<泣く子と地頭には勝てぬ>F 侍が武者になる日
教師:さて今日は武士と貴族の関係について考えておきたいと思います。ちょっと前の所を復習しておきましょう。平安時代では貴族と武士のどちら
が身分が上だっけ?。
生徒:「貴族!!!」
教師:そうだね。貴族。そして貴族と武士はどんな関係にあったのかな?。
生徒:「家来!!!」「武士は貴族の家来!!!!」
教師:そうだね。武士は貴族の家来。・・・・・・だからなんと呼ばれたんだっけ?。
生徒:「侍!!!!!」
教師:そうだ。侍。・・・・・侍ってどう言う意味だっけ?。
生徒:「さぶらう人!!!」「従う人!!!!」
教師:そうだね。貴族に従う人という意味で侍と呼ばれたわけだ。・・・そして武士は侍になって貴族のために何をしたのかな?。
生徒:「ガードマン!!!」「ボディーガード!!!」「戦争!!」「人殺し!!!」「税の取りたて!!!!」「土地を寄進した!!!」
教師:そうだね。いろいろ大変な仕事をした。その中で武士は自分の土地を貴族にあげ、年貢を払ったんだね。これを寄進という。・・・・・では最後の
問題。武士は貴族に土地を寄進したり家来となってさまざまな仕事をしたが、それは何のためだっけ?。
生徒:「土地を守るため!!!!」「国司にたくさん税を取られないため!!!」
教師:そうだね。自分の土地を守りできるだけ税を少なくするためだね。そのために貴族に従い侍と呼ばれたわけだ。そして貴族は武士に話しをす
るときも直接話し掛けず、主人の貴族は部屋の中、家来の武士は庭の土の上に土下座というような差別的な扱いをしてきたんだね。・・・・・今
日はその侍が武者と呼ばれるようになっていくところを学習しようと思います。
生徒:「質問!!!。武者ってなんですか?。どう言う意味?。」
教師:良い質問だね。武者って言葉を知っているかい?。
生徒:「影武者!!!!」「騎馬武者!!!!」
教師:そう。良く知っているね。・・・では武者ってどんな意味だろうね。
生徒:「武力を持った人!!」「強い人!!!」
教師:なるほど。・・・・そうかもね。今日はこのことと、どうして武士の呼び方が侍から武者に変わったのかを考えてみたいんだ。・・・・・では最初に資
料を配ろう。平安時代の終わりごろに実際にあった事件なんだ。(資料7:殿下の乗合を提示する)
<泣く子と地頭には勝てぬ>資料F:殿下の乗合(平家物語より) 1169年10月16日。平清盛の孫の資盛(当時13才)が、家来30騎ばかりをつれて鷹狩に行っ た帰りのことでした。夕暮れの薄やみの中を引き上げてくる途中で、摂政殿下藤原基房公の行 列に出会いました。 「何者か。無礼であろう。これは摂政殿下のおいでである。乗り物から降りろ、降りろ。」 摂政殿下のお供の人々はそう叫んだが、資盛はお供の侍どもと馬から降りる礼もせず,その まま駆け破って行こうとしました。あたりは暗いし、平清盛の孫とも知らず、摂政殿下のお供 の人々は、資盛をはじめ、そのお供らをみんな馬から引きずり落とし、なぐったりけったり、 散々な目に会わせました。 資盛らは、ほうほうの体で屋敷に逃げ帰り、おじいさんの平清盛に、このことを訴えまし た。清盛はかんかんに怒って、 「たとい摂政殿下であろうとも、この清盛の身内には遠慮すべきであるのに、幼いものに恥 をかかせるとは、無念しごく。このあだ討ちはしないではおかんぞ。」 と言いました。そして家来の武士たちをよび 「21日の天皇御元服の儀式のことを決めるため、摂政殿下は内裏(ー天皇の住む宮殿―)に むかわれるはずである。どこかで待ち受けて、供のもの全員のもとどり(髪をたばねて結 ったところ)を切り落とし(もとどりを切るということは大変あいてを馬鹿にしたこと) 、資盛の恥をすすげ。」と命令された。 摂政殿下は行列を美しく飾り、内裏に向かわれようとしたところ、かぶとをつけた平氏の武 士ども300人あまりが待ち受け、摂政殿下の行列をかこみ、いっせいに襲いかかりました。そ して供の者全員を取り押さえ、ひとりひとりもとどりを切り取り、摂政殿下の車に弓を突き入 れたりすだれをかきおとすなど、さんざんに乱暴をはたらきました。 おそろしさのあまり摂政殿下は車の隅でおびえ泣いておられたそうです。 |
