つるばみの衣@ 大仏の見たものは?


教師:さて今日から奈良時代について学習します。奈良時代を代表するものと言えば・・・・・・

生徒:「大仏!!!!」

教師:そう。大仏でしたね。(大仏・大仏殿の写真パネルを貼りながら)

   この大仏を手がかりとして奈良時代について考えて行きたいと思います。

   では、最初に、大仏についての基礎知識。教科書p41を開けて、ノートの最初の問題を答えてみましょう。

奈良の大仏について
作るよう指示した人は?                              
作る目的は?  
作るにかかった年月は?  
働いた人ののべ人数は?  

教師:さあ、そろそろいいかな?。では答えてください。大仏を作るように指示した人は誰?。

生徒:「聖武天皇!!!!!」「光明皇后!!!!」

生徒:「光明皇后って誰?。」

教師:聖武天皇の奥さん。本名を藤原光明子と言います。このふたりの願いで大仏は作られたんですね。・・・・・・では大仏を作る目的は何ですか?

生徒:「仏の力で国家を安泰にする!!!!!」

生徒:「安泰って何?。」

教師:おだやかというのかな?。心配事が何もない状態といって良いと思います。

生徒:「仏って何?。」「死んだ人のこと?。」

教師:ここの仏はお釈迦様のことです。仏教と言う教えを開いた人だね。

生徒:「なんでお釈迦様のことを仏って言うのですか?。」

教師:お釈迦様は今のインド地方の人でね。この地方ではとても偉い人々から慕われた人のことをブッダと呼んだんだ。お釈迦様はそういう人だっ

   たので、ブッダと呼ばれた。このブッダを中国の人が漢字で書いたら仏陀となったんだ。それで仏陀の陀を省略して仏だ。

生徒:「じゃあなんで死んだ人のことを仏様と呼ぶの?。」

教師:それはね、仏教の教えでね。この世に生きている間に仏の教えを信じ、悪い行いをしなかったひとは信だ後仏に近づくことが出来ると言うん

   だ。最初は仏の教えを信じた人が仏に近づくだったのが、そのうちに仏になれるに変わり、最後は仏の教えを信じても信じてなくても死んだ人

   はみんな仏になれると教えが変わって行ったので、死んだ人のことを仏って言うようになったんだよ。

生徒:「へえーっつ。じゃあ、みんなが仏の教えを信じて世の中がおだやかになるようにってことだね。」

教師:そうですね。では次は大仏を作るにかかった年月です。何年?。

生徒:「6年!!!!!!」

教師:そう。6年。この6年というのは大仏本体をつくるのに6年と言うことなんだ。実際にはそのあとに大仏の家である大仏殿をつくり、そのまわりの

    東大寺全体の建物をつくるのにあと10年はかかるんだ。

生徒:「すごい時間がかかっているんだね。」

教師:そう。すごい時間だ。最後に働いた人はのべ何人?。

生徒:「260万人!!!!!!!!」

教師:260万人。奈良時代の人口はおよそ700万人だから、その半分が男として350万人。そこから赤ん坊や子どもや老人を引くと、200万人ぐ

   らいかな?。

生徒:「それじゃあ大人の男はほとんど全員行ったことになるよ?!。」

生徒:「それじゃあ大変じゃあない?。」

教師:「誰が大変なの?。」

生徒:「大仏を作るのに働かされた農民なんかが・……。」

教師:そう。大変だね。ところで奈良時代に行われた大規模な工事って、大仏作りだけだったっけ?。

生徒:「・・・・・・・・・?」

教師:そう。・・・・・・・・・・じゃあ資料集を開けてごらん。p22の年表だ。・・・・・・・・・この年表の中で、645年の大化の改新以後を奈良時代と考えて、

   それ以後で大規模な工事で作られたらしいものをあげてみよう。

(各自年表を見ながらチェックしている)

