<つるばみの衣>E 私は鳥になりたい
教師:さて最初に前回の復習。大化の改新はどんな国を作ろうとしたのか?。ノートの最初の問題をやってごらん。
○復習問題 【 】を役人として、天皇中心の【 】された国家。 |
生徒:「最初のかっこの答えはわかるけど、2番目がわかりません。」
教師:最初のかっこの答えは何?。
生徒:「豪族!!!!!」
教師:そうだね。豪族。・・・・・・・・・・・では、大化の改新の前の時代では豪族ってなんだったの?。
生徒:「・・・・・・・・」「わかった!!!。王様だ。それぞれの国の王様!!!!」
教師:そうだ。王様。・・・・・・ではどうして豪族がそれぞれの国の王様だとわかるの?。
生徒:「自分の土地と部の民と奴婢とを持っているから!!!!」
教師:そのとおり。だからかれらはこの人たちを使って大きな物を作っていたね。何だ?。
生徒:「古墳!!!」
生徒:「古墳って?。」
生徒:「ほら。あの、鍵穴みたいな形した、大きなお墓?。・・・・・・・」
生徒:「前方後円墳!!!!」
教師:そのとおり。前方後円墳とよばれる古墳、お墓だね。最大のものはどれくらいの大きさか知っているかい?。
生徒:「・・・・・・・・・?。」
教師:では教科書のP27をあけてごらん。
教師:のちに仁徳天皇とよばれた大王の墓だね。長さはどれくらい?。
生徒:「480m!!!」
教師:西中の校庭の幅が100mと少しだから、その約4倍と少し・・・・
生徒:「デケー!」
教師:高さは?。
生徒:「35m!!!」
教師:この校舎の一番高いところで16mぐらいだから・・・・・・
生徒:「2倍と少し!!!」「超デケー!!!!」
教師:これが最大の古墳。でも普通は長さ100mと少しで高さも15mぐらいのが普通の豪族の墓なんだ。
生徒:「それでもでかいよ!!」「そこに何人の人が入っているの?。」
教師:27ページの前方後円墳の竪穴式石室の図にあるように、たった一人だ。
生徒:「一人!!?。」「もったいねー!!」「すげ―力!!!」
教師:そう。すごい力だね。・・・・大化の改新までの豪族は一人一人がこれくらいの力を持っており、一人一人が王様といってよかった。だから大王
の命令もなかなか通らなかった・・・・・・ということは、日本は一つの国?・・・・・・・・。
生徒:「一つの国じゃあない!!!!」
教師:そのとおり!!!。・・・・じゃあそんな豪族を役人にしてしまうということはどういうことなんだろう。どうやってそうするの?。
生徒:「豪族の土地と部の民を取り上げる!!!」
教師:そうだね。取り上げる・・・。そして土地と民は誰のものになるの?。
生徒:「国!!!!」「天皇のもの!!!!」
教師:そうだね。国、つまり天皇のもの・・・・。ということは日本をどんな国にするんだ?。
生徒:「・・・・・・あっつ、わかった。一つの国!!」「「一つの国にする!!!」「統一する!!!!」
教師:そう。一つの国にする。統一する・・・・・。ということは問題の二つ目のかっこの答え分かったね。
生徒:「統一された国家!!!!」
教師:はい正解です。・・・・・で、今日は、もう少し詳しく大化の改新を学習してみよう。
実はこのとき、豪族の土地や民を廃止して国の物にするという命令と共に、もう1つ重要な命令が出ていたんだ。薄葬令(はくそうれい)という
命令だよ。・・・大事な命令なので印刷しました。読んでみましょう(資料F大化の改新の薄葬令を配布する)
<つるばみの衣> 資料F「民の貧しさの原因は?」 ○大化の改新の「薄葬令」(646年3月22日) このごろわが人民が貧しいのは、むやみに立派な墓を作るためである。そこで身分に応じた 墓を決めたいと思う。 皇族(天皇の一族)の墓の中の部屋は、長さ約3m幅1.6m。外側の大きさは縦横13.5m高 さは約7mまでの盛り土とする。働く人は1000人。工事は7日で終わること。 大臣の墓の中の部屋の大きさは皇族なみとし、外側の大きさは、縦横10.5m高さは4.5mま での盛り土。働く人は500人。工事は5日で終わること。 下級の大臣の墓は、中の大きさは上に同じ。外側は縦横7.5m高さは3.7mまで。働く人は 250人。工事は3日で終わること。 役人の墓は一番えらいものたちは、墓の中の部屋は長さ約3m幅は1.2m。盛り土はなし。 働く人は100人。工事は1日で終わること。 それ以下の役人の墓は、大きさは同じだが、働く人は50人で、工事は1日で終わること。 庶民の死者は、地面に穴を掘って埋めなさい。 (中略) また人が死んだときに、そのあとを追って死んだり、死ぬことを強制したり、死者の馬を殺 して埋めたり、宝物を埋めたりすることはしてはならない。 (中略) この詔(天皇の命令)にそむいたものは、かならずその一族全てを厳しく罰する。 (日本書紀より) |