教師:さて、資料を読んでみると、この話しに出てくる平清盛や孫の資盛、そして家来の武士たちが、貴族で一番偉い摂政殿をどう見ているかがよく
わかるね。・・・自分の考えをノートに書いてみよう。
(各自ノートに自分の意見を書く)
教師:では発表してもらおう。・・・・・○○さん。お願いします。
生徒:「はい。馬鹿にしているという感じです。」
教師:なるほど。馬鹿にしているね。・・・・では他に・・・はい。□□くんお願いします。
生徒:「はい。貴族のくせに威張るんじゃあない。という感じです。たいしたことも出来ないくせに威張るなと言う事だと思います。」
教師:貴族のくせにね・・・・・。他にあるかな?。・・・・・・・・ということは武士の貴族に対する意識が変わっていますね。
生徒:「武士が上になっている!!!」
教師:そうですね。身分はいまだに貴族が上だけど、武士の意識の中では武士が上になっていますね。・・・ではここで問題です。武士の貴族に対す
る意識が変わったのはなぜだろう。・・・これが今日の課題です。ノートに自分の考えを書いてください。
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:書けたかな?。・・・・・じゃあ、班にして討論してみよう。
(班毎に討論する)
教師:だいたいよさそうだね。では発表してもらいましょう。・・・・・はい。1班。お願いします。
生徒:「はい。武士は汚い仕事ばかりやらせて自分は何もしない貴族の態度に切れたんだと思います。」
教師:なるほど、切れたね・・・・。どんなことを汚い仕事だと考えたのかな?。
生徒:「全部です。ボディーガードもガードマンも戦争も人殺しも全部命がかかった危ない仕事です。それに税を集めるのだって危険だし人の恨みも
かいますから。」
教師:なるほど。危険で人の恨みをかうね・・・・・。他にあるかな?。・・・はい、6班。
生徒:「1班と似ているんですけど、貴族は何もしないでただ威張っているばかりなので武士が頭に来たんだと思います。」
教師:なるほど、貴族は何もしないで威張っているだけね。・・・・他には?。・・・・はい4班。
生徒:「はい。貴族は良い暮らしをしているけど、それは武士のお陰だということに武士が気がついたんだと思います。なのに貴族は武士を同じ人間
としてあつかわないのに武士が怒ったのだと思います。」
教師:同じ人間として扱わないって何をさしているの?。
生徒:「直接話しかけないとか、土下座させるとかいうことです。」
教師:なるほど。自分たち武士のお陰で良い暮らしをしているのにおなじ人間としてあつかわない貴族に怒ったわけですね。・・・他には?。はい、3
班お願いします。
生徒:「はい。貴族は武士なしでは何も出来ないということに気がついたんだと思います。」
教師:なるほど。で、具体的には何をさしているの?。
生徒:「はい。自分の身も守れないし、税だって武士に取ってきてもらっているんだし、そういうことです。」
教師:なるほどね。貴族は武士のお陰で生きていられるということですね。・・・・うん。・・・他には?。はい、2班。
生徒:「貴族なんて弱虫だと言う事が分かったんだと思います。貴族は戦争もできないし、どこに行くにも武士についてきてもらわないと行けないほど
の弱虫でしょ。そんな貴族に頭下げて家来やってるのがいやになったんじゃあないでしょうか?。」
教師:なるほど。家来やってるのがいやになったね。・・・・あとは5班かな?。
生徒:「はい。ほとんど言われてしまったんですが、武士は自分のほうが強いということに気がついたんだと思います。だから貴族を馬鹿にし始めた
