼地とか湖とか海岸とかをね。干拓って方法だ。そこにあるだろ。児島湾の干拓っていうのが。

生徒:「うん。ある。」

教師:これは岡山藩という大名がお金をだしてやったのだけど、田畑にしたい海を堤防で仕切ってね。それでその中の海水をすてて海底を干し上げ、そして塩分をとったり肥料をやってりして田畑に変えるんだよ。

生徒:「大名も農業にお金を出したんだ。」「いくらぐらい?。」

教師:そこに書いてないか?。

生徒:「銀で245貫438匁!!」「いくらだかわかんなーい!!」

教師:銀1貫は銀1000匁。だから銀245貫438匁は、245438匁。そして銀55匁が小判1両。・・・だから小判に換えると、

生徒:「4626両!!」「今のいくら?。」

教師:1両がだいたい今の12万円くらいだから・・・・・

生徒:「5億5512万円!!」「すごい!!」「やるじゃん」

教師:でもこれは工事費用の一部だよね。これ以外に米で1万5400石。1石が約150キロ。・・・だから

生徒:「231万キロ!!!」

教師:10キロがだいたい5000円とすると・・・

生徒:「11億5500万円!!」「ひえー!!!」

教師:大名もこれだけのお金をかけて、農業の発展に尽くしたんだ。・・でもこれだけじゃないよ。資料を配ります(資料L江戸時代の年貢の移り変わりを配布)

★資料L江戸時代の年貢の移り変わり★
【1】秀吉の時代の年貢
@検地(田畑の大きさ・作物がとれる量・誰の田畑かを調べる)をする
    
A田畑の石高(作物の取れ量)を決める
    
B石高の75%を年貢として取る。

【2】家康の時代の年貢

@検地を行う
     
A田畑の石高を決める
     
B石高の約50%を年貢として取る。

【3】約200年後(江戸時代末)の年貢

@検地は200年ほど行われない。
      
  (農業が発展して取れる量が増える)
     

A石高(実際のとれる量の約半分になっている)
     

B石高の約50%を年貢として取る

  (実際の取れる量の約【   】%)

      年貢の割合は年がたつにつれて

          【           】いる。

教師:年貢はまず検地をしてその田畑の取れ高を調べる。これを石高という。そしてこの石高に一定の割わいをかけて年貢とするんだ。江戸時代、家康の時代になると、石高の何%が年貢?。

生徒:「50%!!」

教師:そうだね。・・・そしてその後やく200年ぐらい検地は行われず、その間に農業が発展して石高は実際にとれる量の約半分になってしまう。・・ということは、年貢は石高の50%だから、実際の取れ高の、何%?。

生徒:「25%!!」「ひえー、少ない!!」「こりゃ楽だ!!」

教師:そう。・・・だから江戸時代を通じて、年貢の割合は年が経つにつれて、

生徒:「少なくなる!!!」

教師:こうやって江戸時代の農民の暮らしは豊かでゆとりあるものになったんだよ。

生徒:「だから浮世なんだ!!。楽ちんな浮き浮きした世の中ってことだね。」

教師:そう。

生徒:「じゃあその前の時代の憂世は?。」

教師:憂世の憂は、憂鬱の憂。つまりいやなことが多くて気持ちが暗くなってしまうこと。

生徒:「戦争が多くていやな世の中だったんだ!!」

教師:そういうことだね。

生徒:「先生!質問。」

教師:何?。&&くん。

生徒:「でも江戸時代の農民は貧しくて苦しかったと小学校で習ったよ。なんとかのお触書を読めばわかるって。」

生徒:「慶安のお触書?!!」「教科書に載っているよ!。127ページ」

生徒:「かなりきびしいね。」「米をたくさん食べちゃいけないんだ。」「酒やお茶も買えないんだ。」「どこが豊かなの?。」

教師:この資料はよく、江戸時代の農民が貧しい暮らしをしている証拠にあげられる。でもね、実は違うんだよ。

生徒:「えっつ、違うの?。」

教師:そう。これじゃ省略のし過ぎで、意味を違って読み取ってしまうね。・・もっと正確なものを印刷したから読んでご覧(資料M慶安のお触書を配る)