教師:どういう内容の命令なのかな?。
生徒:「墓を小さくしなさいという命令です!!!」
教師:誰の墓を小さくしろというのですか?。
生徒:「えらいひとたち!!!!」
教師:そうだね。えらい人たち。大王や豪族とその一族の人たちだね。・・・・・で、なんで墓を小さくしないといけないの?。
生徒:「人民が貧しいから!!!」「むやみに立派な墓をつくるので、作らされる人が疲れて貧しくなっているから!!!」
生徒:「古墳ってどれくらいの人数と時間がかかっていたの?。」
教師:うん。とても良い質問だね。・・・・・・資料集のp18を開けてご覧。古墳の作り方と日数や人数が書いてある。
生徒:「うわっつ、すごい手間がかかるんだ!!」
「石室の高さが1.5mほど積みあがったところで作業は一旦中断と書いてあるけどどう言う意味?。」
教師:続きの作業は古墳の主が亡くなってからと書いてあるように、古墳は新しい王様が決まるとつくりはじめ、あとはお棺を入れれば良いところま
で作っておくんだ。そして王様が死んだら工事再開ということさ。
生徒:「まるで死ぬのを待っているような感じだね。」
教師:そうだね。で、あの日本最大の仁徳陵古墳だと、どれくらいの期間と人数かかっているのかな?。
生徒:「15年8ヶ月!!!!」「680万7000人!!!!!」
生徒:「すごい大変!!!!」
教師:しかもこれは一人の前の死んだ大王のための墓であって、これが完成したと同時に、次の新しい大王の墓を作り始めるわけだよ。
生徒:「それで次の大王が死んだら墓を完成して、その次の大王の墓を作り始めるわけ?。」
教師:そういうわけです。
生徒:「すごい大変!!!」
教師:しかもこれだけじゃなくて、大王や豪族には何人も奥さんがいるし、子供も何十人といる。この人たちの墓も必要だね。
生徒:「他にも作るんだ!!」
「やってられないよ!!!!」
教師:そうだね。でもこれだけじゃない。大王や豪族などが死ぬと盛大な葬式をやるんだよ。まず御通夜みたいな遺体を安置して御別れする期間が
半年ほど。
生徒:「半年も?!!」「何しているの?。」
教師:みんなで御供え物なんかを持って行って、死んだ王様の霊を慰めるんだ。・・・・・そしてこの期間が終わると国中を王様の棺おけをかついでま
わり、みんなに王様が亡くなり葬式が始まることを伝える。
生徒:「すごい大掛かりなんだ」
教師:そしてこの絵のようにお棺を部屋に入れた後にいろいろな宝物をいれ、最後に大変なことをする。
生徒:「何をするの?。」
教師:死んだ王様があの世にいってからも不自由しないように・・・・・・・
生徒:「道具を入れる!!!」「別に大変じゃあないじゃないか!!」
教師:うん。正確には寂しくないように・・・・
生徒:「わかった!!。ペットを一緒に埋める!!!」
教師:正解。でも他にもあるよ。
生徒:「家来や御供の人も埋める!!!」
「まさか??!!」
教師:そのまさかですよ。家来や御供の人も埋める。正解!!!。
生徒:「どうやって埋めるの?。」「生き埋め?。」「殺すの?。」
教師:どうするんだろうね。・・・・・・・多分自殺を強制するんだろうけど・・・・。
生徒:「わかった。・・・・だから薄葬令の最後に、人が死んだとき死ぬことを強制したりしてはいけない、と書いてあったんだ。」
「そうか!!」
「ひどいな!!!」「一人のために、皆が犠牲になっているよ!!!」
教師:だからこそ、大化の改新でこれをやめさせようとしたんだね。
生徒:「で、本当にお墓が小さくなったの?。」
教師:良い質問だね。・・・・・・・・たしかにすぐには小さくはならないのだけど、大化の改心から50年以上たった奈良時代になると天皇の墓などもとて
も小さくなるんだよ。
生徒:「どれくらい?。」
教師:たて横30mぐらいで高さも7・8mぐらいの小さなものになる。そのうえ一人入れるのではなく、家族を一緒に入れたものも出てくるんだ。
