日本人はどこから来たの? D 世界帝国


教師:さて今日は奈良時代の学習をしよう。奈良時代とはどんな時代と聞かれたらなんと答えますか?。

生徒:「はい。大仏が作られました!!!」

教師:なるほど。大仏ね。じゃあ、みんなは大仏を見たことがあるかな。ある人?!!。(大部分が手をあげる)

   どこの大仏を見たのかな?。

生徒:「鎌倉の大仏!!!!」

教師:なるほど。鎌倉の大仏ね。でもこれは奈良時代にできたんではないんだ。鎌倉時代なんだ。

生徒:「えっつ、そうなの?。知らなかった。」

教師:奈良の大仏が奈良時代につくられたんだ。どのくらいの大きさか知ってるかい?。

生徒:「50m!!」「でかすぎるよ!」「5m!!」「小さいんじゃあないの?」「じゃあ10mかな?」

教師:資料集をあけてごらん。p31だ。そこに写真と、大きさや重さが書いてある。

生徒:「すげー」「14.87m?」

教師:この校舎の高さが約16mだから、これよりちょっと低いくらいだね。

生徒:「でかいなー!!」「すごいデブだ!!」「250トン!!」

教師:でかいだろ。そしてこの大仏様があるのが東大寺で、そこの大仏殿の中に大仏様は座っている。資料集に東大寺の復元写真があるね。

生徒:「あるある」

教師:「柱は何色?屋根は何色?」

生徒:「よくわかんないよ!!!」

教師:そうか。写真の角度が悪いね。じゃあ、資料集のp28をあけてごらん。そこに東大寺があった平城京の模型の写真があって、その中に入り口

   の門を復元したものの写真があるとおもう。東大寺の建物も同じ色をしていたんだ。

生徒:「あっきれいだね!!」

教師:そう。きれいだ。ところで、柱は何色?。

生徒:「赤!!!」「朱色!!!!」

教師:そう。正確には朱色だね。で壁は白。そして屋根は?。

生徒:「灰色!!」「ちょっと緑がかかっているよ!!」

教師:そう。屋根が光っているので灰色みたいに見えるけど、正しくは緑だ。」

生徒:「ずいぶんはでな建物だね。」

教師:そう。とってもはでだね。でもこれは東大寺やこの門だけではないよ。平城京の建物の大部分はこんな色と形をしていたんだそうだ。柱など木

   で出来たものは朱色。そして壁は真っ白な白壁。さらに屋根がわらは緑。その上やねのてっぺんには・・・・・

生徒:「金色の魚の尻尾みたいのがある?」

教師:そう。しびっていうんだ。魚の尻尾だね。大きな焼き物で金メッキがしてある。こんな建物があちこちに建ててあるのが平城京という都なんだ。

生徒:「なんでこんなにはでな建物にしたの?」

教師:良い質問だね。なぜこんなにはでな建物にしたか?。みんなはどう考えますか?。

生徒:「・・・・・・・・・・・」「はい。悪魔が来るのを追い払おうとしているのだと思います。」「ほんと????」「うそだよ!!!」

教師:おもしろい考えだね。どうしてそう考えたの?。

生徒:古墳とか昔の人のお墓では、死んだ人を入れたお棺や部屋を真っ赤に塗ったと聞いたからです。

教師:良く知っているね。そのとうりだ。昔から赤い色は魔よけというか、そういうものを追い払う色ということだったらしいね。ということは女の人が唇

   に口紅を塗るけど、あれも赤だね。

生徒:「えっつ、じゃあ口紅も魔よけ??!!」

教師:そうかもね。悪い虫がよってこないようにって!(爆笑!!)

    朱色にはそういう意味があるかもしれないね。でもそれ以外にも建物をこんなにはでな色にした理由があるんだ。・・・はい○○くん。

生徒:「はい。きっと、そういう色の建物が流行って居たんだと思います。」

教師:流行っていた。なるほど。どこで?。

生徒:「世界中で。日本は外国のまねをするのが好きだから。」

教師:なるほど。外国のまねね。じゃあ奈良時代の人が外国の真似をしたとするとどこの国かな?。

生徒:「アメリカ!!」「それは今の話しだろ!!」「じゃあヨーロッパ」「違うよ中国だ!!!」

教師:結局どこなの?

