年貢さえすませば・・・・・・B  百姓の持ちたる国


教師:では今日は・・・・(フリップを黒板にはりながら)・・・・・鎌倉時代から室町戦国時代をまとめて、どんな時代だったかを考えてみよう。

生徒:「先生。百姓の持ちたる国って、百姓が治めた国ってことですか?。」

教師:そうだよ。

生徒:「へーっつ、すごいな。」「百姓って農民のことでしょ。」「違うよ。武士や貴族以外の人って意味だろ!」「そうだっけ?。」

教師:うん。百姓の意味は、もともとは貴族以外の人っていう意味だけど、だんだん意味が狭まってきて、江戸時代には農民をさす言葉になってしまうね。・・・・・この場合はまだ室町戦国時代だから、農民だけを意味するわけではないんだよ。

 じゃあ、資料を配るね(資料C「年表・戦乱の時代」を配布する)

資料C戦乱の時代

教師:これは鎌倉時代の少し前から、江戸時代が始まるまでの主な出来事と、その当時の社会の様子を年表にしてみたんんだ。中世と呼ばれる時代なんだよ。・・・始まりは、平安時代のおわりの保元の乱と平治の乱。そして源頼朝が兵をあげて平氏を倒し、鎌倉に幕府をたてる。・・・そのあと、承久の乱で天皇と幕府とが戦って天皇が負け、これいご武士と天皇・貴族との領地争いが激しくなるわけだ。

生徒:「泣く子と地頭には勝てぬのところでやったやつだね。」

教師:そうだね。・・・・そして1333年に鎌倉幕府がたおされ、1336年に天皇家が二つに分裂して南北朝時代になると、ますます領地をめぐる争いは激しくなり、武士はどんどん天皇・貴族の領地をとっていったんだね。

生徒:「後醍醐天皇の時代だね」

教師:そうだね。・・・そして1392年に天皇家が一つに統一されて守護大名が大きな力をもつ室町時代となったわけで、大きな戦いはしばらくはないけど、その裏で、武士と武士、武士と天皇・貴族の領地をめぐる争いは続いていたわけで、その中で、だんだん将軍の力が弱くなり、室町将軍は、京都の町しか治められなくなる。

生徒:「幕府の人が金貸しをやっていた時代だね。」

教師:うん。よく覚えていたね。・・・そして1467年に応仁の乱がはじまり、それが終わっても全国で守護大名どうしの争いが続き、その後約100年続く戦乱の世の中となるんだ。・・・これを戦国の騒乱という。・・・この中で、各地で一揆が起きるんだね。・・・・そしてこの時代が終わるのが、1590年の豊臣秀吉による全国統一だ。

生徒:「良かったね!!」「でも、まだ戦争は終わっていない!!」

教師:そう。終わらなかった。秀吉は朝鮮や中国を攻めるし、彼の死後は関が原の戦いは起こるし、・・・・結局戦争がなくなるのは、江戸時代になってしばらくしてのことなんだね。・・・じゃあ問題です。この資料を見て、鎌倉・室町時代がどんな時代だったと思うか。自分の考えを書いてください。

(各自ノートに自分の考えを書く)

教師:書けたかな?。・・・じゃあ、みんなの考えを聞いてみよう。・・・はい。◎◎さん。

生徒:「はい。戦争ばかり続いた時代です。」

生徒:「はい。補足!!」

教師:はい。@@くん。どうぞ。

生徒:「はい。武士が貴族や天皇の領地をどんどん取って行った時代で、それで戦争が多かったです。」

生徒:「はい。さらに補足!!」

教師:はい。■■くん。

生徒:「はい。武士同士も領地を取り合っていたから戦争が多いのです。」

生徒:「長ーーーい、戦争の時代です。」

教師:そうだね。長い戦争の時代。

生徒:「先生!まだあります!」

教師:はい。▼▼さん。

生徒:「はい。産業が発達し、お金があればなんでも出きる時代です。」

生徒:「なんだ、資料に書いてあることそのままじゃん。」

生徒:「でも大事だよ。地獄の沙汰も金次第さ!。お金があればなんでも買えるよ」

生徒:「でも、お金じゃ買えないものもあるよ」

生徒:「なにそれ!!」

生徒:「人の心!」(爆笑!!)

教師:たしかに。・・・人の心は変えないね。・・・お金がないと起こる時代。・・・・・そして、約400年続いた戦乱の時代。・・・・じゃあこの戦乱が、百姓と呼ばれた人々にはどんなものだったかを見てみよう。資料を配ります。(資料D戦争の実態を配布)

資料D戦争の実態
○武田信玄の戦い(甲陽軍艦より)

@私は大将なので、この辺の者どもを引き連れ、国境をこえて、輝虎公(上杉謙信)の城の近くまで行き放火し越後の者をらんどりし、こちら(信濃)まで連れてきた。・・・・・・・輝虎公の城の近くへ放火し、らんぼうに女・わらべを取って、無事に帰る。

