<夢の浮世(改定版)F> 天は人の下に人をつくらず


教師:さて今日は、・・・・(フリップ「天は人の下に人をつくらず」を黒板にはる)

生徒:「あれ!!この前のと同じだ!!」「違うよ。今日のは人の下に人をつくらずになっている」「あっつ、ほんとだ!」「前の時間の続き?」

教師:そうだね。続きでもあるね、江戸時代のまとめだからね。・・・・じゃあ今日も最初に復習問題をやってみよう。

各自復習問題にとりくむ

○復習:「江戸時代の政治のしくみはどうなっていたか?」

 江戸に幕府を開いた【@     】は、各地の政治は【A    】に任せたが、【B       】などのきまりを作って【A】を統制し、日本の【B    】を守ろうとした。そして【A】を統制したり、さまざまなきまりをつくる幕府の政治は、徳川氏に昔からしたがってきた【C    】大名の話し合いにまかせ、将軍などが勝手に政治をできないしくみを作った。その一方で農民や町人(商人・職人)やかわた・ひにんなどの庶民にたいしては、それぞれの村や町は【D     】という農民の代表や【E     】という町人の代表を中心とした人々の【F    】にまかせ、口出しをすることはなかった。

教師:そろそろいいかな?・・・・・・・じゃあ答えあわせをしよう。1番は誰のこと?。

生徒:「徳川家康!!」「家康!!」「たぬきおやじ!!」(爆笑!!)

教師:うん。徳川家康だね。・・・じゃあ2番。彼は各地の政治を誰に任せたの?。

生徒:「大名!!!」

教師:そう。大名だね。基本的には大名は自分の領地を治める権利を持っていたわけだ。だから日本という統一国家の中の自治権をもった国みたいなもんなんだね。・・・・でもこの大名はすべて勝手に政治をしてよいわけではなかった。どういう政治をしなければならないというきまりがあったんだね。それが3番。

生徒:「武家諸法度!!!」

教師:そうだ。武家諸法度。・・・そしておもしろいことに徳川家康は自分の子孫の将軍が勝手に政治をできないよう、幕府の政治を4番の大名に任せたんだね。4番はだれ?。

生徒:「譜代大名!!!」

生徒:「譜代ってどんな大名?」「徳川さんに昔から仕えていた家来の大名だよ」「あっそうか」

教師:そう。だから江戸幕府のしくみっていうのは、大名も将軍も勝手な政治はできないようになっていたんだね。

生徒:「頭いい!!!」(爆笑)

教師:そしてわりと忘れられていることなんだけど、村や町の政治には武士はほとんど口出しせず、農民や町人の代表にまかせたんだよ。

生徒:「えっつ、そうなんだ」

教師:そうなんんだよ。・・・・で、その代表だけど、5番。農民の代表をなんて呼んだの?。

生徒:「名主!!!」「庄屋!!!」「村役人!!!」「年寄り!!」(笑い!)

教師:うん。まとめていうと「村役人」だ。「年寄り」というのは室町時代の呼び名だけど、まあこういう村役人のことを「年寄り」と呼んだわけだ。・・・じゃあ町人の代表の6番。これは何と呼んだの?。

生徒:「町役人!!!」

教師:そう町役人だね。・・・そして次の7番。このように農民や町人の代表がどうすることに任せたのかな?。

生徒:「わかんないよ!」「わかった!!」「もしかしたら話し合い!!」「あっつそうだ話し合い!」「代表は複数だもんね!」

教師:そう。「話し合い」だね。今風の言葉で言えば自治だね。・・・その仕組みは資料集の84ページにのっているよ。見てごらん。

生徒:「町では町役人の中に年寄っていうのがいるんだね」「あっつほんとだ!」

教師:町のほうに昔の名前が残っているんだね。・・・それからこの資料に赤い枠があって、それぞれ『村政参加』とか『町政参加』って書いてあるけど、これは参加というより、文字どうりにこの人たちが村政や町政を行っていたんだよ。上にいる武士は、この町役人や村役人が困ったときだけ相談にのったり裁判という形で関わるだけなんだ。