生徒:「中国!!!!!!!」

教師:そう。正解。中国。じつは平城京自身が中国の都のまねなんだね。教科書を見てご覧。p40に平城京の図がある。どんな形をしている?。

生徒:「四角い!!」「道路が真っ直ぐ!!!」「道路が縦と横になっている!!!」「道路の幅が広い!!」「84m!!」「すげー!!」

教師:そう。すごい幅の道路だね。学校の校庭の幅が120mしかないんだから。この天皇の住んでいる大内裏を中心にして太い道路が南北東西に交

   わる形で町が作られているところが特徴だ。で、これが中国の都のまねなんだ。教科書のp33を見てご覧。

生徒:「あっつ、似ている!!」「こっちの方が大きいよ」・・・・・・・・・・・・

教師:中国の都ってなんていう町?

生徒:「長安!!!」

教師:そう。長安の都。じつは平城京はこの長安の都。当時は唐といった国の都の真似なんだね。町の形もそこに立っている建物の形や色も全部

       中国の真似。でも町だけじゃあないんだ。ちょっと資料を配ろう(資料D中国化する貴族を配布)

教師:これは当時の貴族に家の中の様子なんだ。椅子に座って机で仕事をして。着ている服も中国貴族と同じ形のものなんだ。床には何がひいて

   ある?。

生徒:「じゅうたん!!!」

教師:そう。じゅうたんだ。こうやって見ると奈良時代の貴族の家の中には日本の普通の家に必ずあるものがないだろ?。

生徒:「・・・・・・・・・?」「あっつ、わかった!!」

教師:はい。△△さん。

生徒:「はい。たたみがありません。」「あっつ、ほんとだ。!!」

教師:そう。たたみです。まだこの時代にはたたみはないのだけど、普通は床にござをしくんだね。そしてそれにあぐらをかいて座るのがそれまでの

   日本の習慣だったんだ。それが中国のまねをして、じゅうたんをしいて机と椅子になった。ということは夜寝るときは何に寝ると思う?。

生徒:「ベッド!!!」「えっつ、ほんとー!!!??」

教師:そう。ベッドなんだよ。家の中の暮らしのしかたまで中国のまねをしたんだね。でもそれだけじゃあない。資料の裏をみてみよう。

教師:たべものもすべて中国のまねをしたんだね。奈良時代の貴族は。奈良時代は中国の文化をまねした時代なんだ。大仏も中国にあったんだ

   よ。もっと大きいのがね。

生徒:「大仏までまねだったんだ!」

教師:もっとも大きな岩山をくりぬいて作った大仏だけどね。

○板書事項

奈良時代とは:中国文化をまねした時代

教師:だから平城京のまちを中国の人が歩いたとしたら、どんな気持ちになっただろうね。中国のまちそっくりのまちで、行き交う人の服は中国の服

   で、食べているものまで中国のもの。

生徒:「歩いている人の顔も中国に似ているよ!!」「なんで?」「弥生人は中国・朝鮮から来たんじゃあないか。」「あっつそうか。」「それにたくさんの

   渡来人が来ていて、貴族の3分の1は渡来人なんだから。」

教師:そうだね。人の顔まで中国人に良く似ているとすると・・・・・・・?