んでしょう。」
教師:なるほど。・・・・・皆の意見をまとめた形になったね。・・・・・武士は自分の方が強いことに気づいた。・・・つまり自分の何に目覚めたのかな?。
生徒:「自分の力!!!!」
教師:そうだね。自分の力。武士はそれに目覚めたんだね。・・・・実は武士が自分の力に目覚めるきっかけとなった事件があるんだよ。それはね、
保元・平治の乱とよばれる事件なんだ。・・・その資料を配ります。(資料8:保元・平治の乱を配る)
<泣く子と地頭には勝てぬ> 資料G:保元・平治の乱(天皇の位をめぐる争い) ★鳥羽上皇により無理やり天皇をやめさせられ、自分の息子を天皇に出来なかった崇徳上皇 は、鳥羽と弟後白河をうらんでいた。 1156年7月2日 鳥羽上皇が死ぬと崇徳上皇と後白河天皇の対立はふかまり、崇徳上皇 は源為義(みなもとためよし)・らの武士を集め、後白河天皇は源義朝 (みなもとのよしとも)・平清盛(たいらのきよもり)らの武士を集 め、両派は激突した。後白河派が勝つ。(保元の乱) 1158年8月 鳥羽上皇の一族の圧力で後白河は天皇をやめ二条が天皇に即位する。 このため後白河と二条のあいだに争いがおこる。 1159年12月 二条派の藤原信頼(ふじわらのぶより)が後白河派の藤原信西(ふじ わらしんぜい)をのぞこうと源義朝(みなもとよしとも)の武力をたよ り、天皇と上皇を幽閉し、権力を握ろうとする。しかし危険を感じた他 の二条派の貴族が天皇と上皇を脱出させ、平清盛(たいらのきよも り)の武力によりこれを鎮圧する(平治の乱)。 しかし後白河と二条の対立はまた深まる。 1161年 後白河と平滋子(たいらのしげこ)の間に皇子高倉が生まれる。 1165年7月 二条天皇が死に鳥羽上皇の一族の圧力で息子の六条が即位する。 1168年2月 清盛の助けをえた後白河上皇は二条の子六条を退位させ、自分の子の 高倉を天皇に即位させる。 ★こうして自分の子を天皇にした後白河は院政をしき自分の権力を確かなものにした。 |
教師:これが保元・平治の乱という事件なんだ。じゃあノートの最後にあるまとめの問題をやってみよう。
○まとめ 【 @ 】の地位をめぐる争いである【 A 】を勝ちぬいて 【 B 】は自分の権力をたしかなものにした。 それは【 C 】を頭とする【 D 】の力があったからである。 |
教師:では、答えあわせをしよう。・・・・@に入る言葉は?。
生徒:「天皇!!!!」
教師:そうだね。ではAに入る言葉は?。
生徒:「保元・平治の乱!!!!」
教師:はい。そのとおり。・・・・ではBに入る言葉は?。
生徒:「後白河!!!!」
教師:正解です。・・・ではCは?。
生徒:「平清盛!!!!!」
教師:そう。正解です。・・・・だは最後のDは?。
生徒:「武士!!!!!!」
教師:そうです。・・・・・つまり後白河が自分の息子高倉を天皇にして自分が上皇として権力を振るえたのは誰のおかげ?。
生徒:「武士!!!」「清盛!!!!!」
教師:そうですね。清盛を頭とする武士の力。武士はこの戦いで一族が敵と味方に別れ、たくさんの死傷者を出したんだ。・・・・この後白河上皇・高
倉天皇の下で摂政となったのがさっきの殿下の乗合の藤原基房なんだ。つまり清盛にしてみれば、藤原基房が摂政でいられるのは誰のおか
げかというと?。
生徒:「清盛のおかげ!!!!」
生徒:「だから清盛は怒ったんだ」
教師:そういうことです。・・・・そしてこのような中で貴族たちは武士のことを侍ではなく武者と呼ぶようになったんだね。・・・ということは武者ってどん
な意味なのかな?。
生徒:「武力を持った強いやつ!!!」「武力を持った怖いやつ!!!」
教師:そう。そのとおり。貴族は自分に従わない武士のことを恐れるようになったんだね。だから武者と呼ぶようになったんだ。
わかったかな?。・・・・では今日の授業はこれでおしまい。