日本人はどこから来たの? E時間目 まとめ


教師:じゃあ今日は、今までやったことのまとめをして、日本人はどこから来たのという問いに答えてみようね。では最初に、ノートの復習問題をやっ

   てください。(各自ノートを参照しながら、以下の問題にとりくむ)

○日本には何回も外国から大勢人が渡って来た
1回目 今から1万年前。【    @     】から縄文人が渡来した。
2回目 今から約2300年前。紀元前3世紀。【  A   】から弥生人が九州北部に
渡来し、その後、東に広がって行った。
3回目 5世紀ごろ、【  B   】や【   C  】からたくさんの人が渡来し、日本
各地を開拓した。
4回目 7世紀末。【  D  】の戦いに倭・百済連合軍が唐との戦いに敗れたとき、
朝鮮の百済や高句麗の人々がたくさん渡来した。

教師:では、答えあわせをしておこう。@番。1万年前に縄文人はどこからやってきたのですか?。

生徒:「南の方から!!!」「東南アジア!!」「南太平洋!!!」

教師:そうですね。南の方から。ではA番。紀元前3世紀に弥生人はどこからやってきましたか?。

生徒:「中国!!」「朝鮮から!!!」

教師:そうですね。中国・朝鮮からでしたね。どんな文化を持って来たかな?。

生徒:「米づくり!!!」「金属の道具!!」「鉄器!!!」

教師:そうです。それが弥生文化だね。では次。B番とC番。5世紀ごろにどこからたくさんの人が渡来したんでしたっけ?。

生徒:「中国!!!」「朝鮮!!!」

教師:そうです。ここも中国・朝鮮ですね。でこの人たちは日本各地を開拓したとありますが、どんな文化を持ってきたのですか?。

生徒:「・・・・・・・」「漢字!!」「古墳や用水路をつくる技術!!」「仏教!!」「蚕を飼うこと!!」・・・・・・・・・・・・・・

教師:そうでしたね。とても進んだ様々な技術や文字と宗教などでしたね。では最後にD番。7世紀末に朝鮮の百済や高句麗の人がやってくるきっ

   かけとなった戦いは?。

生徒:「白村江の戦い!!」

教師:そう、白村江の戦い。この戦いで滅ぼされた百済と後に滅ぼされた高句麗からもたくさんの人が日本に渡って来たわけです。全部で4回も外

   国からたくさんの人が日本に渡ってきたんだね。そのうち2・3・4回目は同じ顔をした人たちだね。

生徒:「弥生人!!!!」

教師:そう、弥生人。この顔だね(顔パネルを黒板にはる)。そして最初の1回だけが・・・・

生徒:「縄文人!!!」

教師:そう、縄文人。この顔だね(顔パネルを黒板にはる)。

生徒:「先生、質問!!!」

教師:なんですか。○○くん。

生徒:「縄文人がくる前は日本には人間はいなかったんですか?。」

教師:良い質問だね。いましたよ。土器をもってはいませんが石器をつかって狩や採集をする人たちが。

生徒:「どんな顔をしていたんですか?。」

教師:良い質問だね。でも残念ながらこれはまだあまり分かっていない。何しろ発見された骨が少なすぎて、しかも完全な頭蓋骨がほとんどない。出

   てくるのは石器と住居のあとだけなんだ。

生徒:「へー、残念だね。わからないんだ。」

教師:そう。よくわからない。だからその人たちのあとに縄文人がやってきて、そのあとは弥生人が中国・朝鮮から何度もやってきたんだね。それで

   混ざって日本人になったわけだ。

生徒:「縄文人がやってきたとき。また弥生人がやってきたとき戦争があったのですか?。」

教師:うん。これも残念ながらよくわからない。決定的な証拠がないからね。ただ、その後の日本の歴史を見てみると少し参考になることがあるん

   だ。

生徒:「なんですか?。それは。」

教師:それはね。ノートの次の問題なんだよ。日本列島全体が日本という一つの国になったのはいつのことだろう、という問題さ。

生徒:「えーっつ、わかんないよ!!!」

教師:これはね。日本の中の縄文顔の多い3つの地方。沖縄・東北・北海道がいつ日本に組み入れられたのかということなんだよ。

    地図でみるとこういう感じだね。

教師:弥生人はこの赤い矢印にそって、何回かに別れて中国や朝鮮から渡ってきて、赤い矢印の方向に日本列島に広がって行ったわけだ。そして

   現在まで縄文顔の多い地方が地図の@ABの地方だよ。あとこれに関東を加えればいいんだけどね。@はどこ?。

生徒:「沖縄!!!」

教師:ではBは?。

生徒:「北海道!!!」

教師:そう。ではさいごのAは?。

生徒:「東北地方!!!」

教師:そうです。そして、その弥生人たちが作った後の日本の都が奈良・京都だね。では、知っていることを使ってみてさっきの問いに答えてみよう。

   選択問題になっているね。日本列島全体が日本と言う一つの国になったのはいつのことだろう。弥生時代・古墳時代・飛鳥奈良時代・平安時

   代・鎌倉室町時代・江戸時代・明治時代のどれかな?。

生徒:「明治じゃちょっと前じゃない?。」

教師:そうだね。ちょっと前だ。100年くらい前だね。じゃあ選んでご覧。・・・・・・順番にきくよ。弥生時代・・・・・・・

(おもしろいことに生徒の多数意見は「江戸時代」。そして明治時代にも何人かいる。)

教師:ではどれが正解か。それぞれの地方が日本に組み込まれたのがいつなのかを調べてみよう。ノートに教科書のどこのページを読めば良いの

   か書いておいたからちょっと自分たちで読んで、答えを出してごらんなさい。

(各自指定された教科書のページを読んで考えている。相談もしている)

