パンドラの箱は開かれた!D   女王卑弥呼を見た


教師:じゃあ今日は、日本はいつから文明に入ったのかということを考えていきます。それに入る前に、文明とは何かということを確認しておきましょ

   う。文明の共通点(特徴)って何でしたか?。

生徒:「王や奴隷の身分があった!」「文字や暦を使っている!!」「水に関する建築物がある!!」「神を祭る建物や行事がある!!」

教師:そうですね。これが文明の特徴だと考えられます。では日本はいつから文明にはいったのだろうか。わかるかな?。

生徒:「縄文!」「弥生!!」「えーっとそれから・・・・・・・?。」

教師:時代順に言えるかな?。・・・・・・・・わからない?。じゃあ教科書の年表を見て確認しよう。・・・・・・・・一番最初は?。

生徒:「旧石器時代!!」

教師:次は?。

生徒:「縄文時代!!!」

教師:その次は?。

生徒:「弥生時代!!」

教師:次は?

生徒:「古墳時代!!」・・・・・・・・・・(以下続く!!!)

教師:ということで、日本の古い時代のうち、比較的良くわかっている縄文・弥生・古墳の3つの時代を教科書を資料につかってみんなで調べてみよ

   う。「身分の区別はあるのか?」「文字や暦はあるのか?」「大規模な工事で作られたものはあるか?」という3つの条件にどれだけあてはまる

   かで判断してみよう。では班の座席にして調べたい時代を決めてください。

(以下、一つの時代に二つの班という形で分担。そして教科書を資料にして調査中)

