夢の浮世3時間目 旅は道連れ世は情け@


 さて今日は、江戸時代の旅について学習しよう。まず教科書のp134の「深める歴史7・街道と港」を出してください。

 一番上の絵は誰が旅しているところを描いたのかな?。「朝鮮通信使!」「朝鮮から幕府に将軍に出された使いの人!」 そうだね。将軍が変わる

たびに海を渡って日本に派遣され、京都から江戸までは東海道を使い、途中の宿にはたくさんの日本人が外国の知識を求めて訪れたそうだ。

 じゃあ、2番目の絵に行ってみよう。

 これは何だ?。「大名行列!」 そうだね。ところで何で大名が行列を組んで旅をするのかな?。「参勤交代!」「江戸と領地を往復する!!」

そうだね。参勤交代のためだ。大名は250人ぐらいいたけどそれを半数に分けて、交代で1年間江戸城に詰めさせたんだ。そしてその一年がすむと

領地に帰る。そして次の一年は領地に居るわけだけど、その終わり近くになるとまた江戸に向かって旅をするんだね。その参勤交代のための大名

の行列も街道を毎年旅していたんだ。

 では最後に3番目の絵に行ってみよう。

 最後の絵は何だ?。「伊勢参りの群集!!」 そうだ。その人たちの格好を見てどんな身分の人かわかるか?。「普通の人!」「武士じゃあない!」

「農民!」「町人!」 そうだ。そう言う人だね。ところで伊勢参りって何処に何しに行く事?。「伊勢!」 そうだ。そこに何しに行くの?。「お参り!」

そうだね。じゃあ、お参りって何しに行く事?。「御願い事をしに行くの?」 その通り!!。と言う事はそこに何があるのかな?。「神社!」「お寺!」

「神様!」「仏様!」 なるほど。そうだ。そこにはね、伊勢皇太神宮といってね、天皇さんの先祖である天照大神が祭られた神社があるんだ。この神

様は日本で一番えらい神様でとっても信仰されていてあっちこちにそれを祭った神社がある。二子の二子神社もそうなんだ。「へえー、知らなかった」

その本家である伊勢神宮にお参りすることがこの時代はやってね。たくさんの人がお参りしたんだ。1年に何人ぐらいお参りしたのかな?。

「480万人!!」 そうだね。この時代の日本人は全部で3000万人ぐらいだから、6人に一人ぐらいがお参りに行った計算になる。もっとも伊勢参

りだけではなくあちこちの神社やお寺にお参りする旅が流行ったんだ。たとえば川崎信用金庫のところの道路何ていったっけ?。「大山街道!!!」

その大山って何?。「大きな山?」「わかんない!!」 あの道をずっと進んで行くとね、丹沢という山地があってそこの高い山が大山。そこには南関

東全体に雨を降らす神様がおられてね、そこにお参りすることが流行ったんだ。ほんとうはあの道の名前は矢倉沢往還という。でもたくさんの人が

あの道を使って大山まで行ったもんだから大山街道って呼ばれるようになったんだよ。「へえー!!」

 じゃあ今日はその伊勢参りの旅の様子を、江戸時代の有名な小説で見てみよう(資料Bを配る)

 東海道中膝栗毛という小説でね、弥次郎兵衛と北八という町人が江戸に居られなくなって家財道具全部を売り払って伊勢まで旅をするという話

だ。江戸の日本橋をたって東海道をずっと下り、伊勢山田というところの伊勢神宮にお参りするまでのおかしな旅を描いた小説だ。その地図の丸印

は宿場町。そのうち黒丸は二人が泊まったところ。全部で何泊?。「13泊!!」 つまり2週間かけて歩いて行ったと言うわけだ。「えっつ。歩く

の?。疲れたらどうするの?」 疲れたら途中の茶店で休めばいいし、歩くのがいやなら馬や駕籠に乗れば良いんだ。「いくら?」 それは資料Bの2

の「江戸時代金銭メモ」を見てご覧。

資料B−2 江戸時代金銭メモ

○旅の諸経費(東海道中膝栗毛より)

       @宿代         :一人200文(4000円)

       Aかご代(平塚⇒小田原):200文(4000円)

       B風呂釜代       :2朱=812文(16240円)

       C酒1合        :32文(640円)

       D菓子         :3文(60円)

       E砂糖餅        :3文(60円)

       F川渡し(おぶう)   :一人64文(1280円)

           (蓮台)    :二人600文(12000円)

       G乗合船(浜名湖)   :一人4文(80円)

       Hわらぞうり      :14文(240円)