教師:では聞いてみようか。東北地方が日本に組み入れられたのはいつのこと?。

生徒:「9世紀!!!」「9世紀なかごろ!!」

教師:そうだね。それって何時代?。

生徒:「・・・・・・・・・・・・・・・・?」

教師:わからなければ教科書の真中へんの年表を出して調べてご覧。

生徒:「平安時代!!!!」

教師:そうだ。平安時代。京都にあった朝廷は東北地方の蝦夷の人たちが従わないんで征服するために軍を送ったんだね。将軍はだれ?。

生徒:「坂上田村麻呂!!!」

教師:そう田村麻呂。その時のはなしが資料集のp36にのっているね。最初から田村麻呂が出て行ったのではないんだ。最初は蝦夷の人たちが従

   わないんで5万の軍隊を朝廷は送ったんだ。でも負けてしまった。

生徒:「なぜ?。」

教師:朝廷の軍は歩兵といって歩きの兵隊が主だったんだ。でも蝦夷の人たちは馬にのって走って、馬の上から矢を射てくるんだ。どっちが強いか

   分かるね。

生徒:「馬に乗っているほう!!」「蝦夷!!!」

教師:それでね。朝廷は困ってしまったわけ。そこで当時の桓武天皇は、坂上田村麻呂を将軍にして10万の大軍を送ったんだ。

生徒:「なんで坂上田村麻呂なの?。」

教師:良い質問だ。田村麻呂は渡来人の一族でね。この人たちは馬に乗れるし、馬に乗って戦争する朝鮮の人たちの戦い方を身につけていたん

    だ。それで選ばれたんだね。

生徒:「で勝ったの?。」

教師:残念ながら勝てないんだ。

生徒:「なんで?。」

教師:田村麻呂の軍隊は馬といっても馬に鉄で出来た鎧を着せ、乗っている人も鉄で出来た鎧兜に身を固めていたんだ。

生徒:「うわーっつ、重そう!!!」

教師:そう、重いね。それに対して蝦夷の人たちは身軽な馬に乗って、鎧と言っても動物の皮を重ねただけのものしか身につけていなかったんだ。ど

   っちが動きが速いかわかるだろ?。

生徒:「蝦夷!!!」

教師:そう。だからなかなか勝てない。その上に蝦夷の指導者のアテルイが賢くて、逃げると見せて田村麻呂の軍を山に囲まれた狭い盆地に誘い込

   み、両方から挟み撃ちにしてやっつけるというわけ。

生徒:「へえーっつ、頭良いね。で、どっちが勝ったの?。」

教師:結局勝負がつかなくて最後は田村麻呂のほうからアテルイに手紙を送って、戦争をやめることにしたんだ。

生徒:「アテルイはのってきたの?。」

教師:そう。乗ってきた。そして田村麻呂といっしょに都まで行って天皇に会い、家来になるという約束で都までアテルイと主な大将を連れて行ったん

   だ。そして桓武天皇にあわせようとした。

生徒:「会えたの?。」

教師:会えない。桓武天皇はアテルイたちを殺せと田村麻呂に命令したんだ。

生徒:「ひでー、だまし討ちだ!!!」

教師:そう。こうしてアテルイたち蝦夷の指導者たちは殺されてしまったんだ。で蝦夷たちはどうしたと思う?。

生徒:「怒って戦う!!!」

教師:そう。戦った。でも指導者がいない・・・・・・

生徒:「それじゃ勝てない!!!」

教師:そう。そうやってだんだん蝦夷の抵抗はできなくなって、最後は降参してしまったんだね。こうやって東北地方は日本になったんだよ。資料集に

   桓武天皇と坂上田村麻呂とアテルイの顔があるだろ?。3人の顔を良く見比べてごらん。

教師:アテルイの顔に注目。弥生人?。縄文人?。

生徒:「・・・・・・・わかんないよ!!」

教師:鼻に注目してご覧!。大きくて小鼻が横に開いている鼻・・・・・・

生徒:「あっつ、縄文顔だ!!!!!」

教師:そうだ。縄文顔。それにたいして桓武天皇と坂上田村麻呂の鼻の小鼻は・・・・?。

生徒:「小さい!!!」

教師:そして目に注目してご覧!