生徒:「へえー!!」「自分たちで治めていたんだ」

教師:そういうことだ。・・・・じゃあ、ここで最初の問題。江戸時代は「自治の時代」と言っても良いくらいな時代なんだけど、その江戸時代の日本の中で、「自治を認められず、厳しい税のとりたてなどで苦しんだのはどんな人々か」。さあ、考えて見て。

生徒:「そんなのいたか?」「税金のとりたては厳しくなかったぞ!」

生徒:「質問!!。それって日本の中のこと?」

教師:もちろん日本の中さ。・・・正確には日本の外かもしれないが・・・。

生徒:「わかった!!」「余計にわからなくなった!!!!」(爆笑!!)

各自ノートに自分の考えを書く

教師:そろそろいいかな?・・・・・・じゃあみんなの意見を聞いてみよう。はい。△△くん。

生徒:「はい。僕はそれは「えた・ひにん」とか呼ばれて人間ではないと差別された人々だと思います。なぜならこの人たちは生活について厳しく規則で制限されていたから、きっと自治の権利もなく、税金も重かったのではないかと思います。」(同じです!の声。多数。)

教師:なるほど。差別された人たちね。・・・・はい。◎◎さん。どうぞ。

生徒:「今の意見はおかしいと思います。差別された人たちの仕事は死体を処理したり、牛や馬の皮から何か道具を作ったりすることだったとおもいます。」

生徒:「だから何だっていうんだよ!」

生徒:「人の意見は最後まで聞きなさい!・・・だからこの人たちの仕事は職人や商人みたいなもの。江戸時代の税金は主に農民にかかっていたわけで、商人や職人には税がなかったはずです。そうするとこの差別されて人たちには重い税はかけられていなかったのではないでしょうか?。」

生徒:「人間あつかいされていないんだから、他の職人や商人とはあつかいが違うんじゃないのか?。」

生徒:「そう言われると困っちゃうけど、江戸時代は税は農民にしかかかっていないのだから、農民じゃないこの人たちに税をかけるのはおかしいとおもうの。それに、江戸時代は身分の違う人たちがそれぞれその身分の中で話し合って国を治めるしくみだから、えた・ひにんといわれる人々だって一つの身分だから、この人たちの住んでいる村や町も、この人たち内部で話し合って治めていたと思うんだ。」

生徒:「じゃあ君はこの問いの答えはなんだと思うんだ!」

生徒:「私は、蝦夷地のアイヌの人とか琉球の人ではないかと思うの。理由は、この人たちは日本人ではないから。いろんな身分の違いはあっても同じ日本人には自治の権利も認められたし、重い税もかけられていなかったと思う。そうすると江戸時代の日本で、そうじゃない人って考えると、日本に属しながらも日本あつかいされていない所の人たちしかないんじゃないの。」(なるほど!!)

生徒:「先生。どっちが正解なの?。」

教師:うん。これは蝦夷地のアイヌの人や琉球の人なんだよ。ここは日本であって日本じゃないからね。

生徒:「植民地だ!!!」

教師:うん。そうだ。植民地だ。・・・じゃあ資料を配ります。(資料G「琉球・蝦夷の支配」を配る)

資料G「蝦夷」「琉球」の征服
 @薩摩藩(さつまはん) の琉球侵略

 秀吉の朝鮮侵略(ちょうせんしんりゃく)いらい、明(中国)は日本との貿易を禁止した。日明貿易で栄えた薩摩の港はさびれ、薩摩藩も収入の道をたたれ、財政難となっていった。
 1609年、幕府の許可を得た薩摩藩は3000の兵と船100を出して琉球を侵略した。武器をすてていた琉球はあっけなく占領され、国王や貴族100人が捕虜となり、薩摩に連れ去られた。

 薩摩藩は琉球王国に対して

 @奄美大島(あまみおおしま) などを薩摩藩にゆずること。

 A人質 を薩摩藩に差し出し毎年正月に将軍に使いを出す。

 B 国王や役人の任命は薩摩藩の承認が必要。

 C薩摩藩 の役人が琉球に常駐(じょうちゅう)する。

 D 年貢を薩摩藩に納める。

 ことを条件に形だけは独立を認めることとした。

 ○ サトウキビと年貢としての砂糖納入

  重い年貢と借金に苦しんだ琉球王国は日本では貴重品であった砂糖をつくり、それを年貢に代えることとした。

  ★ 砂糖の金額(100斤)

