日本人はどこから来たの?C時間目今来の伎才者


教師:さて今日は、古墳時代の日本について考えてみよう。古墳ってなんだかわかるね。

生徒:「お墓!!!」

教師:そう、大きなお墓。誰の墓?。

生徒:「豪族!!!」「王様!!!」

教師:そう。教科書などでは豪族って書いてあるけど、要するに王様だね。日本にたくさんの国があってそれが連合したり戦ったりしていた時代。そ

   の各地の王様のことを豪族と呼んでいる。この豪族の墓が作られた時代。古墳時代。だいたい4世紀から6世紀をこう呼びます。この古墳時代

   の特色を考えるのに大変参考になるのが、後の平安時代に書かれた、貴族たちの家系を記した「新撰姓氏録」という書物だ。資料に印刷した

   ので読んで見てください(資料C次々とやってきた渡来人を配布する)。

   <日本人はどこからきたの?>資料C:次々とやってきた渡来人

 @平安時代の貴族の3分の1が中国・朝鮮出身だった!!

   平安時代の貴族たちの家系を記録した「新撰姓氏録」は貴族を3つにわけている。

  1. 皇別(天皇家の一族の子孫である人々)……335氏族
  2. 神別(天皇家以外の神を先祖とする人々)…404氏族
  3. 諸蕃(中国や朝鮮から渡来した人々の子孫)326氏族

  つまり約3分の1の貴族が「中国・朝鮮から渡来してきた人の子孫」と言っていた。

教師:平安時代の貴族の約3分の1が自分たちを中国・朝鮮からの渡来人だといっているわけだが、このことの資料は古事記や日本書紀にのって

   いるので、次のAを読んでみよう。あとこの時代の地図があるとわかりやすいので、教科書のp28の地図も開けておいてください(この地図を拡

   大したものを黒板にはる)。

A5世紀ごろ大量の渡来人が日本へ!!

「古事記」や「日本書紀」によると、応神天皇のころ(5世紀ごろ)以後に、中国や朝鮮から、多くの人々が日本列島に渡ってきたことがわかります。

(1)秦氏:朝鮮の新羅の豪族であった「弓月君」は、120県の民を率いて      渡来し今の京都地方を開拓して、この地で、もとの国から持って      きた進んだ農業・養蚕・機織などの技術を使って多いに栄え、その      後日本各地に広がっていきました。この人々は「秦(はた)」を姓      として名のりました。

(2)東漢氏:同じころに渡来した「阿知使主」(百済王の子孫と称していま      すが任那の一部の安羅の王)に率いられた17県の人々は、今の      奈良県の南部を開拓しました。この人々の中には、錦を織る人々      や,鞍を作る人々、そして鉄を作る人々が含まれ、進んだ技術を      元に大きな勢力を持ちました。この人々は、東漢(やまとのあ      や)氏と名のりました。

(3)西文首(かわちのふみのおびと)
      :同じころ、百済王から使わされた「王仁」は漢字を伝え、この       子孫の西文首は後々まで、記録官や法律家として活躍しました。