生徒:「つりあがっている!!!」「一重まぶただ!!!」「弥生顔だ!!!!」

教師:ね。蝦夷の人たちは縄文顔。対する朝廷の側は弥生顔。こうして東北地方の縄文顔の人たちは都からきた弥生顔の人たちに戦争で負けて行

   ったんだね。

生徒:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

教師:さて次の沖縄だけど、ここは日本じゃなかったときは何ていったのかな?。

生徒:「琉球!!」「琉球王国!!!!」

教師:そう、琉球王国だね。その琉球が日本に組み入れられたのはいつ?。

生徒:「1609年!!」「江戸時代!!!」

教師:そう、江戸時代だ。教科書p123に書いてあるね。

   このときある大名が琉球を攻めたんだね。どこの大名?。

生徒:「薩摩藩!!!」

教師:そうだ、薩摩藩。鹿児島県の大名だね。この時薩摩藩は3000の軍隊を出して琉球を占領し、国王など100人を捕虜として鹿児島に連れて行っ

   てしまったんだ。

生徒:「琉球は戦わなかったの?。」

教師:戦ったさ。でも鉄砲で武装された薩摩藩にたいして琉球は長い間戦争をしていないから鉄砲もない。だからあっというまに占領された。そして

   琉球国王は、薩摩藩島津氏の家来になり毎年年貢を納める事を要求され、それを飲んで、ようやく琉球に帰ることが許されたんだ。でもそれ以

   来琉球は、薩摩藩の意見を聞かずには政治が出来なくなり、毎年多くの年貢を納めなければならなくなったんだ。もっとも形だけは琉球王国と

   は名乗っていたけどね。

生徒:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」「いつ沖縄になったの?。」

教師:それは明治になってからだよ。江戸幕府が倒され、薩摩藩もなくなったとき、琉球の人たちはこれで独立できると思ったんだ。

生徒:「でもできなかった?。」

教師:そう、できなかった。明治政府は軍隊を送って独立派をつぶし、沖縄県としたんだ。1879年のことだよ。

生徒:「たった100年と少し前のことなんだ。」

教師:そうだね。・・・・・・さて最後の北海道だけど、ここが日本に組み込まれたのはいつかな?。

生徒:「江戸時代!!!」

教師:そう、江戸時代。江戸時代のいつ?。

生徒:「1604年!!!」「違うよ。1669年!!!」「どっちなの?。」

教師:どっちでも良いと思うけど。このころはここは北海道とよばれていたのかな?。

生徒:「ちがう。蝦夷地!!!」

教師:そうだ。蝦夷地。そこに住んでいる人たちを何と呼ぶ?。

生徒:「アイヌ民族!!!」

教師:そうだね。アイヌ。1604年はそのアイヌ民族と日本人の商人とが交易する権利を、徳川家康が松前氏という大名に与えた年なんだ。

生徒:「何を交易するの?」「交易って何?。」

教師:交易とはね。貿易と同じことかな。御互いの特産物を交換するんだね。

生徒:「あっつ、物々交換?。」

教師:そう。物々交換。日本人は米や刀や槍などを持って行くんだ。アイヌは?。

生徒:「北海道の特産物?。」

教師:そう。何だと思う?。

生徒:「ジャガイモ!!!」「アスパラガス!!」「チーズ!」「バター!」

教師:残念ながらそれは明治以後の事だ。アイヌの人たちは農業はやらない。

生徒:「狩・採集ってこと?。」

教師:そう。それに漁労もやるね。海や川の産物をとるもの。

生徒:「じゃあ、熊!!」「鹿!!!」「ホタテ!!」「カニ!!!」

教師:うん。当時の日本人が欲しがったものはそれもあるけど、違うんだ。ほら川でとれる大きな魚。

生徒:「あっつ、鮭!!!」

教師:そう、鮭。鮭と米や刀を交換していたんだ。その鮭と米の交換の割合を松前氏は変えて、鮭一匹に対する米の量を20分の1くらいに下げてし