教師:ではあげてもらおう・・・・・・はい、○○くん。

生徒:「はい。710年の平城京に都を移すです。」

生徒:「694年の藤原京に都を移すもです。」

生徒:「724年の多賀城を設置もそうだと思います。」

生徒:「多賀城って何ですか?。」

教師:多賀城はね。陸奥の国の国府でね、この地域の人たちは大和の大王には従わなかったので、城をつくる必要があって、陸奥国府を多賀城と

   呼んだんだ。このころ各地の国々、今の県より少し小さい範囲だけど、そこにも国府という都のちょっと小さいのが作られていたんだ。

生徒:じゃあすごい数を作ったんだね。

教師:そういうことだね。・・・・・・他には大規模な工事があるかな?。

生徒:「701年の薬師寺!!」「724年の興福寺!!」「741年の国分寺・国分尼寺建立もそう!!!!」

生徒:「国分寺って何ですか?。」

教師:国分寺はね、聖武天皇の命令で作られたんだけどその国分寺の中心が大仏のある東大寺。国分寺は東大寺を少し小さくしたお寺で、国々に

    一つ作られたんだよ。

生徒:「じゃあ、国分尼寺って何?。」

教師:さっきの国分寺が男の坊さんのお寺で、国分尼寺は女性のお坊さんの寺だ。大きさは国分寺の約半分だよ。

生徒:「じゃあ、国々に二つずつ大きなお寺を作らせていたわけだ。」

教師:そういうことだね。こうやって都をなんども作りなおしたり、各地に国府や国分寺や国分尼寺を作らせていたはてに、聖武天皇の命令として大

   仏をつくることが出されたんだ。

生徒:「大変だ!!!」

教師:そうだね。・・・・・では、君たちが奈良時代の人だったら、この命令にたいしてどんな気持ちになり、どうするだろうね。自分の考えをノートに書

    いてみよう。

(各自ノートに自分の意見を書く)

教師:では班の座席に移して、討論してみよう。

(班での討論)

教師:だいたいまとまったかな?。・・・・・・では、各班の意見を発表してもらおう。・・・・・はい、1班お願いします。

生徒:「はい。うちの班では、大規模な工事が続いていて大変なところに大仏なんか作らされていやなので、作りにいかないということになりました。」

生徒:「そんなことできるの?。天皇の命令に逆らったら命ないんじゃあないの?。」

生徒:「あっつ、そうか?・・・・・・・じゃあ、逃げる!!」

生徒:「どこへ?。」

生徒:「・・・・・・・・・・・・・・・・・東の方。まだ縄文人のいるところ?」

教師:なるほど・・・・・それは面白い。・・・・・他の班は?。・・・・・はい4班お願いします。

生徒:「はい。私たちは、仏の力で世の中がおだやかになるのなら良いと思い、喜んで大仏を作ったと思います。」

教師:なるほど。・・・・・はい、6班。

生徒:「うちの班は意見が割れました。いやだから逃げるというのと、いやだけどしかたがないので作っているうちに仏の教えにひかれていって最後

    は一生懸命作ったというのに別れました。」

生徒:「5班も6班と同じ意見です。」

教師:はい。わかりました。・・・・はい3班。

生徒:「3班では、ふざけるなと思い、工事現場に忍び込んで大仏を壊そうとしたという意見と、4班と同じで、大仏つくって世の中がおだやかになるの

    ならと喜んで作ったのふたつの意見が出ました。」

生徒:「大仏をこわそうなんてしたら大変だと思います。つかまって死刑だよ!!」「できるわけないよ!!!」

教師:では2班は大仏をつくることに賛成かな?。

生徒:「賛成ではないけど、命令されればしかたないでしょ。」

教師:天皇の命令はそれほど絶対なものだということですね。

生徒:「はい、そうです。」

教師:なるほど・・・・・・・。

生徒:「ほんとのところはどうなんですか?。奈良時代の人は大仏をどう見ていたんですか?。」

教師:そこですね。大事なところは。ただこのことについての資料がないんですよ。・・・・・・ずっと後の資料ならあるんですが。

生徒:「ずっと後っていつですか?。」

教師:平安時代のおわり、鎌倉時代の初めといったほうが正確かな?。実はみんなが今見ている大仏は奈良時代に作られたものではないんだ。奈

   良時代に作られた大仏はその後戦争で2度も焼かれているんだよ。1度目は平安時代の終わりに平氏によって。2度目は戦国時代の終わりに

   ある大名によって焼かれ、2度とも再び建てなおされているんだ。

生徒:「へえー、知らなかったな!!!」

教師:その1度目に焼かれたときの人々の反応についての資料があったので印刷しておきました。配るのでちょっと読んでみてください。(資料@焼

   け落ちた大仏と大仏の再建を配布)

