年貢さえすませば・・・・・・A 都が燃える
教師:では、今日は・・・(フリップを黒板にはる)・・・・室町時代ってどんな時代なのかを考えてみることにします。
生徒:「えっつ、、都が燃えるの?」「何で?」「戦争じゃない?」「やだな?」
生徒:「先生。室町時代って戦争が多い時代なのですか?。」「それじゃ南北朝時代とかわならいじゃない。」
教師:うん。そうだけど。・・・・・ちょっと、違うんだな。・・・・・まず、資料を見てください。室町時代の政治のしくみについての。(資料A「室町時代の政治のしくみ」を配る)
※太政官(だじょうかん):貴族の会議。天皇に代わって政治を行う。 ※八つの省:国をおさめる役所。下級貴族が太政官の下で仕事をする。 ※寺社(じしゃ):天皇や貴族が建てた寺や神社。僧や神主は貴族で 数万人の僧兵(兵隊)を持ち、広い領地を持っていた。 ★守護は幕府が出した半済令(貴族の荘園の年貢の半分を差し押さえ、 兵糧米として使って良いという法律)をつかって諸国の武士(地頭)たち を家来にして貴族の荘園の実権もにぎり、数千人の兵隊を持つ大きな 力を持った。 |
教師:これが室町時代の政治のしくみだよ。
生徒:「なんだ。天皇や貴族はまだえらいんだね。」「それじゃ昔とかわらないんじゃん。」
教師:そう見えるよね。・・・・・でも良く見てごらんよ。特に税金の流れを。
生徒:「あっつ、わかった!!。はい!はい!」
教師:はい。●●くん。
生徒:「はい。ほとんどの年貢が守護という人の所をとおって、将軍や太政官や天皇や摂政関白、そして院の所に行っています。」
生徒:「守護って何だっけ?」
生徒:「国々の武士をまとめて警察をする御家人のことだろ」
教師:うん。そうだね。・・・・ちょっと資料の下の方の説明で、守護の所を読んでご覧よ。
生徒:「えっつ、何。幕府は、貴族の荘園の年貢の半分をとっても良いという法律なんかを出したんだ。」「何何、どれ?。」「あっつ、ほんとだ。」
生徒:「それで貴族の荘園の実権を握り、たくさんの武士を家来にして数千人の兵隊をもったんだって。」
生徒:「室町時代は武士のほうが強かったんだね。」
教師:そういうことだ。・・・そしてその守護を任命する力を持っていたのが将軍なんだね。室町幕府の将軍。足利尊氏の子孫たちだよ。
生徒:「先生!、管領ってなんですか?。」
教師:そうそう、説明を書いて置かなかったね。・・・これはね、将軍の代わりに政治を行う人で、有力な守護で、将軍の親戚であった四つの家の主が交代で務めたんだ。
生徒:「それじゃ、鎌倉幕府の執権みたいなもんだね。」
教師:そうだね。・・・でもちょっと違うよ。
生徒:「はい。わかった!!」
教師:はい。□□さん。
生徒:「はい。鎌倉幕府の執権は北条氏だけがなれたけど、管領は四つの家が交代ということだから、ちょっと力が弱いと思います。」
教師:うん。良いところをついているね。・・・それにね、良く見ると、管領の下にある侍所や問注所、政所を見ると、これらの役所は全国の武士に命令できる形になっていないでしょ。
生徒:「うん、ほんとだ。」「じゃ、だれが全国の武士に命令するの?。」「それぞれの守護が命令しているんじゃないの?。」
教師:そう。そのとおりだね。幕府の管領は全国の一人一人の武士に命令はできないんだよ。それぞれの武士は、その地方を治める守護の家来になっていて、その守護の命令で動くんだね。だから管領は、鎌倉時代の執権より、ずっと弱い力しか持たないんだよ。それでね、このような大きな力をもった守護のことを、守護大名と呼んでいるんだよ。
生徒:「じゃあ、幕府って何をするの?。」「幕府ってどこを治めているの?。」
教師:良し質問だね。・・・幕府が治めているのは、つまり将軍が治めているのは事実上、都である京都の町とその周りだけなんだよ。
生徒:「へーっつ!!」
教師:そしてね、幕府、つまり将軍やその代理の管領がやる仕事はね、守護大名にその地方を治める守護の地位を与えたり、彼らを守るための法律をつくって天皇や貴族に認めさせたりするのが、主な仕事だったんだよ。
生徒:「じゃあ、一番強いのは守護大名だったってことね。」
教師:そう言えるかもしれないね。
では、そこで、問題です。「将軍は誰が決めるんだろう」。この資料と今の皆の討論を参考にして考えてみよう。
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:じゃあ、みんなの考えを聞いてみよう。・・・はい。@@さん。
生徒:「はい。将軍を決めるのは天皇だと思います。誰を将軍にするかは将軍より偉い天皇の仕事でしょ。」
