日本人はどこから来たの?B 尾張百年戦争?


教師:では今日は弥生人と弥生時代について学習しよう(弥生人の顔をはる)。まず、弥生時代についてみんなが知っていることを確かめておこう。

    弥生時代になって始まったことって何だろう。言いかえると、その前の縄文時代にはなくて弥生時代にはあるものだ。・・・・じゃあ○○くん。

生徒:「はい。米づくりです。」

教師:そうだね。米づくり。稲作と教科書には書いてあるね。他にはないかな?。

生徒:「弥生土器を作った。」

教師:なるほど。弥生式土器ね。たしかにそうだ。でも土器というてんでは縄文土器と同じだね。ヒントは道具だよ。縄文時代になくて弥生時代になっ

   て出てくる道具。

生徒:「石包丁?」

教師:石包丁ってなんだっけ。

生徒:「石でできたもので、お米の収穫のときにつかう刃物」

教師:そうだ。石の鎌だね。でも石と言う点では、縄文時代の刃物は全て石でできている。そのてんは同じだ。

生徒:「あっつ、わかった。鉄の道具だ。鉄器だ。」

教師:そう。正解です。鉄でできた道具です。そこで質問。鉄の道具って石の道具に比べて有利なことってなんだろう。

生徒:「硬い!!」

教師:そう。硬い。刃が硬いってことだね。そうすると、石でできた斧と鉄でできた斧で同じ太さの木を切ったとすると、どっちが早く切れるだろうね。

生徒:「鉄!!」「わかんないよ。石かもね」

教師:では、正解は。資料集に載っている。ちゃんと実験をやった人がいるらしい。資料集p14だ。

教師:鉄の斧は石の斧に比べて何倍のスピードだ?。

生徒:「4倍!!!」

教師:それだけ刃先が固くて鋭いということだ。この鉄を、刀や矢の先に使ったらすごい武器になるだろうね。

○板書事項―弥生時代にはじまったものー

@米づくり

A鉄でできた道具(鉄器)−金属器ー

教師:じゃあ、あらためて資料集で弥生時代の生活の様子を確かめてみよう。資料集のp13だ。

教師:田んぼを作って稲を育てているね。弥生時代の田んぼは今と違ってほぼ正方形で小さい。そして結構水が多くて底はドロドロで足が沈んでしま

   うんだ。

生徒:「だから、田下駄ってものをはくんだ。」

教師:そう。そういうことです。ところで問題です。わかるかな。なぜ稲は水田といって水を貯めたところで育てるのでしょう?。

生徒:「・・・・・・・・・・・」「わかんないよ!!」

教師:じゃあヒントです。東北地方など北の方の地域では稲を育てるときに田んぼに入れる水を用水路からすぐに田んぼに入れずに、あちこちの田

   んぼをゆっくりまわしながら時間をかけてから目的の田んぼに水を入れます。どうしてあちこち水をまわすのでしょう。

生徒:「東北って寒いよね。」

教師:そうです。寒いね。春も夏も来るのが遅い。

生徒:「わかった。暖めているんだ。太陽も熱で水を暖めているんだ。!!」

教師:そう。正解。水を暖めているんです。水って空気よりも暖まったものがさめにくいのです。夜になって気温が下がってきても田んぼの水は空気

   ほど温度が下がらないと言うしかけ。稲は根元のところを冷やすと成長がとまるらしいよ。ということは稲という植物は何に弱い?。

生徒:「寒さ!!!!」

教師:そのとおり。寒さ。ということは稲というのはどんな気候のところに向いた植物なのかな?。

生徒:「暖かいところ!!!」

教師:そのとおりだよ。正確には暖かく雨の多いところ。東南アジア、日本よりもっと南のタイなんかに原種に近い稲があるんだが、それなんか背丈

   が2m以上もあるんだ。

生徒:「えっつ、すごーい。なんで?。」

教師:この地方は雨が降る季節になると物凄い量の雨が数ヶ月も続いて降るので、川は氾濫して田んぼは水浸し。どんどん水が深くなってしまうん

   だ。でも原種の稲は平気。水の量が増えて深くなるとそれにあわせてドンドン伸びていく。しまいには田んぼの水の深さが1mを越してしまうんだ

   けど。それでもグングン伸びて行くそうだ、。だから収穫には舟がいるわけ。

生徒:「へえーっつ。舟で収穫するの」

教師:ところで、この絵には収穫した稲をしまっておく建物が書かれているね。

生徒:「高床式倉庫!!!」

教師:そう。高床式倉庫。そこで問題。なぜ倉庫は床が高くなくてはいけないの?。

生徒:「ネズミが入ってきて米を食べちゃうから!!!」

教師:そうだね。ネズミ。でも、もうひとつ理由があるんだ。床を高くする理由が。お米を作りやすいところの気候を考えてみると・・・・?。

生徒:「あっつ、そうか。湿気だ。床を高くして風を通して湿気で米がかびたり腐ったりするのを防ぐんだ。」

教師:そのとおりです。ところでもう一つ問題。高床式倉庫の屋根を見てご覧。これは弥生人が残した絵をもとにして復元したんだけど、なんか面白

   い形をしているね。屋根の形だけを注目すると。何に見える?。

生徒:「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」「うん?・・・」「わかった。舟だ!!。舟の形」