   ○琉球農民⇒琉球国王:銀20匁

   ○琉球国王⇒薩摩藩 :銀35匁

   ○薩摩藩 ⇒大阪商人:銀70〜100匁

 A松前藩 ・幕府の「蝦夷(えぞ)」支配

 1604年に徳川家康から蝦夷(えぞ)のアイヌ民族との交易(こうえき)の独占権をえた松前藩(まつまえはん)は、家臣や商人にアイヌの人々との交易をまかせ、その利益の一部を藩におさめさせるようにした。
 アイヌの人々は蝦夷地でとれた干したシャケやニシンやあわびなどや、熊やラッコの毛皮などや、中国やロシアと交易して手に入れた絹織物などを、日本人がもってきた米や刀などと交換して暮らしを立てていた。
 交易をまかされた武士や商人は、交易の利益が増えるように、アイヌの人々のもってくる品と交換する米や刀の量を半分以下に減らした。このために暮らしが成り立たなくなたアイヌの人々は、松前藩に訴えたが聞き届けてはもらえなかった。

 1669年アイヌの村長のシャクシャインの指揮の下に2000人のアイヌの人々が武器をもってたちあがり、日本人の武士や商人を殺し、蝦夷地から日本人を追い出そうとした。幕府軍の援助をえた松前藩はこれと戦い、仲直りの場をもうけると称してシャクシャインらアイヌの指導者55人をおびき出し、これを皆殺しにして、アイヌを押さえた。

 以後、アイヌの人々は村長を中心に村をおさめることも禁止され、松前藩の武士が見張る中で、日本人の商人が経営する魚場に無理やり連れていかれ、日本人の給料の20〜30パーセントの給料で働かされた。

教師:だれか「薩摩藩の琉球侵略」の所を読んでくれないかな?。・・・・はい。&&くん。お願いします。

生徒:「はい。読みます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

生徒:「琉球って武器を持っていなかったんだ」

教師:うん。中国や東南アジアの国々、そして日本などと貿易にして成り立っていたくにだから、武器を持たないということを国のきまりにしていたみたいだよ。

生徒:「そこに薩摩藩が鉄砲を持って攻めていったら、簡単に占領されちゃうね」

生徒:「薩摩藩が琉球王国に出した五つの要求は、琉球を植民地にしたのと同じだね。自治もないし重い年貢をとられるし。」

生徒:「なんだ。ヨーロッパの国がやったのと同じことをしたんじゃないか。」

教師:そう。同じことだね。

生徒:「しかも、年貢のかわりとして取った砂糖なんか薩摩藩のぼろ儲けじゃないか!!」「えっつ、どのくらい?」

教師:薩摩藩が琉球国王から年貢のかわりとして砂糖を受取った時は、1斤で銀で35匁。それを大阪の商人に売ったときは?・・

生徒:「銀70〜100匁!!」

教師:ということは、薩摩藩のもうけは・・・

生徒:「銀35〜65匁!!」「すごい!倍から3倍じゃないか!!」「おおもうけだ!!」

教師:そうだね。大もうけだ。逆に琉球国王が直接大阪商人に売っていればたくさんもうかったのに、それをそっくり取られたんだね。

生徒:「植民地ってそういうことなんだね。」

教師:そうだね。・・・じゃあ次の「松前藩・幕府の蝦夷支配」をだれか読んでください。・・・はい。▼▼さん。お願いします。

生徒:「はい。読みます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

教師:ちょっと聞いてみよう。・・・1669年にアイヌの人々が蝦夷地から日本人を追い出そうとした理由は何?。

生徒:「はい!!」「はい!はい!」「おれにあてて!!」

教師:「はい。おれ!」(笑い!)