生徒:「はい。ちょっと違う意見があります。」
教師:はい。¥¥くん。どうぞ。
生徒:「将軍を任命するのは天皇の仕事だけど、天皇は幕府のほうで決めてきた人をただ将軍に任命するしかないと思います。なぜなら全国の武士や百姓を押さえているのは幕府だからです。」
生徒:「はい。ちょっと違います!!」
教師:はい。##さん。
生徒:「はい。幕府は全国を治めていなくて、それぞれの地方を治めている一番強い人は守護大名なんだから、だれを将軍にするか決めるのは守護大名だとおもいます。」「賛成!!!」「それだよ!!」「当然!!!」
生徒:「はい。!!意見があります」
教師:はい。▼▼くん。
生徒:「将軍になったのは足利尊氏さんの子孫ですよね。守護大名は将軍にはなれないんでしょ?。」
生徒:「何が言いたいんだ!!」「はっきりしろ!!」
生徒:「だからですね、将軍になるのは足利尊氏さんの子孫だけなんだから、守護大名が決めるんではなくて、尊氏さんの子孫たちの中で決めるんだと思います。」
生徒:「でも幕府は全国を治める力がないんだから、自分が勝手に将軍だって言っても、守護大名が認めないとなれないんじゃないの」「賛成!!」
教師:うん。みんななかなか良い所をついているね。将軍を任命するのは天皇です。でも候補者を決めるのは幕府。そして誰を決めるかは、長い室町時代の中で少しずつ変わって行ったんだよ。
生徒:「室町時代って何年続いたの?。」
教師:240年くらいかな。・・・2代将軍は初代の尊氏が息子を指名したんだ。そして三代目はその2代の長男であった義満。次の4代目も義満の長男の義持という具合に、将軍が自分の後継ぎを指名したんだよ。でもそのあとが大変。義持は死ぬときに後継ぎを決めないで死んだんだ。取り合えす長男の義量が継ぐことを守護大名たちが決めたけど、それが若死にしてしまい。後継ぎの子どもがいない。幕府は大いに困った。
生徒:「それで守護大名が決めたの?。」
教師:うん。決めた。ただし、4代義持の弟たちの中で話し合って、決めるというものだったんだ。・・・だけど決められなくてね、結局くじ引きということになった。
生徒:「くじ引き???」
教師:そうやって決まったのが6代目。教科書の75ページにあるね。
生徒:「義教!!!」
教師:ところがこの人が気に入らない守護大名は次々とつぶしていくものだからついに家来に暗殺され、後継ぎの義勝も若死にしたので次男の義政が守護大名たちの推薦で将軍になったんだよ。
生徒:「それで守護大名が推薦するようになったんだ!!」
教師:でもその後が大変だった。義政には子どもができない。・・それで弟の義視を養子にして後継ぎにしたら急に子どもが生まれた。そして二人の後継ぎのどちらを将軍にするかで将軍義政と奥さんの日野富子さんが争い、それぞれの後継ぎを支持する守護大名が両方に集まったから大変。
生徒:「それで戦争になったの?。」
教師:そう。戦争になった。・・・応仁の乱。
生徒:「それで都が燃えたんだ!!!」
教師:うん。そうだよ。・・・・じゃあ、教科書をあけて、応仁の乱がどんなもんだったか見てみよう。86ページ。「応仁の乱と一揆の拡大のところの前半だね。・・・・だれか読んでくれますか?。・・・・・はい。□□さん。お願いします。
幕府内では、勢力の強い細川氏と山名氏の対立に将軍の後継ぎ争いがからんで、1467(応仁元)年、守護大名全体をまきこむ応仁の乱がおこった。 戦乱は11年もつづき、京都の町はほとんど焼け野原となり、朝廷や公家たちは力を失った。乱ののちも、守護大名の対立が領国にもちこまれたので、戦乱は諸国にひろがった。 |
生徒:「京都の町は、ほとんど焼け野原になったんだ。」
教師:そうだね。教科書の上の資料、図の3を見てご覧。
生徒:「大きなお寺がほとんど焼けちゃったんだね。」「どこからどこまでが街?。」
教師:黒い比較的まっすぐの線が道なんだ。・・・その道で南北に走るものと東西に走るものとがあるだろ。・・・これが交わっているあたりgた街なんだよ。
生徒:「じゃ、半分以上焼けちゃたんだ。」「戦争で焼けたの?。」「当たり前だろ!!」
教師:いや、戦争で焼けただけじゃないんだ。わざと焼いたやつがいる。
生徒:「だれ、それ?。」「足軽!!!」「足軽って何?。」「教科書に絵が出ているじゃあないか」「あっつあったあった。」
生徒:「あれっつ、家を壊しているよ!」「ほんとだ。戸や柱まではずしている!!」「それで火をつけるんだ!!」
生徒:「先生!、足軽って何ですか?。」
教師:うん。これはね。戦争にお金で雇われた兵隊でね、戦争でもうけたい、貧乏な武士や百姓なんだよ。