   まったんだ。そして文句のあるやつには交易させないときめ、さらには鮭がとれる川からアイヌの人を追い出したりしたんだよ。

生徒:「それじゃあ食えないじゃないか。」

教師:そうだ。鮭をとって必要な米や刀と交換していたんだからね。じゃあアイヌの人はどうする?。

生徒:「武器をとって松前氏を追い出す!!!」

教師:そのとおり。それが1669年におきた事件なんだ。アイヌの指導者はだれ?。

生徒:「シャクシャイン!!」

教師:そう、2000人のアイヌが彼の指揮のもとで武器をとって戦った。松前藩も鉄砲隊をくりだし、幕府も応援し、2ヶ月間の戦いとなった。

生徒:「どっちが勝ったの?。」

教師:なかなか勝負がつかなかったらしい。そこで松前藩は幕府から全てのアイヌ人を殺してよいとの許可をえたといって脅しをかけるとともに、シャ

   クシャインに和平を申し入れたんだ。

生徒:「まただまし討ち?。」

教師:そう。だまし討ち。和平の酒盛りの最中にシャクシャインら主だったものたちが殺され、結局アイヌの抵抗は打ち破られてしまった。こうして蝦

   夷地は日本に組み込まれたんだね。ただ江戸時代は外国扱いだった。明治になって1869年に北海道と改められ、日本からたくさんの人が移住

   して森や原っぱを開拓して畑にしたんだ。

生徒:「アイヌの人はどうなったの?。」

教師:森や原っぱがなければ狩なんかできないだろ?。そして畑ができて町が出来、工場が出来。川もだんだん汚れて魚も取れなくなったんだ。そ

   んな中で無理矢理農業をやらされ、日本名を名乗らされ、日本語を話させられたんだ。

生徒:「アイヌ人って消えちゃったの?。」

教師:いや、消えてはいないさ。たくさん子孫はいる。・・・・・・・・・こうして日本列島は全部日本と言う国に統一されたんだ。

生徒:「ずっと戦争だったんだね。」

教師:えっつ、いつからいつまで?。

生徒:「弥生人が日本に来てから琉球や蝦夷地が日本になるまで。」

教師:そう言っても間違いないかもね。その戦いが終わったのはわずか100年ほど前にすぎないんだね。・・・・・・・・・・・・・・・

    じゃあ、最後の問題を考えてみよう。この単元の一番最初の問題だ。なぜ日本人には縄文顔と弥生顔とがあるんだろう。自分の考えをまとめ

    てみましょう。

(各自ノートに自分の意見を書く)

教師:では何人か考えを聞かせてください。・・・・・・・じゃあ○○さん。

生徒:「はい。縄文人が住んでいたところに弥生人が船で外国から渡ってきて、長い間戦争になって、縄文人は日本の隅っこのほうに追い出され、そ

    してそのあとは平和になって一緒に暮らしたんだと思います。で、縄文人と弥生人とが一緒にくらした所は結婚したりしたので顔が混ざってい

    き、弥生人が多いところは弥生顔が多く、弥生人が行かなかったところは縄文人だけですんでいたので縄文顔になったのだと思います。」

教師:はい。きちんとまとまっていますね。・・・・・他には?・・・・・・□□くん。

生徒:「はい。僕は弥生人と縄文人とが結婚して両方の顔が混ざったと言うところ○○さんと同じです。でも縄文顔と弥生顔があるのは、縄文人と弥

    生人とが別々のところに住んだからだと思います。」

教師:なるほど。別々の所に住んだね。理由は?。

生徒:「理由は弥生人は米づくり。縄文人は狩・採集なので、暮らし方が違うからです。そりゃあ一部で戦争もあったと思いますし一部では最近まで続

    いたと思いますが、大部分のところでは別々に住んで、それで仲良くしたのではないかと思います。」

教師:なるほど。いろいろ考えられるものですね。ここはそれぞれで考えをまとめておいてください。ではこれでこの単元の授業を終わります。

 


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