A(敵からの)分捕りの刀や脇差などにより、身なりがよくなる。馬・女など乱取りにつかみ、これもよいかせぎになるので、(武田信玄の)国の民百姓は豊かになっていった。

 ★この武田軍に捕らえられた男女のうち、親類のいる者は一人2貫文から10貫文の身代金で買い戻されていたという。

  2貫文=約6万円  10貫文=約30万円  ※記録上の最高値は:100貫文=300万円

○薩摩の島津氏の戦い(ルイス・フロイス「日本史」より)

@薩摩(鹿児島)軍が豊後(宮崎)で捕虜にした人々は、肥後(熊本)の国へ連行されて売られた。・・・・薩摩や肥後に連行された後、羊の群れのように市場を歩かされ、売られていった。彼らの多くは、一・二文の安値で売られた

A島原の地では、時に40名もの売り手が集まる。彼らは豊後の婦人や男女の子供たちを二束三文で売った

 ★この人々は、おそらく長崎や博多に運ばれそこから中国の船やヨーロッパ人の船に乗せられて、遠くフィリピンやインドネシアに奴隷として売られていたと考えられている。

教師:これは戦国時代の戦争の様子を描いたものです。たぶん、室町時代でも鎌倉時代でも同じだったと思うけどね。

生徒:「戦争って、村や町を襲って、そこの人や物をとることなんだ。」「人間を売るんだね!!」「奴隷だ!!」「ひどい!!」

教師:そうだね。・・ひどい。

生徒:「武士もお金が欲しかったんだね。」

教師:そうだね。

生徒:「お金になるものを取る為に戦争をしていたんだ!!」

教師:うん。それいがいのも目的はあったかもしれないが、大名の戦争に参加した武士や百姓にとっては、戦争は金儲けだったんだね。

    じゃあ、問題を考えてみよう。「戦いから村を守るために百姓はどうしただろう?。」

(各自、ノートに自分の考えを書く)

教師:できたかな。・・・・・・・じゃあ、少し時間をあげるから、班で討論してまとめてみよう。

(各班で討論する)

教師:では、みんなの意見を聞いてみよう。・・・・はい。2班。お願いします。

生徒:「はい。僕たちの班では、百姓は、村を掘りや塀で囲んで、攻められないように村を守ったということになりました。」

教師:なるほど。応仁の乱の時みたいにだね。・・・・・・はい。5班。お願いします。

生徒:「はい。2班に補足ですが、掘りや塀で囲むだけではなく、武士を雇ったり、自分たちも武器をもって、攻められたときには村を守るために戦ったと思います。」

教師:なるほど。自分たちも武器をもって戦った。

生徒:「はい!。違う意見があります!!」

教師:はい。@@さん。

生徒:「はい。私たちの班では、ちょっと違う意見がでました。大名や武士たちは戦争を続けていたのだから、村を守るためには、強い大名や武士の家来になって戦争に参加し、自分たちの村を攻めてくる敵をなくしていったんじゃないかというものです。だから守るために積極的に戦争に参加したということ。」

生徒:「なるほど!!」「平和にするために戦争をするんだ!!!」「でもなんか変?。」

教師:何が変なの?。□□さん。

生徒:「はい。百姓は平和な世の中になって欲しいんでしょ。だったら他の国の村の人もおなじじゃないかな。・・・でも戦争に行って、他の村を襲って村の人を捕まえて奴隷に売ったり身代金をとたりしたというのは、変だと思う。・・・本当に百姓は平和にしたかったのかな?。」

教師:なるほど。・・・・はい。**くん。

生徒:「はい。百姓が平和を望んでいたかどうかはわからないけど、戦争続きで村が荒らされれば暮らしていけないでしょ。だからしょうがないから他の国の村を襲って、お金を手に入れていたんじゃないかな?。」

生徒:「だったら、心の底では、平和を願っているってことじゃあないの?。」

生徒:「そうなるか・・・・」

教師:うん。いい討論になっているね。・・・はい。△△くん。

生徒:「僕の班では、もう少し違う意見がありました。それは、村を守るために、村を攻めてきそうな武士や大名にお金を納めて、それで責めないことを約束してもらったんじゃないかというものです。・・・理由は、武士や大名が戦争をするのはお金が目的なんだから、お金さえもらえば、戦争することないからです。」

生徒:「なるほど!!」「地獄の沙汰も金次第だ!!!」(笑い!!)

教師:なるほどね。・・・お金をはらう。・・・良いところに目をつけたね。・・・・これ、実際にやったことなんだよ。

生徒:「ほんと!!!」

教師:うん。ちょっと時代があとの時代になって、豊臣秀吉の時代なんだけど、こんな資料が、このあたりの村に残っているんだよ。(資料E「村がもらった禁制(禁止令)を配布する。

資料E「村がもらった禁制(禁止令)」

★この時代の村は戦争がはじまると、争い合う大名の所に行って金を払い、大名の家来がその村に乱暴をはたらくことを禁止する命令書(禁令)を出してもらった。

その値段は:@大きい村:3200文(=96000円)A中くらいの村:2200文(=66000円)B小さい村:1100文(=33000円)