生徒:「この命令で決めたみたいになるんだ。」
教師:そう。奈良時代以後はみんなこうなったんだよ。奈良時代には大きな墓は作られなくなったんだ。
生徒:「じゃあ、奈良時代の民は豊かになったんだ?。」
教師:どうだったっけ。・・・・・・前の時間に万葉集の歌を手がかりにして考えてみたでしょ。
生徒:「貧しかった!!!」「食べるものもないくらい貧しかった!!!」
生徒:「大きなお墓を作らなくなったのに、どうして奈良時代の民の暮らしは貧しく苦しいの?。」
教師:そう。そこが問題だね・・・・・・・。ここでノートの問題に答えてみよう。・・・・・大規模な墓の建設が禁止されたのに奈良時代の良民の暮らしが貧
しく苦しいのはなぜだろう?。・・・・・・・・さあ、今までに学習したことを参考にして推理してみようよ。
(各自の意見をノートに書く)
教師:そろそろ書けたかな?。・・・・・・・・じゃあ班の座席に動かして討論してください。
(各班での討論)
教師:では、各班の意見を発表してもらおう。・・・・・・・・はい、6班お願いします。
生徒:「はい。うちの班では、税が重いから大規模な墓が作られなくなっても良民の生活は苦しいんだということにまとまりました。」
教師:はい。ありがとう。他にはどうかな・・・・・・?。はい2班。
生徒:「はい。いろんな意見が出ました。病気がはやったり飢饉がおきたりして生活が苦しいという意見と、6班と同じで、税が重いから苦しいという意
見が出ました。」
教師:なるほど。飢饉に病気ね・・・・・・・。他にはどうだろう。・・・・・・はい、5班。
生徒:「はい。ちょっと違う意見が出ました。大規模な墓の工事はなくなったけど、大規模な工事はなくなったわけではないので、良民の暮らしは苦し
いと言う意見です。」
教師:面白い意見ですね。もう少し詳しく聞かせてください。
生徒:「はい。僕の意見なんですが、豪族たちは大きな古墳は作らなくなったけど、他のものを作ったんだと思います。」
教師:それは何だと思いますか?。
生徒:「はい。それはお寺だと思います。」
教師:なぜお寺だと思うのですか?。
生徒:「はい。この時代は仏教が流行っているからです。聖武天皇が大仏や東大寺や国分寺を作ったりしていますから、きっと仏教を信じる事が流
行になり、お寺もいっぱい作られたと思います。つくるのはやはり普通の人たちだから、大規模なお墓を作らなくなっても、大変さは変わらない
と思います。」
教師:なるほど。仏教の流行ですか。・・・・・・・・はい。○○くん。なんですか?。
生徒:「今の意見に付け加えです。」
教師:はい、どうぞ。
生徒:「大規模な工事はお寺だけではないと思います。平城京などの都が作られているし、各地に国府という役所や、それと都をつなぐ道路などもつ
くられています。」
教師:なるほど。都や役所や道路の建設ですね。・・・・・はい、□□さん。
生徒:「はい。うちの班ではちょっと違う意見が△△さんから出ています。」
教師:どんなものでしょうか。
生徒:「大規模な墓作りが民の暮らしの貧しさの原因ではなく、外国との戦争が原因だというものです。」
教師:戦争ね・・・。△△さん。詳しく話してもらえますか。
生徒:「はい。大規模なお墓だけが民の暮らしの苦しさの原因ではないと思います。古墳が作られた時代は日本が朝鮮の国々に兵を出して戦ってい
た時代で、その中からたくさんの渡来人が日本に来ました。大化の改新のあとも白村江の戦いのように、朝鮮での戦争は続き、中国とも戦争
をしてしまいました。だから、大規模な墓の建設がなくなっても民の暮らしは苦しいのだと思います。」
生徒:「でも、白村江のあとは戦争はないし、奈良時代には外国とは戦争していないよ!。」
生徒:「だから、長い間の戦争のつけが奈良時代になっても続いているんだと思います。」
教師:なるほどね。何百年も続いた外国との戦争の結果として民が苦しんでいると言うわけですね。・・・・・・・・他の班はどうかな?。
生徒:「はい。3班は6班と同じで、税が重いです。」
生徒:「はい。4班も同じ意見ですが、とくに都に運ぶ調や庸の税金が重かったのだと思います。」
教師:なるほど。調や庸ね。・・・・・・・・・じゃあ、皆の意見をまとめて考えてみようか。