生徒:「中国にいるみたいな感じ!!!!」

教師:そうだ。ほとんど、中国だね。・・・・・・ところでこれほど中国の真似をしたわけだけど。どうやって中国の文化を学んだのかな?。

生徒:「船で行って学んだ!!」

教師:そうだね。船。この奈良時代にはなんども中国に使いが出されているね?。

生徒:「遣唐使!!!」「遣隋使!!」

教師:そうだ。遣唐使・遣隋使。資料集のp31にその遣唐使船を復元したものの写真が載っているよ。

生徒:「船まで赤いんだ!!」

教師:そう。この船の形も色も中国のまね。ところで遣唐使船って、何隻で行ったって書いてある?。

生徒:「4隻!!!!!」

教師:そう4隻だ。そしてそれぞれの船に何人のっているの?。

生徒:「120〜140人!!!」

教師:そう。140人ぐらい。大工さんもいるし、かわらを作る人や、絵を書く人、そして御坊さんも居る。いろんな人が中国の文化を学びに行ったんだ

    ね。その一隻一隻に中国にいく御使いの代表の人が乗ってね、それぞれが中国の皇帝に渡す天皇の手紙を持っていたんだ。

生徒:「なんで、そんなめんどうなことをするの?。」

教師。そこが、問題だね。みんなはどう考えます?。

生徒:「・・・・・・・・・?」「あっつ、わかった!!!」

教師:はい。○○さん。

生徒:「はい。途中で船が沈むんだと思います。嵐か何かにあって。」「なるほど!!!!」

教師:そう。正解です。途中で船が沈むんです。4隻船出しても無事に中国に着くのは一隻ぐらい。あとは沈没したり嵐に流され押し戻されて日本に

    流れ着いたり、とんでもない南の方に流れ着いたりなんだ。そして無事に中国に着いた船だって、こんどは帰りの航海で・・・・・

生徒:「また沈んじゃうの?。」

教師:そう。沈んだり、嵐で中国に押し返されたりして、日本に帰れないことが多い。

生徒:「そんな!!危ないジャン!!!」

教師:そう。中国に行く事は命がけのことだったんだね。そこで問題だ。なぜ奈良時代の貴族は危険をおかしてまで中国文化を学ぼうとしたのか?。

   きみたちの推理をノートに書いてごらんなさい。

(各自自分の考えをノートに書く)

教師:では、班にして、討論してまとめてみよう。

(班にして討論。すぐまとまる班とそうでない班とがある)

教師:では、班の討論のまとめを発表してもらおう。・・・・・・・・・はい。4班、お願いします。

生徒:「はい。うちの班では、中国の文化が優れていたのでそれを真似して日本ももっと優れた国にしようとしたんだと思います。」

教師:なるほど、優れた国にするために学んだと。・・・・では他の班は?・・・・・・・1班、お願いします。

生徒:「はい。4班と似ているんですけど、今までにもたくさん中国から人が移り住んで来ていて、その人たちから中国のことを聞いて優れた国だとわ

    かったので学んだんだと思います。」

教師:なるほど。中国から渡来してきた人に教わってね・・・・・・・。他の班は?・・・・はい2班。

生徒:「はい。ちょっと違うんですけど、中国の真似をして中国と仲良くなりたいと思ったのではないかと思います。理由は、日本で戦争か何かが起き

   ていて、中国に助けてもらいたくて、それで中国の真似をして、助けてもらおうとしたんだと思います。」

教師:なるほど。優れているからではなく、助けて欲しい事情があったので、真似したというわけですね。

生徒:「中国の文化のほうが優れていることは同じです。」

教師:はい。わかりました。・・・・はい、5班。何か意見がありますか。

生徒:「はい。今の2班と反対なんだけど、急いで中国の真似をしないとやばいことがあったんだとおもいます。」

教師:そのやばいこととは何ですか?。

生徒:「よくわからないんですけど、中国とかケンカかなんかしてしまって、戦争する必要がでてきてんだけど、中国のほうが文化が優れているのでそ

   のままだと負けてしまうから、中国の文化を学んで、日本を中国に負けない強い国にしようとしたんだとおもいます。」

教師:なるほど。中国と戦争することになりそうなので、日本を強い国にしようとしたんだね。・・・まだ発言していない班は・・・・

生徒:「6班です!」「3班です!」

教師:じゃあ6班お願いします。

生徒:「はい。2班とおなじで、中国から来た人に中国が優れていることを聞いて学んだんだと思います。」

教師:はい。では3班は?。

生徒:「4班と同じで、中国のほうが優れているので真似をしたんだと思います。」

教師:なるほど。少しずつ答えは違うけど、中国の文化のほうが優れているというのは同じだね。

○板書事項

・中国文化が優れているので学んで、日本をもっとすぐれた国にしようした。
・中国から来たひとに聞いて中国が優れている事を知った。
・中国とケンカして負けそうになったので、中国文化を学んで日本を強い国にしようとした。