※ただしこの値段は、豊臣秀吉が天正18(1590)年に、これ以上は取ってはいけないと定めたものなので、以前はこれ以上たくさん取られていたのが実情

生徒:「作延村って下作延のこと?。」

教師:教師。そうだよ。下作延と上作延に今は分かれているけどね。・・・・長尾はとなりの村だね。そして平はその隣。そして土橋は平の隣で、今の宮前平あたりの村なんだよ。

生徒:「ということは、近くの村で共同でお金を出して、豊臣秀吉に、この村を攻めてはいけないという文書をもらったんだ。」

生徒:「これもらってどうしたの?。」

教師:良い質問だね。・・・・これを看板に貼ってね、もしくは、看板に書きなおしてね、これを村の入り口に立てておいたんだよ。

生徒:「それでも攻められたら?。」

教師:その時には、乱暴を働いた武士を秀吉の所に訴えて、この禁令に書いてあるように厳罰に処してもらったんだ。

生徒:「うまい方法だね。」

教師:そうだね。・・・・でもこれだけじゃないんだよ。村を守る方法は。・・・お金の力で守ったり、堀や塀で囲ったり武器をもったりだけじゃないんだ。・・自分たちを守る方法があるんだ。

生徒:「どんな方法?。」

教師:うん。資料を配るから、読んでごらん。(資料F山城の国一揆を配る)

資料F山城の国一揆
○1485年10月:

 山城の国(京都府)の南部は、春日大社と興福寺の領地であったが、応仁の乱以来、守護の畠山政長と畠山義就が国中で争い、両方の軍勢が戦った。

○1485年12月:

 12月になっても争いは決着がつかず、両軍は各地の寺や民家ことごとくに火をつけたり、打ち壊して家財道具をとっていくので、建物はほとんど残っていない状態になった。

○1485年12月11日:

 今日、山城の国人(地侍)が集会を開いた。上は60才、下は15・6才の者まで集まったという。またこれと同じ時に同じ場所に、山城の国中の土民も集まったと言う。今度の畠山両軍の乱暴に対する処置を決めるためだという。もっともなことである。次のことを決めた。

一、今より以後、両畠山方の軍勢は、国内に入るべからず。

一、乱のなかで奪い取った神社や寺の領地はもとの持ち主に返す。

一、新しい関所などは、一切立てるべからず。

 もし両畠山方が退かなければ、国衆として攻撃することを決めたという。

○1485年12月17日:

 両畠山方の軍勢はすべて山城の国から退いた。今後は元どおり平穏になり、国中の人々が掟を作って国を治めるという。喜ぶべきことである。

 今度のことは、国中の36人衆が申し合わせたことだ。

(大乗院寺社雑記による)

★こうして山城の国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれるようになった。

★同じことは1488年に加賀の国(石川県)でもおきた。

生徒:「地侍ってなんですか?。」

教師:村村の指導者のことで、有力な農民。・・・ほら、田植えの絵で、腰に刀さして、田植えの指揮をしていた人たちがいるでしょう。

生徒:「あっつ、いた、いた。」

教師:この村村の指導者のことを国人とも言い、国中の代表である36人の国人が掟を決めて、山城の国から戦争を続ける守護を追い払ったんだね。

生徒:「すごいな!!」「でも百姓の力だけでできたの?。掟を守らなければ攻撃するって脅しているけど。」

教師:うん。良い質問だね。・・・実は地侍や百姓だけの力じゃないんだよ。・・・山城の国は興福寺と春日大社の領地でね、この寺と神社はたくさんの軍隊を持っているんだよ。・・・・僧兵と言ってね、戦争を仕事にしたお坊さんを。・・・だからこの話は、国中の百姓と地侍と、そしてたくさんの僧兵を持っている興福寺や春日大社の協力でできたんだよ。

生徒:「なーんだ!!」「じゃあ、加賀の国は?。」

教師:加賀の国は、本願寺という浄土真宗のお寺の力の強い地域なんだ。その本願寺と加賀の国の地侍と百姓の協力でできたんんだね。

生徒:「僧兵ってどんな人?。」

教師:うん。・・教科書に載っているよ。・・・・・・57ページだ。

生徒:「すごいや。ちゃんと鎧も着ているんだね。刀も差しているし。」「手に持っているのは何?。」

教師:長刀といってね。長い棒の先に刀がついていてね。これをぶんぶんと振り回すんだ。

生徒:「これじゃ武士でもかなわないね。」「何人ぐらいいたの?。」

教師:うん。寺や神社の力によって違うけど、大きいところでは10000人位。

生徒:「10000人!!!???」

教師:大きな強い守護大名でも1000人の武士を出せれば良いほうだから。大きな寺や神社には勝てないね。・・・これに惣村で作った掟で団結した数万人にものぼる国中の百姓が加わるんだから。大変な力だ。

生徒:「それで守護を追い出しちゃったんだね。」

教師:そうだね。寺と神社と百姓が協力して守護や武士と戦って、平和な国を作ったんだよ。

生徒:「でも他の国の守護たちが協力して攻めてきたらどうするの?。」

教師:うん。良い質問だね。・・・その時は戦うしかないね。

生徒:「大変なんだね。平和を守るのも。」

教師:そういうことだね。・・・じゃあ、今日の授業は終わります。ノートのまとめ問題はやっておいてください。


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