教師:この「秦」氏は全国各地に散っているんだ。神奈川県にこんな地名があるだろ(「秦野」と板書する)。はたのだ。

生徒:「小田急線のとこ?。」

教師:そうです。秦野。これは秦さんたちがすぐれた技術をつかって開拓した野原っていう意味なんだ。

生徒:「へえーっつ、知らなかったな」

教師:この人たちが持ってきた進んだ技術ってなんだ?。

生徒:「農業!!!」「養蚕!!!!」「機織!!!」

教師:そう。でもそれ以外にもあるんだ。例えば堤防やダムを作る技術なんかもこの人たちが伝えたと言い伝えられている。だから今までの日本人

   では住めなかった川がいくつも集まるような所に、ダムや堤防をつくって、そこで農業が出きるようにしてしまったんだ。

生徒:「へえーっつ、すごいね。」

教師:そして秦さんたちの子孫のなかには「羽田」とか「波多」とか名乗っているひともいる。

   ところで弓月の君が連れてきたのはどれくらいの人と書いて合ったっけ?。

生徒:「120県の民!!!」

教師:そう。120県。でもこの県を今の県と同じに考えてはいけないよ。これは村がいくつか集まったもの。国⇒郡⇒県⇒里というのが当時の中国や

   朝鮮の地域をあらわす単位だから、4・5の村が集まった単位だと思って良い。4村だとすると、120県はいくつの村だ?。

生徒:「480の村!!!」

教師:そう480ヶ村。1村の人口を100人とすると、480村で何人?。

生徒:「48000人!!!」「すごい数だ!!!」「多いなあ!!!」

教師:そうだね。多い。そしてこの人たちはもともとどこの人かというと?。

生徒:「新羅!!!」

教師:そう新羅。この地図だと南の倭(日本)と北の高句麗という大国にはさまれた、南朝鮮の小さな3つの国のひとつだ。

   阿知使主に率いられてきた東の漢氏の場合は何県の人が来たの?。

生徒:「17県!!!」

教師:一つの県が4つの村でできていると考えると?。

生徒:「68村!!!」

教師:1村が100人と考えると?。

生徒:「680人!!!!!」

教師:そう、680人。秦氏ほどでないにしろ、かなりな大人数で来た事になるね。これはどこからきたんだっけ。

生徒:「安羅!!!」「任那の一部!!!」

教師:そうだ。安羅の国。南朝鮮の一番小さい任那の国の、その中の小さな国だね。こんなところからたくさんの、進んだ技術を持った人たちが日本

   に渡って来たと言うわけだ。

   そこで問題だ。なぜ中国や朝鮮から高い技術を持った多くの渡来人がやって来たのだろうか。君たちはどう推理しますか?。

(各自自分の意見をノートに書く)

教師:ヒントは、当時中国や朝鮮がどんな状態にあったかということと、この渡来人達が高い技術を持ってきたと言う事です。では、班の座席に移し

   て、討論してください。

(班の討論の時間)