  ○1両=12000円として計算

     1両=4分=銀16朱=6476文       1文=約20

        1分=銀4朱   

           銀1朱=406

 「200文!」 そうだね。200文。平塚小田原間だから30kmぐらいかな。いまでいうと4000円ぐらいだ。そうやって旅をするんだね。ではその東

海道中膝栗毛の本文を読んでみて当時の旅の様子をつかもう。

 や え にせざむらい

 弥次郎兵衛の偽侍

 大井川は駿河(静岡県中央部)と遠江(静岡県西部)の国境にあって、江戸の頃、「あの世とこの世の境を見るようだたといって怖がられた。

 大雨が降ると、そのたびに川の流れが変わった。西のほうへ流れて、金谷の山際まで流れたことがあったし、東へ流れて嶋田の街を水びたしにしたこともあった。川幅がー里にも拡がって、そのー里の間がいくつにも分かれて、小さな川が流れたこともあった。川の姿が定まらないので、橋をかけることができなかったし、渡し船もなかった。弥次郎兵街、北八は、想像以上の大川を目の前にすると、昨日、安倍川で恐ろしい目に遭ったのを思い出した。

「これだけ人目が多いから、わざと深いところをよって渡って、怖い目に遭わせたりはできないだろうよ」

「わざとしなくても、見ろ、あれを」

 と、北ハが指差したのを見ると、はるか向こうで、人足が肩まで川につかって、客をはこんでいた。あれでは今にも川に落ちそうで、客はさぞ怖い思いをしているだろう。

「旦那ア、お安くしますよ」

と、人足が寄ってきて言った。人の肩で渡るのは怖いので、

「蓮台でいくらだ」

と聞いた。蓮台というのは、四方へてすりのついた台の上へ客を座らせて、四人の人足がかつぐのである。

「二人乗りの蓮台で、八百文いただきます」

 旅館の泊まりがニ百文、飯盛女をー晩買ってもニ百文、それだのにハ百文は高すぎると思って、弥次郎兵衛が、

「俺は歩いて渡るよ」

と言った。事実、ぬいだ着物を風呂敷に包んで、頭の上へくくりつけて、歩いて渡っている男がいた。

 人足は、「へ、へ、へ」と馬鹿にしたように笑って、

「渡れるものなら渡ってみなよ。土左衛門になったら、拾いあげて、土手の南瓜のこやしにすらア」

と、憎まれロをたたいて行ってしまった。

「弥次さん。ほんとに歩いて渡る気かよ。おいらは嫌だ」

「俺だって嫌だよ」

と弥次郎兵衛はせせら笑ってから、

「北ハよ。お前の道中差を貸しなよ」

 旅行中は町人でも、護身用に脇差を差していた。護身用といっても、日頃刀を使うことのない町人、百姓が刀を持つと、すぐ刀に頼るのでかえって危ないといわれた。だから旅人は、誰でも刀を持つわけではない。が、弥次郎兵衛、北八は、道中差を差していた。

「貸せと言われりや、貸さないこともないが、いったい道中差をどうする気だよ。道中差で人足をおどかして、安く乗ろうなんぞと考えたら、とんでもないことだ。大井川の真ん中まで来て、川の中へほうり出されたら、おいらは泳げないから、南瓜のこやしにされてしまうよ」

「お前の道中差を借りて、俺は侍になるんだよ」

「侍に?

「見ていろよ」

 道中差には、ひきはだという袋がかぶせてあった。袋がないと、雨が降ったとき刀が濡れてさびるからだ。また、転んだりすると刀が抜けて、自分が怪我をすることがあるからでもある。弥次郎兵衛は、自分の脇差のひきはだをひっぱって後ろへのばして、長脇差のように見せかけてから、北ハの脇差も差したので、侍が大小を差しているように見えた。

「侍になって、問屋で川越えをすらア」

 宿場宿場にはかならず問屋があって、馬も駕寵も問屋の世話で次の宿場まで乗ることになっていた。大井川には川越えの問屋があった。問屋は料金が決まっていた。つまり公定料金だから、ふんだくられる心配はなく、また、普通の料金より安かった。しかし、大名行列が主なお得意で、武士は個人的な旅行でも問屋を利用できたが、百姓、町人は立ち寄れなかった。つまり、問屋は徳川幕府が大名行列のためにもうけた制度であった。