一、幕府のきめたきまりを守らなかったり村をおさめる地頭や代官を無視 したりせず、名主たちを本当の親とおもってその言いつけを守ること。

一、朝は早起きして田畑の草をかり、昼は田畑を耕し、夜には縄をなったり俵(たわら)を編むなど、それぞれの仕事を油断なく行うこと。

一、酒やお茶を買って飲んではいけない(自分でつくること)。

一、百姓は肥料を用意しておくことが大事だから、トイレを広くとり、雨降りのときに雨がはいって肥料をだめにすることのないよう気をつけること

一、百姓には先々のことも考えないで、収穫のあとの秋には米などを妻子にたくさん食べさせてしまいあとになって米がなくて困るものが多い。いつも米の少なくなる正月や2月3月の気持ちですごし食べ物を大切にしなさい。麦や粟(あわ)やひえや大根や菜っ葉などいろいろな食べ物をつくり、米を食べつくして困ることのないようにしなさい。小豆(あずき)の葉っぱやいもの葉っぱもすてずに大事に使いなさい。

一、男は畑仕事、女は布を織るなど、一日しっかりと働き夫婦ともよく稼ぐこと。だから美人の女房でも夫のことをおろそかにしたり(働かずに)茶ばかり飲んでいたり遊んでばかりいるようなものは離婚しなさい。

一、特別に広い田畑を持っているものならよいが、田畑が少なく収入が少ないのに子供がたくさんいる家は、他人に養子に出したり(商店などに)働きに出したりして、食べ物がなくて困ることのないようにしなさい。

一、健康に気をつけ病気にならぬように気をつけること。どんなに精を出して働いても病気になってしまえば働けず、暮らせなくなってしまうのだから気をつけること。

一、たばこを飲んでは行けない。これは腹のたしにもならずけっきょく病気になるだけなのだしお金もかかるし、火事を出すもとであるから。

一、独身の百姓が病気になって田畑の仕事が出来ないときは、五人組や村中の百姓が助け合って田畑を荒らさないようにしなさい。

一、年老いた親は大事にし孝行しなさい。年貢さえすませてしまえば百姓ほど楽なものはないのだから、このことをよく心がけ子供たちや孫たちにもよく言い聞かせ、健康でぜいたくをしないでかせぐべきである。

    慶安2年(1649年)2月26日

教師:してはいけないことは同じだと思うけど、その理由に注意して読んでご覧ん。

(各自で資料を読む)

教師:さあ、いいかな。たとえば、何でタバコを吸ってはいけないの?。

生徒:「病気になるから!!」「お金もかかる!!」「火事のもと!!」

教師:そうだね。・・じゃあ、なんで米をたくさん食べちゃいけないの?。

生徒:「米の少なくなる正月に困るから!!」「食べ物がなくなる!!」

教師:そうだね。・・・全体としてみると、このお触書は百姓がどうなることを心配しているの?。

生徒:「病気になること!!」「はたらけなくなること!!」「食べ物がなくなること!!」「お金を使いすぎること!!」

教師:そうだね。・・・実はこのお触れは、大飢饉といって、何年も作物があまりとれないことが続いたあとで、農民たちに今度飢饉があったときに備えて、どんなことをやっておいたらよいかを指導したものであることがわかったんだ。だから農民のことを心配しているわけ。

生徒:「なーんだ。」「そうなのか。」

教師:そう。それにね、農民にお酒やお茶を買って飲むなってことは、すでに農民がお酒やお茶を買えるほど、

生徒:「豊か!!!」「金がある!!」

教師:ってことだよね。・・・あんまり贅沢していると飢饉が続くと困るぞっていうのがこのお触れの意味なんだよ。だから江戸時代の農民は結構楽な生活をしていたんだね。・・・このお触れにも書いてあるね。何をしておけば楽だって。

生徒:「年貢さえすませば!!」「年貢はらえばいいんだ!!」

教師:年貢の割合も少なかったし、その上、実は、村の政治は農民たちが自分でやっていたんだ。

生徒:「へえーっつ!」

教師:また来年くわしくやるけどね、江戸時代の農民は名主っていう有力な農民を中心にまとまって暮らしており、用水の使い方など大事なことは皆、田畑を持っている農民が全て、各家族から代表1名を出した会議で決めていたんだよ。もちろん争いごともね。

生徒:「あっつ、惣村だ!」

教師:そのとおり、惣村だよ。だから大事なことは寄り合いという会議で決めたし、揉め事もここで解決した。・・武士であるお役人を頼るのは、それでもうまくいかない時だけ。・・・これが江戸時代だったんだよ。・・・・じゃあ、この単元はここで終わろう。まとめの問題は自分でやっておいてください。


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