生徒:「ようするに、悪党みたいなやつ?。」
教師:そうだね。悪党。・・・・金で雇われているから、負けそうになると逃げるし、すぐ強いほうにつく。そして、戦争そっちのけで、金目のものをあさって人の家に押し込んで、火をつける。
生徒:「強盗だね!!」「こんなのを11年もやったら、町の人はたまらないや!!!」
教師:そうだね。・・・そこで最後の問題だ。「商人や職人などは、町を荒らされないためにどうしたか?。」。知っていることをもとに考えてみよう。
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:では書けたかな。・・・じゃあ、班で討論してみて、考えをまとめてみよう。
(各班で討論する)
教師:では、各班の考えを発表してもらおう。・・・・じゃあ、6班御願いします。
生徒:「はい。6班の意見は、危険なので武器を持って、町を焼かれないように戦ったです。」
生徒:「はい。補足!!!」
教師:はい。4班、御願いします。
生徒:「はい。戦うには指導者がいるので、武士を雇ったんだと思います。」
生徒:「まだあるよ!!!」
教師:はい。2班お願いします。
生徒:「はい。戦うには町を守るものが必要でしょ。だから町の周りに堀を掘って、町をまもったと思います。」
生徒:「まだあります!!!」
教師:はい。1班どうぞ。
生徒:「はい。戦うだけじゃ、町は守れないと思います。商人たちはお金を持っているから、幕府や守護大名にお金を払って、町を荒らさないよう頼んだと思います。」
生徒:「わいろだ!!」「お金を守護大名に払っても、足軽は勝手に強盗をするんじゃないの?。」「だから自分たちも武器を持ったり、町を堀でかこったりするんでしょ!!」「あっつ、そうか。」
教師:みんななかなか良いところをついているね。・・・じゃあ資料を配ろう(資料B「応仁の乱で変わった京都」を配る)
教師:左側が応仁の乱の前の京都。右側が応仁の乱後の京都だよ。黒い丸印が酒屋や土倉。ようするに金貸しだね。・・・・2つ比べると何かわかるだろ?。・・・・・はい。@@くん。
生徒:「はい。応仁の乱の前には京都中にあった土倉や酒屋が、応仁の乱のあとには、京都の町の一部にまとまっています。」
生徒:「はい。今のに補足!!!」
教師:はい。**さん。
生徒:「はい。その応仁の乱後の酒屋や土倉は、堀や土塀で囲まれています。・・・だからまとまって堀や土塀で囲んで、町を戦争から守ったんです。」
生徒:「じゃあ。武器は?。」「当然持っていただろ!!」「当たり前だ!!!」「わいろは?。」
教師:そう。みんなの答えはどれも正解なんだよ。・・・そしてね、もう少し資料を補足しよう。・・・・資料集の67ページを開けて。・・・・そこの17.わきあがる祇園祭を見てご覧。
教師:これは、室町時代の終わりのほう。応仁の乱から約100年後の京都の町を描いたものなんだ。・・・資料集に載っている部分は、その中の、今でも京都に続いている祇園祭を描いた部分なんだよ。
生徒:「大きな車をひっぱっているね。」「ずいぶんはでな車だね。」「鎧すがたの武士のかっこうしてひっぱっている人もいるよ。」「どれどれ・・・」「あっつ、ほんとだ。いた!いた!!」
教師:このころになると武士の格好をしてやっているという、物まねなんだけどね。この祭りが始まった応仁の乱の直後のころには、ほんとに町の人々が鎧や兜を身に付けて、武器をもって町を練り歩いていたんだよ。
生徒:「やっぱり商人や職人も武器を持っていたんだ!!!」
教師:そうだよ。しかも武器を持った人々が町中をまわってあやしいやつを捕まえたり、そいつと戦ったりしたんだね。・・・・この祭りは、京都の町にわるい伝染病などが入ってこないようにという古い祭りなんだけど、この絵のように大きなはでな車をひっぱって、武器を持って町を練り歩いたのは応仁の乱の直後からなんだよ。・・・こうやって町を商人や職人の手で守るぞって、宣言する祭りでもあったんだね。
生徒:「へえー」
教師:じゃあ、最後に、教科書を読んでまとめておこう。87ページ。町衆の自治だ。・・・・・はい。%%さん。お願いします。
京都では、町衆といわれた有力な商工業者が中心となって、町ごとの自治組織をつくり、応仁の乱で荒れた町を復興した。貿易で栄えた堺では、町衆が武士を雇って戦乱から自分たちの町を守った。自治の動きは、博多などにもみられた。 |
生徒:「商人や職人が自分の力で町を治めたんだ」
教師:そうだね。
生徒:「村も同じだったね。」「惣村!!!」
教師:そのとおりだ。・・・・それだけ戦乱も多い時代だったということかもね。・・・じゃあ、これで授業を終わります。