教師:そう。舟の形。南の方のインドネシアなどに今でもあるそうだけど、山の上なのに屋根が船の形をした家に住んでいる人たちが居るんだ。調べ

   てみると、その人たちは大昔に南太平洋の島々から舟でやってきた人の子孫なんだそうだ。

生徒:「へえーっつ。面白いね」

教師:そう。面白い。家の屋根の形に先祖のやった事が残っていると言うわけだ。ところでもう一つ資料を見てもらおう。

教師:最初の子は中国の子。2番目の子は韓国の子だ。顔の特徴を良く見てご覧。

生徒:「縄文顔だ!!」「違う。弥生だ!!」

教師:縄文と弥生の一番の違いは目にあるんだ。縄文は?

生徒:「二重まぶた!!!」「あっつ、弥生だ。一重まぶただもん!!!」

教師:そう。弥生顔にかなり近い顔だね。さてここまでをまとめてみよう。

○板書事項

・稲―もともとは南の暖かいところの植物。
・高床式倉庫の屋根―舟の形。
・弥生顔―中国や朝鮮に多い。

教師:さてここまでの資料を使って問題を解いてみよう。ノートの問題。弥生人・弥生文化はどこから来たのだろう。

(各自自分の意見をノートに書く)

教師:じゃあ、みんなの意見を聞いてみよう。・・・・では○○さん。

生徒:「はい。私は暖かい南の方から船に乗って弥生人が日本にきて、稲作を伝えたんだと思います。」

教師:なるほど。じゃあ、今の○○さんと同じように考えた人は手を上げてください。・・・・(かなり大勢が手を上げるが違う意見を持ったものもい

   るようだ。)・・・・・では違う意見の人。□□くんお願いします。

生徒:「はい。僕は、南の方ではなく北から来た弥生人が日本に稲作を伝えそれから南の方に移って行ったんだと思います。」

生徒:「それだと、稲が南の温かい地方の植物だったというのとあわないぞ!」

生徒:「昔は日本より北も温かかったんじゃあないのか。日本より北の韓国の人が弥生人そっくりなんだから。」

教師:なるほど、どちらも一理あるね。ほかに意見あるかな?。・・・・・・・はい△△さん。」

生徒:「はい。私は暖かい南の地方に住んでした弥生人が稲をもってだんだん北に移り、中国・日本・韓国と言うように移動して行ったんだと思いま

    す。だから中国・韓国・日本に似た顔の人が居るのだと思います。」

教師:なるほど。これも一理ある。ちょっと整理してみようね(板書する)。

○板書事項

「弥生人・弥生文化はどこから来たのだろう?」

@暖かい南の方に住んでいた弥生人が北に移り、中国⇒日本⇒韓国と移って稲作を伝えた。

A北から来た弥生人が韓国⇒日本⇒中国と移って稲作を伝えた。

教師:さてほんとのところはどうかというと、これは中国・日本・韓国の東アジア地域の稲作農業の始まりを見ていけばわかるんだ。最近の遺跡の発

   掘の成果をプリントにまとめたので読んでみてください(資料B「東アジアの稲作の始まり」を配る)

  <日本人はどこからきたの?>資料B:東アジアの稲作の始まり

 @ 世界で最も古い稲作遺跡は、中国の長江下流から見つかりまし  た。ここでは数メートル四方に区切った水田跡が見つかり、そば  には村の跡も見つかりました。この遺跡は今から12000年ほどま  えのものです。

 A 長江下流全体には稲作は7000年前には広がっていました。

 B 朝鮮半島の南部では、今から約3000年ほど前の稲作遺跡がみつ  かっています。ここでは収穫のための石包丁も見つかり、墓の形  も日本の弥生文化と同じです。 

 C 日本で最も古い稲作遺跡は、北九州と瀬戸内海沿岸から見つか  ります。今から約2300年ほど前のことです。

 D また、この遺跡とまったく同じ土器を持った稲作遺跡は、2100  年ほど前には、愛知県より西の日本列島に広まり、さらに遠く秋  田県や青森県にも広がっていました。

教師:さあ、この資料をもとにさっきのみんなの意見を考え直してみよう。稲作は中国の南部の長江流域にはじまって、しだいにまわりに広がって行

   ったことがわかるね。長江流域の次はどこ?。

生徒:「朝鮮半島南部!!!」

教師:そう。朝鮮半島の南部。ここが韓国だ。そして次がどこ?。

生徒:「日本!!!」

教師:そうだね。そうするとみんなのさっきの意見で正しいのは・・・・・・・・・・・・・・・・・?。

生徒:「全部違う!!!」

教師:そうだね。一番近いのが南からきて中国⇒日本⇒韓国だね。正しくは?。

生徒:「中国南部⇒韓国⇒日本と、弥生人が渡ってきて稲作を伝えた!!!」

教師:そう。そのとおりだ。ところでこの弥生人が最初に日本に来たところはどこかな?。

生徒:「九州!!」「北九州!!」「それから瀬戸内海沿岸!!」

教師:そうです。ところでこの地域に弥生人が来る前から住んでいた人たちがいたね?。誰だっけ?。

生徒:「縄文人!!!」

教師:そのとおり。さて縄文人が石器をつかって狩や採集や漁をして暮らしてきたところへ、弥生人。この縄文人とは全く顔の違う弥生人が船に乗っ

   て、鉄の道具や武器をもってたくさんやってきたとしたら、この弥生人と縄文人との間に何が起きただろうか?。これが次の問題です。自分の意

   見をノートに書いてみよう。

(各自ノートに意見を書く)