生徒:「日本の武士や商人が、アイヌの人がもってくる品物と交換する刀や御米の量を半分以下に減らしたからです!」

生徒:「はい!ついか!!」

教師:はい。##さん。

生徒:「はい。それで暮らしが成り立たなくなったアイヌの人達が松前藩に訴えても聞いてくれなかったからです。」

教師:そうだね。

生徒:「それじゃ武器をもって立ちあがるのもあたりまえじゃないか!」

生徒:「仲直りとだまして指導者を皆殺しにするというのも酷いな!!」

教師:そうだね。

生徒:「貿易もできなくなって、日本人の経営する漁場でむりやり働かされるなんてそれじゃ奴隷もおんなじです!」

生徒:「質問!!」

教師:はい。@@さん。何ですか?。

生徒:「はい。蝦夷地で取れたシャケやニシンやあわび、そして毛皮なんかを日本人は手に入れてどうするんですか?。」

生徒:「馬鹿だな。売るに決まっているだろ!!」

生徒:「誰に?」

生徒:「日本人で、そういうものを必要としているやつに高い値段で売るんだろ。」「あっつ、そうか」

教師:それだけじゃないよ。あわびやこんぶなど一部の海産物は長崎から中国に輸出されてもいるんだ。中華料理の材料だね。そしてこれが長崎で日本がオランダや中国に売る主な品物だったんだよ。

生徒:「他に売るものがないんだ」

教師:そう。ない。日本は中国やオランダから、絹や砂糖やガラスなどを買うだけで、それだと貿易は赤字だったんだよ。

生徒:「なるほど!」

教師:じゃあ、今日の最後の問題だよ。「なぜ幕府や大名は蝦夷地や琉球を征服したのか」。これを考えて見よう。

生徒:「これは簡単だよ!!」「ちょろい、ちょろい!」

各自ノートに自分の考えを書く

教師:だいたい書けたら、班の座席に移して意見交換してごらん。

各班で討論する

教師:そろそろいいかな?・・・・・。じゃあ、2班。お願いします。

生徒:「はい。うちの班では、日本ではとれない砂糖やいろんな海産物や毛皮などを手に入れて、それを売ってもうけるために侵略したんだということになりました。」(4班も同じ!。5班も同じ!)

生徒:「はい。補足!」

教師:はい。6班。

生徒:「はい。日本は中国やオランダとの貿易で赤字続きだったから、そういう日本にないもので中国やオランダに売れる物を手に入れて、それで貿易の赤字をなしにしようとしたのだと思います。」

生徒:「さらに補足!」

教師:はい1班。

生徒:「はい。それを売ってもうけるにはできるだけ手に入れるときにただに近い方がよいから、それで武力で侵略して征服し、蝦夷地や琉球の特産物を出きるだけ安い値段で取り上げたのだと思います。」

生徒:「要するに植民地が欲しかったんだ!!」

教師:なるほど。・・・・他には?。・・・はい3班。

生徒:「わたしたちは、ちょっと違うことを考えました。貿易のこともあるけれど、日本のまわりの国を日本の植民地にしておけば、ヨーロッパの国が日本を攻めてきても、すぐに日本が占領されることはないから、ヨーロッパの侵略を防ぐための壁みたいなものに琉球や蝦夷地をしようとしたのだと思います。それは豊臣秀吉が、朝鮮や中国やフィリピン・ベトナム、そしてインドまで征服しようとしたのと同じ考えじゃないでしょうか。」(なるほど!)

生徒:「秀吉がやろうとしたことよりずっと小さいけどね!」

教師:なるほど。そういうふうにとらえることもできるね。・・・・ということで、江戸時代という時期はとっても平和で豊かな時代だったけど、日本の中に新しい差別も生まれていたし、日本は蝦夷地や琉球には、ヨーロッパが他の国に対してやったのと同じように植民地にするということをやっていたのであり、今日本になっているこの地域の人々には、江戸時代というのは、平和でも豊かでもない時代だったということだね。
 じゃあ、江戸時代のまとめはこの辺で。まとめの問題は、もう大丈夫だね.・・・・次回からは、その江戸幕府の体制が揺らいでいった時期にことを学ぼうと思っています。では今日は終わります。


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