教師:ではだいたいできたようなので、順番に発表してもらいましょう。では縄文時代。最初に2班お願いします。5班は追加や違う意見があれば出し

   てください。

生徒:「身分の区別については、おたがいに平等で共同生活を行ったとあるので、身分はないと思います。それから文字や暦は使われていません。

    そして大規模な工事で作られたものもありません。でも縄文時代は文明だと2班は考えました。」

教師:どういうことでしょう。文明の特徴を備えていないのに。

生徒:「辞書で引いて見たんですけど、文明とは様々な技術や道具ができて生活が便利になり豊かになることと書いてありました。縄文時代は土器

   が作られいろいろな道具も作られ、村も出来て豊かな暮らしをしていたようなので文明と考えました。」

教師:なるほど。文明を違う条件で考えてみたと言う事ですね。はい、ありがとう。では5班。追加とか違う意見はありますか?。

生徒:「はい。大規模な工事で作られたものというところですが、教科書に巨大な竪穴式住居と言うのがありました。」

教師:その住居の大きさはわかりますか?。

生徒:「はい。柱の穴の大きさが直径80cmもあり、長さ30〜40m、幅が8か9mと書いてありました。」

教師:この教室の幅が約8mで長さが約10mだから、教室でいうと3教室分か4教室分の大きさと言う事になりますね。

生徒:「でけーっつ。」「すごいね!」

教師:そうですね。それで5班は文明かどうかについてはどう考えますか?。

生徒:「はい。文明ではないと思います。大きな建物といっても竪穴式住居一つですし、文字や暦も使っていないし、身分もないのだから、文明ではな

   いと考えました。」

教師:はい、ありがとう。縄文時代については意見がわかれましたね。では次は弥生時代。6班お願いします。

生徒:「弥生時代は身分がありました。稲作が始まり国が出来て指導者が現れたと書いてあるからです。それから文字ですが、中国に使いをやって

   金印をもらったと書いてあり、その金印に漢字が書いてあるのでこれを読めたんだと思います。暦についてはよくわかりません。それから大規

   模な工事ですが共同でおこなうかんがい工事とか高床式倉庫とかいろんなものがつくられています。最後に文明か?についてですが、身分も

   あり文字もあり大規模な工事もおこなわれているので、弥生時代は文明だと思います。

教師:はい、ありがとう。では1班、付け加えとか反論とかありますか?。

生徒:「はい。反論はありませんが、付け加えがあります。身分ですが王と奴隷があります。魏志倭人伝というところに女王卑弥呼の墓に奴隷を100

   人葬ったとあるからです。それから大規模な工事ですが、王の墓があります。卑弥呼の墓は径100歩の大きな塚とあるからです。」

教師:1班は結論としては弥生時代は文明だということですか?。

生徒:「はい、そうです。」

教師:ありがとう。弥生時代については意見が一致しましたね。では最後に古墳時代に行きます。4班お願いします。

生徒:「はい。身分ですが大王(おおきみ)とか臣・連などの身分がありました。暦については分かりませんが、文字は渡来人が漢字を伝えたとありま

   すし、文字を彫った鏡や刀があるので使っていたと思います。大規模な工事は、古墳があります。それから豪族の館があります。最後に文明か

   については文明だと思います。」

教師:ありがとう。3班は付け加えとか反論はありますか?。

生徒:「はい。大規模な工事のところで用水路があります。それから身分ですが王がいて大きなお墓などを作らせているんだから奴隷もいると思いま

    す。だから暦が良くわからないのですが古墳時代は身分もあり文字も使い、大規模な工事も行われているので文明だと思います。」

教師:はい、ありがとう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では各班の意見をまとめた表を見てみましょう。

  身分の区別はあるか 文字や暦はあるか 大規模な工事で作られたものはあるか この時代は文明か?
縄文時代 区別はない。平等。 文字も暦もない。 大規模なたてあな式住居 文明だ(2班)
文明ではない(5班)
弥生時代 指導者・王・奴隷 文字あり(漢字)
暦?
かんがい工事・王の墓 文明だ(1・6班)
古墳時代 大王・臣・連・奴隷 文字あり(漢字)
暦?
古墳・豪族の館・用水路 文明だ(4・3班)