教師:ではこの当時の国と国との関係を見てみよう。当時の中国・唐はどれくらいの大きさの国かと言うと、教科書p35の地図がそのふんいきを伝え

   てるね。開けてみてください。

生徒:「すげーっつ、何これ!!」「でっけ―国!!!」

教師:そう、とてつもなく大きい国だね。当時の世界で最も大きい国、世界帝国といっても良い国が唐だったんだ。その唐と日本は、実は戦争をして

   しまったんだ。

生徒:「えっつ、やっちゃったの?!!」

教師:そう。戦争してしまったんだ。

生徒:「で、日本は勝ったの?。」

教師:どっちだと思う?。

生徒:「負けた!!!!!」

教師:そう。負けたんですよ。それも完敗。日本軍はほぼ全滅。

生徒:「えっつ、全滅??!!!!」

教師:そう、全滅。白村江の闘いといって、663年のことなんだ。地図は資料集のp26の「百済の滅亡と防衛策」というところの地図がいいいな。

   この朝鮮の百済が唐と新羅の連合軍に攻められたんで日本に救援を求め、それで日本は大軍をおくって百済を助けようとしたんだね。

生徒:「そしたら負けてしまった!!」

教師:そう。完敗。その闘いの様子を資料にしたので読んでみましょう。(資料E白村江の敗戦を配布)

  <日本人はどこから来たの?>

   資料E:「海水みな赤し−倭船400艘炎上す」(白村江の敗戦)

  • 663年8月28日。朝鮮百済の錦江河口の白村江で大唐帝国水軍170艘(7000人あまり)と倭国水軍400艘あまり(およそ20000人)の大軍が激突した。

   前日の戦いに敗れ、浮き足立って戦列の乱れた倭国軍は、「われらが先を争  うように攻めかかれば、敵は退却する」と考え、全軍しゃにむに突撃した。陣  を構えて倭軍の突撃を待ち構えていた唐軍は、倭国水軍を白村江の奥深くに誘  い込み、倭国水軍を左右からはさみこむようにして戦った。  逃げ道を失っ  て右往左往する倭国の船に、唐軍は火矢を打ちかけ、またたくまに倭国の船は  炎に包まれた。燃え盛る船から海に飛び込んだ倭の兵士たちには、唐軍から雨  のように矢が射かけられ、倭の兵士は、血まみれとなって、水中に沈んだ。

  倭船400艘あまりは炎上し、その煙は天をおおい、海水は真っ赤にそまり、倭  国水軍は,壊滅した。生き残った者の多くは捕虜として唐に連行されて奴隷と  され,その多くは、二度とふたたび故郷の土を踏むことはなかった。

  • 67111月2日。倭人数名が九州の大宰府を訪れた。筑紫君薩野馬ら、白村江の闘いで捕虜となった将軍たちであった。2000の唐軍に伴われてきた彼らは、恐ろしい知らせをもたらした。

    「唐が戦船を多数つくり戦争の準備をしている」との知らせであった。

   倭国の人々の頭には11年前の唐の長安城で遣唐使が見たという百済国王と民  たちの惨めな姿が目に浮かんだという。 

教師:すごい負け戦でしょ。そしてこの戦いで負けて滅んだ百済と、その5年後に滅ぼされた高句麗からたくさんの人が日本に逃げてきたんだよ。さ

   らに戦に負けただけじゃあなく、その8年後にはおそろしい知らせが入ってきたんだね。唐が戦争の準備をしているという知らせ。どことの戦争

   の準備をしているというのかな?。

生徒:「日本?」

教師:そう、日本。少なくとも知らせた人はそう考えたし、当時の日本の人もそう考えたんだ。

    さあ、この資料を参考にしてみると、さっきの、なぜ奈良時代の貴族は危険をおかしてまで中国文化を学ぼうとしたのかの問いの答えはどうな

    るかな?。もう一度まとめてみよう。

(みんなノートに一斉に鉛筆を走らせている)

教師:じゃあ、何人か意見を聞いてみよう。・・・・・はい□□くん。

生徒:「はい。僕は、戦争に負け、その上また唐が日本に攻めてくると言うので、中国の文化を学んで日本を強い国にして、負けないようにしたんだと

    思います。」

教師:なるほど・・・・・・・・はい、○○さん。

生徒:「はい。今の□□くんの意見に反対です。戦争して負けちゃったから、おもいっきり中国の真似をして、自分の国は中国を尊敬しているんだか

    ら攻めないで下さいとお願いしているんだと思います。闘うんじゃあなくて仲良くしたいんだと思います。」

教師:なるほど。正反対の意見だね。

生徒:「どっちが正しいの?」

教師:さあ、どっちだろう。このへんは一人一人が考えてみてください。では今日はこれでおしまい。次の時間は、単元のまとめの勉強です。

 


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