○板書事項 @税が重いので暮らしが苦しい(特に庸・調を都に運ぶこと)。 A病気や飢饉の流行で苦しい。 B大規模な工事はなくならなかったから苦しい(寺・都・役所・道路など) C長い間続いた外国との戦争のつけで暮らしが苦しい。 |
教師:どれもありうることばかりだね。・・・1つ質問があります。・・・・この意見の中には、日本が1つの国に統一されたから出てきた原因がいくつかあ
りますね。どれだろう?。
生徒:「都の工事!!!!!」
生徒:「調や庸!!!」
生徒:「なんで調や庸が統一されて出てきたとわかるの?。」
生徒:「これは都へ運ぶ税だろ。都ってのは統一されて中心が1つにできるんじゃん。」
生徒:「なるほど!!」
教師:そう。正解。都に運ぶ調・庸などの税と、その都をつくる労役なんかがそれだよね。良民にとっては新しい負担というわけだよ。さまざまな原因
が考えられるけど、統一されて負担が増えていると言う視点も大切だね。・・・・・最後にそのことの資料を示そう。
(資料G朝廷の出した命令を配布する)
<つるばみの衣> 資料G「朝廷のだした命令」 ○711年9月4日の詔(天皇の命令) 近頃つぎのようなことを聞く。 諸国から労役のために都に来た民が、都を作る労役に疲れて、逃げ出すものが多い。 禁止しようとしても止まらない。 (それなのに)現在平城宮(天皇の家)の垣根はまだできておらず、防備が不充分であ る。とりあえず、衛兵所(門番のいるところ)を建てて、平城宮の中にある兵器庫の武 器をとられないよう固く守るべきである。 ○712年1月16日の詔(天皇の命令) 諸国から労役のために都に来た民がふるさとに帰るときに、食べ物がたらずに、たく さんのものが途中の道で飢えて、溝や谷に転落し、埋もれ死んでいるといったことが少 なくない。 国司たちはよく気をつけて民に優しくし、ふるさとに帰る民たちの程度に応じて物を 恵与えるようにしなさい。 もし死んだものがあれば、とりあえず埋葬し、その姓名を記録して、本人の戸籍のあ る国に報告しなさい。 (続日本紀より) |
生徒:「都での労役って大変なんだ。」
生徒:「都に働きに来て、帰りに食料が足らずに飢え死にする人がたくさんいるなんてひどいよ。」
生徒:「712年・711年とあるけど、平城京は710年に出来あがったんじゃあないの?。」
教師:良い質問だね。・・・・・そうではないんだよ。一応使えるところまで来たので710年に都を移したけど、まだまだ工事は続いていたんだね。
生徒:「いつごろまで続いたの?。」
教師:聖武天皇のころに平城京から都を移すときにまだ工事は続いていたと言うからあと20年は続いたんじゃあないかな?。
生徒:「そんなに長い間続いたんだ。」
教師:うん。なにしろ大きな町を何もないところに作ったんだからね。・・・資料集p28を開けてごらん。
教師:これだけ広い町だけど、最初はほとんどが沼地だったそうだ。平城京の真中に南北に流れる川があるだろ?。
生徒:「どれどれ?。」「佐保川かな?。」
教師:そう佐保川。この川がもっと蛇行していてその氾濫でできた沼地だったそうだ。だからこの川をなるべく真っ直ぐに工事しなおして堤防をつくり、
そして沼地にはたくさんの杭を打ちこんでたくさんの大石を埋め込んで、それで地面を作ったんだそうだ。
生徒:「へえー。すごい工事だったんだね。」
教師:そう。そしてその上に町をつくるんだけど、その中の天皇の家である平城宮だけでもたくさんの材木が必要だった。
生徒:「現在の一戸建てで2万4000戸分と書いてあるよ!。」
教師:そうです。そしてそれ以外にも皇族や貴族の邸宅やたくさんの役所。そして役人の屋敷。それに40以上の寺が作られたんだからすごい作業
量だね。・・・・・・・どれだけたいへんか想像してみよう。・・・じゃあ今日のまとめ。ノートの最後の問題は答えられるね。
○まとめ:日本が統一されて律令制国家ができたことで 【 】や【 】などの税を都に運ぶ負担が増え、都をつくったり国府 や寺をつくる【 】や国を守る【 】が増えた。 |
教師:都に運ぶ税って何?。
生徒:「調!!!!」「庸!!!!!」
教師:そうだね。で、都や国府や寺をつくる義務をなんていったけ?。
生徒:「労役!!!!」
教師:そうです。労役。そして国を守る義務を?。
生徒:「兵役!!!!!!」
教師:正解!!。こうやってさまざまな負担が増えたのが奈良時代だったと言うわけです。・・・では今日はこれで終わり。