「北八、お前は俺の供になって、俺の荷物もー緒にかついできなよ」

「えへへ、これは大笑いだ。うまくゆきますかね」

 それでも北人はニ人分の荷物をかついで、弥次郎兵衛に従った。弥次郎兵衛は問屋の店先へ来ると、言葉まで侍言葉になって、

「身どもは大事な主用でまかり通る。川越し人足を頼む」

と、ふんぞりかえって言った。番頭は偽侍とは気づかず、

「はい、かしこまりました」

と言うと、さっそく帳面を出して、片手に筆を持って、

「お荷物は、いく駄でございますか」

 つまり、何頭の馬に荷物を乗せてきたかと聞いたのだ。弥次郎兵衛は、まさかこんな質問

をされるとは思いもしなかったので、あわてふためいたが、いまさらひっこみがつかないので、落ちついたふうに装って、

「十五駄ほどあったが、道中が邪魔だから、江戸表へおいてきた」

 番頭はおかしなことを言う侍だと思ったが、それでも大真面目な顔で、

「お侍衆の人数は?

「侍が十二人、槍持ち、はさみ箱(身のまわりのものを入れて供に持たせる木製の箱)、草履取り、合計三十人余りじゃ」

「その三十人余りのお方の姿が見えませんが・・・・」

「江戸表を出立したときは、それだけの人数だったが、途中ではしかにかかって、宿場宿場へ病人を残してきた。今は主従二人じゃ。二人乗りの蓮台を頼もう」

 番頭は、弥次郎兵衛の様子が普通ではないのがわかったが、それでも相手は客だから、

「四百八十文でございます」

 ハ百文と言われたのが、四百八十文になったのだから、三百二十文の儲けである。それで

おとなしく乗ればよかったのに、いつもの癖で、

「それは高値じゃ。ちとまけとけ」

 番頭はむっとして、言葉まで急に乱暴になって、

「大井川の渡し賃に、掛け値を言うことはねえよ。馬鹿を言わずに早う行くがいい」

「侍に向かって、馬鹿を言うなとは無礼な」

「ハハハハ、おかしな侍じゃ」

「武士を朝弄するとは、ふとどきせんばん」

「なんの侍なもんか。腰の刀の鐺(刀のさやの末端)を見るがいい」

と言われて、弥次郎兵衛が腰の刀を見ると、袋だけで中身のない長刀の先が、入りロの柱につかえて曲がっていた。まわりにいた川越し人足たちが、声を揃えて笑いながら、

「曲がった刀を差した侍がおるわ」「どうやって刀を抜くのかな」「珍しい侍だ」などとはやしたてた。番頭は、

「貴様ら、問屋を騙しにきたなツ。ただではすまんぞ」

 そばから北八が、

「弥次さん、逃げよう。このぶんでは袋だたきにされるよ」

と、弥次郎兵衛の手をひっぱった。あわてて問屋を出た弥次郎兵衛は、

 出来あひのなまくら武士のしるしとて

             刀の先の折れて恥づかし

と、即座に狂歌を詠んだ。それを聞いた番頭や人足たちが笑い出したので、弥次郎兵衛、北ハは咎められることもなく見のがしてもらえた。弥次郎兵衛は、

「やりそこなった。いまいましい」

と、ぶつぶつ言いながら、大井川の河岸へ帰ってきた。大井川は渡る人が多いので、すぐそばで旅人が川越し人足と交渉しているのが、こっちへ聞こえてきた。それを聞いてから、ニ人乗りの蓮台を六百文で決めて、無事に大井川を渡った。川べりから眺めたときは、これほどとは思わなかったが、蓮台の上から下を見ると、流れのすさまじさに目がまわるようであった。