教師:暦のことですが、教科書には全く書いてないけど本当にどの時代にもなかったのでしょうか。暦ってなんのためにあるんでしたっけ?。

生徒:「洪水の時期を知るため!」「季節を知るため!!」

教師:そうですね。でも何のために洪水の時期や季節を知る必要があったのでしょうね。

生徒:「畑や田んぼで作物を育てるためです!!!」

   「あっつ、わかった。弥生時代には暦があります。!」

教師:なぜですか?。

生徒:「弥生時代には稲作が始まり、かんがい工事なども行われていたからです。稲を育てるには暦がいります。」

教師:そうです。そのとおりです。ということは用水路が作られた古墳時代にも暦はあったはずですね。

生徒:「はい。じゃあどうして教科書には暦があったって書いてないんですか?。」

教師:良い質問ですね。たぶん、どんな暦を使っていたか資料がなくて良くわかっていないからではないでしょうか。

生徒:「あっつ、なるほど。わかりました。」

教師:さてもう一度この表を見てみると、日本はいつ文明に入ったかということは確実には何時代からですか?。

生徒:「弥生時代から!!!」

教師:そうですね。弥生時代。これは確実です。しかし、縄文時代の可能性もありますね。2班の意見にあったように『様々な道具や技術ができて生

   活が便利になり暮らしが豊かになる事』と文明を考えると、縄文時代は文明だといってもよいわけです。ただ文明の条件を『身分・文字・暦・大

   規模な工事』としても縄文時代は文明の可能性があります。教科書にあった大規模なたてあな式住居と一緒に面白いものが出ているんです。

   資料集の特集:縄文時代の大集落遺跡をあけてください。

   これは青森県の三内丸山遺跡ですがあの大きなたてあな式住居のそばから直径2mもある柱が6本並んで出てきました。この柱の太さと穴の

   角度からみて、この建物は6本柱で高さが15m以上の建物と考えられ、とりあえず、その写真のように屋根のない建物として復元されました。

   高さ15mといえばこの校舎ぐらいですね。これはいったい何でしょうか?。

生徒:「見張り台?」

教師:なるほど。見張り台。だとすれば何を見張るの?。

生徒:「敵が来るかどうか見張るの。」

教師:とすれば、縄文時代に何があったということになる?。

生徒:「戦争!!!」

教師:そうです。戦争。ということは負けたほうはどうなるかというと?。

生徒:「捕虜になって奴隷にされる!!」

教師:そうだね。奴隷。奴隷がいたとすれば他には何がいる?。

生徒:「王様!!!」

教師:そう。王様。こうなると、さっきの大規模なたてあな式住居は何だと考えられる?。

生徒:「王様の家!!!」

   「えっつ、縄文時代には身分はないんじゃないですか?。」

教師:そう。今まではそう考えられてきたね。でももしあの高い建物が見張り台で敵が攻めてくるのを見張るのだとすれば、戦争があり、奴隷と王とが

    いたと考えてもおかしくないだろ?。

生徒:「でも私は信じられない。この大きな建物は村の集会場で、高い建物は漁に行った人たちの目印で見張り台だと思います。」

教師:そう。そう解釈する事も可能だね。でも違うかも知れない。

生徒:「僕はこの大きな建物は、体育館だと思う。みんなで神様の前でスポーツをするんだ。」「オリンピア競技みたいに?」「そう。」

教師:なるほど。そう考える事もできるね。問題は今後どんな遺跡が出てくるかだ。でも縄文時代が文明ではないかということはまだ証拠があるんだ

   よ。プリントの資料のAをみてごらん。

 <パンドラの箱は開かれた!>資料A 新発見の資料

A縄文人が中国の王に使いを送った!!

 中国の歴史書である「論衡」という書に次の記述がある。

 「周の文王のとき(紀元前1211世紀)倭人が暢草(良い香りのする薬草=長生きの薬)を贈り物とし、越人が雉(めでたいことがあるとされる鳥)を贈った」

つまり縄文時代人は中国で殷王朝が滅ぼされ周ができ文王という新しい王が即位したことを知り、ただちにお祝にかけつけたと言うことだ。

   縄文人はどうやって中国で殷が滅び周ができ、文王という新しい王様が即位したということを知ったんだろうね。

生徒:「中国から連絡があったんじゃあないの?。」

教師:どうやって?。

生徒:「中国の人が船で日本にやってきて伝えたんだ。」「どうやって?」「そこで話した」「手紙を持ってきたんじゃあないの?。」

教師:もし手紙だとすると?。

生徒:「縄文人は漢字が読めた!!」「まさか?!」「信じられない!!!」

教師:そう。信じられないかもしれない。でももう一つ証拠があるよ。教科書のp13の上から3行目以下を見てご覧。

 おなじような大型の建築物は石川・富山・新潟・群馬県などで発見されていますが、
これらの建築物の柱と柱のあいだが35cmを単位とする基準で統一されているのです。
ところで古い時代の中国や朝鮮でも35cmや30cmが基準単位として使われているの
です。このことは、縄文時代にも中国や朝鮮と交流があったかもしれないことを示して
います。

生徒:「中国や朝鮮に縄文人が船で行っていたってこと?。」

教師:そう。でもそれだけじゃあない。建物の柱の間隔が中国や朝鮮と同じ35cmの倍数になっていると言う事は何を使っていたということを意味する

    のかな?。

生徒:「あっつ、ものさし?。」

教師:そう、ものさし。ということはものさしには何が書いてある?。

生徒:「数字!!」「文字!!」

教師:と言う事は縄文人は文字を?・・・・

生徒:「文字を読めた!!!」「ほんと?。」「信じられない!!!!」

教師:縄文人が文字を読めた可能性があるということです。このように新発見の資料を見ていくと、縄文時代は文明なのかそうでないのか?。いろん

   な可能性がありますね。じゃあ、最後に以上の資料を参考にして『日本はいつ文明に入ったのか』の問いに対する自分の考えをノートに書いて

   ください。自分の考えですから、この縄文時代をどう考えるかはそれぞれの自由です。

(ノートにそれぞれの考えを書く)

   では、もう時間ですから。これは最後のレポートにとっておきましょう。では次の時間はいよいよパンドラの箱の意味を考え、文明の意味につい

   て考えたいと思います。では今日はこれでおしまい。

 


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