教師:では、発表してもらおう。どの班から行きますか?。・・・・・・・・・では1班お願いします。

生徒:「はい。たくさんの村人をつれて渡ってきているので、向こうの国で人口が増えすぎて住めなくなったからだと思います。」

教師:なるほど、人口が増えすぎたね。他の班はどうだろう・・・・・・・・・・・・・・・6班お願いします。

生徒:「はい。いろんな意見が出てまとまりませんでした。日本の王様に呼ばれてやってきたというのと、日本は技術や文化が遅れた国だから、日本

   に行けば王様になってえばれると思ってきたと、何かその国に居られない事情があったという意見がでました。」

教師:なるほど。・・・・・・はい、3班。意見がありますか?。

生徒:「はい。今の3班の意見に似ているんですが、自分たちは高い文化や技術を持っているんだから、遅れた日本に教えてやろうということで来た

    のではないかと思います。」

教師:なるほど・・・・・・・・他には?。・・・・・2班、どうぞ。

生徒:「はい。いろんな意見が出たんですが、中国や朝鮮では国がいくつにも別れていたので戦争がおき、負けた国の人がそこにいられなくなって船

    にのって日本に来たという意見がありました。」

教師:なるほど。戦争を逃れて来たというわけですね。・・・・・・・・・はい5班、どうぞ。

生徒:「はい、今までの意見とちょっと違うんですが、日本がとても良い国なんで来たのではないかと思います。」

教師:日本が良い国だからですか。どんなところが良いのですか?。

生徒:「よくわからないんですが、朝鮮の南の国に比べれば日本は大きいから、人の住んでないところもたくさんあるとか、朝鮮も日本と同じお米を作

    っているので、農業がしやすいとか、日本は朝鮮より南だから暖かくて気候が良くて住みやすいとかだと思います。」

教師:なるほど農業をするための環境のめんですね。あと発言してないのは何班かな?。・・・・では4班お願いします。

生徒:「はい。日本に来た理由ですが、気候も似ているし、弥生人が中国や朝鮮から来たのだから、自分たちと同じ顔をした人たちがたくさん住んで

    いるとか、移ってきやすい所だったのだと思います。」

教師:なるほど。弥生時代以来中国や朝鮮とは親戚だからというわけですね。いろんな意見がでましたね。

○板書事項

・人口が増えすぎて住めなくなったから。
・日本の王様によばれて来た。
・日本に行けば王様になれると思ってきた(日本は遅れているから)
・その国になにかいられない事情があったから。
・文化や技術の遅れた日本に教えてやろうと思って来た。
・戦争がおきて負けた国の人が日本に逃げてきた。
・日本が良い国だから来た(広い・人の居ないところがある・農業がしやすい・気候が良くて住みやすい)
・自分たちと似ている人が住んでいるから。

教師:いろいろな意見がありますが、では当時の日本とこれらの国々とはどんな関係にあったかと言う事を確認しておきましょう。資料集のp17を開

   けてみてください。そこの@番「大和朝廷の朝鮮半島進出」とA番「倭王武が宋の皇帝に送った手紙」を読んで見ます。

教師:@の資料は北の大国高句麗の王が自分のやったことを記念して建てた石碑に書いてある文章です。これによると、倭の国がしばしば海をわ

   たってやってきて、高句麗の家来であった新羅と百済の国を攻めるので、高句麗の王は何度も軍隊を出して倭を破り、これらの国を助けなけ

   ればならなかったとあります。またAの資料はその倭の王の武が、中国の皇帝に御使いを送ろうとしても高句麗が邪魔して行けないので、高句

   麗を中国の力で押さえて欲しいと書いてあります。要するに高句麗と倭が戦争を続けているがなかなか決着をつけられないということです。しか

   も両国が戦っている場所はどこかというと、・・・・・・・・。

生徒:「新羅!!」「百済!!!」「任那!!!!」

教師:そう。要するにこの二つの国に挟まれた真中の小さな国だね。そしてこの小さな国からたくさんの人が日本・倭に移り住んできたんだね。この

   時代に。

生徒:「じゃあ、戦争を逃れて来たんだ!!」「いや、技術と文化を教えに来たのかもよ!!」「いや、違う」・・・・・・・・

教師:そう。この戦争がからんでいることは確かだろうが、日本に渡ってきた理由はいろいろあるかもしれないね。では最後の問題です。このとき二

   本に渡ってきた渡来人の目には、日本はどんな国と映ったのだろうか?。じゃあ君たちの推理を書いてください。

(各自、自分の意見をノートに書く)

教師:では、何人か発表してもらおう。・・・・・・・はい、□□さん。

生徒:「はい。やはり戦争のない平和な住みやすい国ということだと思います。」

教師:なるほど。・・・・・・・今の□□さんと同じ意見の人!!(かなりの人数が手をあげる)

教師:何人か違う意見があるようだね。・・・・・△△くん、お願いします。

生徒:「はい。僕はやはり、遅れた国、文化も技術も遅れた国だとおもいます。このとき持ってこられた文化や技術がないとあとはなにもないくらいな

    んですから。」

教師:なるほど・・・・やはり遅れた国ね。・・・・今と同じ意見の人!!(ここにも賛同者がいる)・・・・まだ他にも意見のある人!!。はい○○さん。

生徒:「はい。わたしは、渡来人にとって日本はいろんな意味で住みやすい所だったのだと思います。平和だし、住むところはあるし、自分たちの技

    術は使えるし、同じ顔の人は多いし、それに気候も良い。そういう国だったと思います。」

教師:なるほど。違った意見でも対立はしないということですね。要するに渡来人にとっては住みやすい良い国だということですね。なんかまとめの意

   見が出てきたようです。今日はここで終わりましょう。次の時間は奈良時代をちょっと見てみましょう。

 


授業2000に戻る 次の授業記録を見る