教師:じゃあ、班で討論しよう。席を移してください。5・6分でまとめてください。

(班ごとに討論)

教師:では発表してもらおう。どの班から行きますか?。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では2班お願いします。

生徒:「はい。うちの班は弥生人と縄文人との間に戦争がおきて、石の武器しか持っていない縄文人は負けて死んでしまったにまとまりました。」

生徒:「はい。それじゃあおかしいと思います。」

教師:はい。6班が違う意見があるようです。お願いします。

生徒:「はい。縄文人が死んでしまったのでは、いまここに縄文顔や縄文顔が混じった人がいるわけがありません。縄文人は戦いに負けて日本のほ

    かの地方に逃げたんだと思います。」

教師:なるほど。他には?・・・・・・・・・・・・4班。どうぞ。

生徒:「はい。うちの班でも戦争が起きたと考えました。理由は顔も文化も違うのですから言葉も違うと思います。変なのが大勢できたので戦争にな

    ったと思います。そして縄文人は負けて弥生人の奴隷になったのだと思います。」

生徒:「じゃあ、おれは奴隷の子孫か?(縄文顔の○○くんの声)」・・・・・(全員爆笑!!!!!)

教師:なるほど、奴隷ね。他には?・・はい1班。

生徒:「はい。僕たちは戦争ではなく縄文人と弥生人とは仲良く暮らしたと思います。理由は今は縄文顔と弥生顔とがまじって人がたくさんいるのだ

   から、縄文人と弥生人とが結婚したのだと思います。戦争したり奴隷になったりしたら結婚はしないと思います。だから仲良くしたんだと思いま

   す。」

生徒:「はい!!」

教師:はい。5班どうぞ。

生徒:「私たちは最初は縄文人と弥生人とが戦争になったのだけど、そのご仲直りして仲良くなったのだと思います。理由は1班と同じで顔が混ざっ

    ているからです。」

教師:いろんな意見が出ますね。発表していないのは3班だけかな?。3班どうぞ。

生徒:「はい。6班と同じ意見です。縄文人が負けて逃げたんだと思います。この資料では、2世紀には日本の西半分が弥生で東半分が縄文になっ

    ています。だから西の縄文人は東に逃げたんだと思います。」

教師:なるほど。地図に目をつけたわけですね。西が弥生で東が縄文ね。なるほど。

○発言をまとめた板書事項

・縄文人と弥生人とが戦争して縄文人が死んだ。

                  負けた縄文人が逃げた。⇒東へ(西は弥生・東は縄文)

                  負けた縄文人が奴隷になった。

・縄文人と弥生人は仲良く暮らした。

・縄文人と弥生人とは最初は戦争をしたがそのあとは仲直りして仲良く暮らした。

教師:いろんな意見がでたね。戦争をしたかしないか。そして、たしかに顔が混ざっているのだからいつかは仲良くして結婚したわけだ。でもそれが

    いつかで意見がわかれるね。うん。これはまだ謎なんだな。学者の間にもいろんな意見がある。たとえばこんなのもあるよ。資料集のp15を開

    けてみてください。そこに逆茂木という絵があるね。村のまわりに堀をつくり、その外側に枝つきの木をからませた柵を何重にもめぐらせた図

    が。」

生徒:「あっつ、あった、あった」

教師:こういう方法で村を守っている遺跡はここしか出てないんだけどこの朝日遺跡は何県にあると書いてある?。

生徒:「愛知県!!」

生徒:「あっつ、わかった!!」

教師:はい。××くん。

生徒:「はい。愛知県ってことはさっきの資料の西の弥生と東の縄文の境目ですよね。」

教師:はいそうです。良いところに気がついたね。それで・・・

生徒:「その境目だけにこんな遺跡があるってことは、これは弥生人と縄文人の戦争のあとってことじゃあないか。」

教師:そうです。そのとおり。2世紀から3世紀にかけての100年間。弥生文化はこの愛知県より東に進まないんだ。広まらないんだ。それでこの遺跡

   を発掘した人は、これは弥生人と縄文人との「尾張100年戦争」のあとだというんだよ。

生徒:「へええーっつ。尾張100年戦争!!?!」

教師:でもそうじゃあないという学者もいて意見がまとまらないんだ。・・・・この弥生人と縄文人との間には何があったのかということについては、今後

   の歴史をやりながら、また考えてみる事にしよう。次の時間は古墳時代について。では今日は終わります。

(この授業は指導案とは展開を入れ替えている。この方が推理がスムーズにいったので途中のクラスから変更した)

 


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