 蓮台に乗りしはけつく地獄にて

            降りたるところがほんの極楽

と、いつものように、弥次郎兵衛はまた狂歌を詠んだ。

という旅だったんだ。じゃあ、ノートにそって江戸時代に旅の様子をまとめておこう。

どこに泊まったのかな? 「宿場!」「宿場の宿屋!」 そうだね。で、その宿泊代金は一人一泊いくら?。「一人200文!」「今の4000円ぐらい!」

そうだね。ところでちょっと江戸時代のお金について勉強してみよう。資料集のp95をあけてごらん。

 一番右の「寛永通宝」というのが「一文銭」だ。真中の「一朱銀」が「一文銭406枚分」のお金、その上の「一分銀」が「一朱銀4枚分」のお金。一文

銭でいえば406×4倍、つまり「一文銭1624枚分」のお金だ。まあ普段はここまでのお金しか使わない。その二つ上のお金の「小判」になると「一文

銭6476枚分」だからかなり高額のお金になるんだ。さっきの宿泊代を「一文銭」ではらうと何枚はらうの?。「・・・・400枚!」「二人で800枚だ!」「うへ

ー、重そう!!」 そうだね。今の5円玉よりちょっと重いぐらいだからすごい量と重さだ。もう少し少ない数のお金ではらうとすると?。「一朱銀1枚は

らって6文のおつり!」 そうだ。計算が早いな!!。二人分だと?。「・・・・一朱銀2枚で12文のおつり!!」 そういうことになるな。

 じゃあ.次。旅は歩きが基本だが、疲れたら何に乗る?。「かご!」「馬!!」「牛!!!!」 残念ながら牛には乗らない。牛は荷車を引っ張るだ

けだ。で、駕籠代っていくら?。「200文!」「平塚から小田原までで200文!!」 そうだ。ということは「一文銭」で何枚?。「200枚!」 そうだ。「一朱

銀」ではらうと?。「・・・・一朱銀一枚で206文のおつりだ!!」「おつりの枚数が多いよ!」 ほんとだね。

 で旅の途中で疲れたらどこで休む?。「宿屋!!」 それから?。「茶店!!」 そうだ。茶店って何売っているんだろう。「だんご!!」 だけか

な?。「お茶!!」 たぶんそうだね。でもそれだけじゃないぞ。「お酒も売ってる!!」「お菓子も売ってるぞ!!」 お酒いくらだ?。「一合32文!」

お菓子は?。「1個3文!!」 そういうことだね。

 で橋のない川を渡るときはどうするんだっけ?。「自分で歩いてわたる!」 うん。それがいやだったり大変だったら?。「人足におぶってもらう!」

うん。それいくらだ?。「一人64文!!」 そうだね。「一文銭」ではらうと何枚。「64枚!!」「めんどくせー!!」 ほんとだね。枚数が多くて。そして

楽をして川をわたろうと思ったら?。「蓮台に乗る!!」 いくらだ。「二人で600文!!」 一文銭ではらうと? 「600枚!」 一朱銀で払えば?。

「・・・2枚で206文のおつり!」「・・・1枚と394文払えばいい!」 「うーっつ面倒くさい!」 ほんとだね。

 ところで、かごや馬や蓮台を手配する問屋というものが宿場や川にはあるけど、これを利用できるのは武士だけだったね。なんでだ?。

「参勤交代のためにつくったから!!」 そうだね。参勤交代というのは大名が江戸に1年毎に交代で詰めることで、そのために行列を組んで江戸と

領地とを往復しなければならなかったわけだ。そのために街道はつくられたし、問屋もつくられたわけだ。

 では最後の問題。旅にはたくさんのお金が必要だけど、それを全部「一文銭」で持って行ったのだろうか?。

「・・・・・・・そんな重いよ!」「じゃ、どうするんだ!!」「紙のお金!」「そんなのあるのかよ」「資料に書いてあるじゃん」「藩札ってやつか?」「そうだよ」

残念ながら藩札はそれを発行した藩の中だけしか通用しないんだ。「・・・小判1枚持って行った!」「どうするんだよ。12万円だぞ。おつりが大変だ」

そうだね。今なら大きなお金しかなかったらどうする?。「銀行で替えてもらう!」「銀行なんかあるのか??」

 そう。あったんだ。「銀行が?」 銀行とはいわない。お金を小さいものに替えることを何て言う?。「・・・・・両替!!」 そうだ。よく知ってるな。

両替商というんだ。当時の銀行のことを。宿場宿場には両替商がいてね、宿に泊まると両替商が『両替の必要はありますか?』て来るんだ。

「へえーっつ。便利だね」 いや、もっと便利だぞ。お金なんか持って行かないんだ。「どうするの?」 今ならどうする?。「キャッシュカード!!」 そう

だね。そのキャッシュカードみたいなものがあったんだ。両替商にお金を預けてその証明書をもらう。それを持って旅をして必要になったら両替商で

お金に替えてもらうんだ。いや持って行かなくてもお金が足りなくなったら家へ手紙を送ってそのお金を預けた証明書を送ってもらえばいいんだ。

「郵便で?」「違う飛脚だ!!」 そう飛脚でね。その証明書を『為替』っていうんだよ。「便利なもんだね」 ほんとだね。

板書事項

@どこに泊まったか?:宿場の宿 A宿泊代金は?:一人200文
B旅は歩き。でも時々何に乗る?:馬・かご 代金は:200文
C途中で疲れたら?:茶店で休む
D橋のはい川を渡るときは?:人足におぶってもらう 代金は:64文
                   蓮台に乗る       代金は:600文
E問屋を利用できるのは武士だけ。なぜ?:参勤交代用につくったから
F旅に必要なお金は持って行ったか?:細かいのを少し、あとは大きなお金または為替
             ※「両替商」という銀行があった

 では今日はここまで。ノートの問いは次の時間にやろう。

 


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