   <つるばみの衣>  資料@:焼け落ちた大仏と、大仏の再建

 焼け落ちた大仏

   11801228日。平重衡率いる平家軍と奈良の大寺の僧兵たちが、奈良の町の北で激突し
  た。平家軍は僧兵を打ち破り、坂の上の城に乱入し、夜で暗かったため、明かりを取るため  付近の民家に火をつけた。おりからの強風にあおられた火はまたたくまに山下の奈良の町に  燃え広がり、東大寺や興福寺に燃え広がった。平家軍におわれた僧たちは寺に逃げ込み、大  仏殿の二階には多くのものが登り,そこへ猛火が襲った。東大寺は大仏と逃げ込んだ僧もろ  とも焼け落ちた。

   実際に見たものによると、大仏は全身が焼けただれ、首は焼けくずれて後ろに落ち、手も  折れて下に落ち、大仏の周りには灰がうずたかく積もっていたという。

 大仏再建

   大仏が焼け落ちた翌年の6月。朝廷は大仏再建の係りと組織を設け、大仏再建に乗り出し  た。そして大仏・大仏殿再建は8月10日からとされ、全国のおおくの信者に金属や・銅銭や  米や材木の寄付を求めて再建されることとなった。

 1181年10月  大仏の鋳造開始

 1183年 2月  大仏の手完成

       5月  大仏の顔完成

 1185年 8月  大仏の顔に金箔がはられる

 1185年8月28日。大仏の顔に目を入れる「開眼供養」が行われた。

   眼を入れる筆には「善の綱」とよばれる12本の綱がつけられ、その綱の長さは1本760
  メートルにもおよび、綱には多くの人がつかまり念仏を唱えていました。やがて、筆を持った後  白河法王が柱を登って大仏の顔に目を入れると、人々の興奮は高まり、舞台の上に、刀や数  珠を投げ入れるものも出、大仏の完成に人々はおおいに熱狂したのでした。

  以後も10年の歳月をかけ、おおくの人の寄付により大仏と東大寺は再建された。

生徒:「大仏ってたくさんの人に大切にされていたんだね。」

生徒:「じゃあ、奈良時代の人もよろこんで大仏を作ったってことかな?。」

教師:どうなんだろうね。この資料を読んでみてもう1度自分の考えをまとめていみよう。

(各自資料を参考にしてさきの問にたいする考えをもう1度まとめる)

教師:では、みんなはどう考えるかな。・・・・はい○○さん。

生徒:「はい。私は仏の力に頼って世の中をおだやかにしようと思って一生懸命働いたと思います。理由は、400年後に大仏が焼かれたとき、たくさ

    んの人が寄付して再建されたからです。」

生徒:「それはわからないよ。一部の御金持ちだけかもしれないぞ。貧乏な農民なんかじゃあ寄付はできないぞ!」

教師:つまりどういうこと。□□くん。説明してください。

生徒:「はい。ぼくはやはり普通の農民たちは大仏をいやいや作ったと思います。いろんなものを作らされて疲れていたと思うからです。天皇やえら

   い人たちは大仏を信じていたかもしれないけど、農民は信じていないと思います。だから400年後に大仏が焼かれたとき寄付したのは天皇やえ

   らい人たちなど、御金持ちの人たちだけだと思います。」

教師:なるほど・・・・・・はい△△くん。

生徒:「ぼくは今の二人の意見のどちらでもありそうなことだと思います。でもこの資料は400年後のことだから、これで奈良時代の人の気持ちを考え

    る事は無理だと思います。」

教師:そう。この資料は大仏が最初に作られてから約400年たってからのことだからね。奈良時代の人々の気持ちを表現しているわけではないね。

    そのとおりだ。

   そこで今回の学習では、奈良時代についていろいろ学んでいって、当時に人々の気持ちを推理してみようと思います。奈良時代の人々はどん

   な気持ちで大仏をつくったのか。これを考えるために奈良時代とはどんな時代なのかを考えて行きたいと思います。では今日の授業はこれでお

  しまい。

 


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