<夢の浮世(改定版)B> 旅は道連れ世は情け


教師:さて今日は、江戸時代の旅について学習しよう。まず教科書のp134の「深める歴史7・街道と港」を出してください。

教師: じゃあ、2番目の絵を見てみよう。・・・これは何だ?。

生徒:「大名行列!」 

教師:そうだね。ところで大名はどこに行くのかな?。

生徒:「江戸!!」「江戸から大名の領地!!」

教師:そうだね。・・・で、何で大名が行列を組んで旅をするのかな?。

生徒:「参勤交代!」「江戸と領地を往復する!!」

教師:そうだね。参勤交代のためだ。大名は250人ぐらいいたけどそれを半数に分けて、交代で1年間江戸城に詰めさせたんだ。そしてその一年がすむと領地に帰る。そして次の一年は領地に居るわけだけど、その終わり近くになるとまた江戸に向かって旅をするんだね。その参勤交代のための大の行列も街道を毎年旅していたんだ。

 では最後に3番目の絵に行ってみよう。

教師:最後の絵は何だ?。

生徒:「伊勢参りの群集!!」 

教師:そうだ。その人たちの格好を見てどんな身分の人かわかるか?。

生徒:「普通の人!」「武士じゃあない!」「農民!」「町人!」 

教師:そうだ。そう言う人だね。ところで伊勢参りって何処に何しに行く事?。

生徒:「伊勢!」

教師:そうだ。そこに何しに行くの?。

生徒:「お参り!」

教師:そうだね。じゃあ、お参りって何しに行く事?。

生徒:「御願い事をしに行くの?」 

教師:その通り!!。・・・と言う事はそこに何があるのかな?。

生徒:「神社!」「お寺!」「神様!」「仏様!」 

教師:なるほど。そうだ。・・・そこにはね、伊勢皇太神宮といってね、天皇さんの先祖である天照大神が祭られた神社があるんだ。この神様は日本で一番えらい神様でとっても信仰されていてあっちこちにそれを祭った神社がある。二子の二子神社もそうなんだ。

生徒:「へえー、知らなかった」

教師:その本家である伊勢神宮にお参りすることがこの時代はやってね。たくさんの人がお参りしたんだ。1年に何人ぐらいお参りしたのかな?。

生徒:「480万人!!」 

教師:そうだね。この時代の日本人は全部で3000万人ぐらいだから、6人に一人ぐらいがお参りに行った計算になる。もっとも伊勢参りだけではなくあちこちの神社やお寺にお参りする旅が流行ったんだ。たとえば川崎信用金庫のところの道路何ていったっけ?。

生徒:「大山街道!!!」

教師:その大山って何?。

生徒:「大きな山?」「わかんない!!」 

教師:あの道をずっと進んで行くとね、丹沢という山地があってそこの高い山が大山。そこには南関東全体に雨を降らす神様がおられてね、そこにお参りすることが流行ったんだ。ほんとうはあの道の名前は矢倉沢往還という。でもたくさんの人があの道を使って大山まで行ったもんだから大山街道って呼ばれるようになったんだよ。

生徒:「へえー!!」

教師:じゃあ今日はその伊勢参りの旅の様子を、江戸時代の有名な小説で見てみよう(資料AとBを配る)

教師:東海道中膝栗毛という小説でね、弥次郎兵衛と北八という町人が江戸に居られなくなって家財道具全部を売り払って伊勢まで旅をするという話だ。江戸の日本橋をたって東海道をずっと下り、伊勢山田というところの伊勢神宮にお参りするまでのおかしな旅を描いた小説だ。その資料Bの地図の丸印は宿場町。そのうち黒丸は二人が泊まったところ。全部で何泊?。

生徒:「13泊!!」 

教師:つまり2週間かけて歩いて行ったと言うわけだ。

生徒:「えっつ。歩くの?。疲れたらどうするの?」 

教師:疲れたら途中の茶店で休めばいいし、歩くのがいやなら馬や駕籠に乗れば良いんだ。

生徒:「いくら?」 

教師:それは資料Bの2の「江戸時代金銭メモ」を見てご覧。

資料B−2 江戸時代金銭メモ

○旅の諸経費(東海道中膝栗毛より)

       @宿代         :一人200文(4000円)

       Aかご代(平塚⇒小田原):200文(4000円)

       B風呂釜代       :2朱=812文(16240円)

       C酒1合        :32文(640円)

       D菓子         :3文(60円)

       E砂糖餅        :3文(60円)

       F川渡し(おぶう)   :一人64文(1280円)

           (蓮台)    :二人600文(12000円)

       G乗合船(浜名湖)   :一人4文(80円)

       Hわらぞうり      :14文(240円)

  ○1両=12000円として計算

     1両=4分=銀16朱=6476文       1文=約20

        1分=銀4朱   

           銀1朱=406

生徒:「200文!」 

教師:そうだね。200文。平塚小田原間だから30kmぐらいかな。いまでいうと4000円ぐらいだ。そうやって旅をするんだね。

生徒:「でも、歩いて行くしか方法はないの?。」「大変だよ。」

教師:うんそうだね。なくはないけどね。・・・・教科書のさっき見た写真のとなりのページの地図を見てご覧。・・・この地図を見るとヒントがあるよ。

生徒:「どれどれ?」

教師:さっきの地図をよく見ると、伊勢まで行くのにもっと早いものがあるんだけどわかるかな?。伊勢神宮は東海道を少し離れたところにある「山田」というところにあるんだけど・・・・。

生徒:「あっ、船で行くのかな?」

教師:そう船。江戸から船でいって伊勢神宮に一番近い港はどこかな?。

生徒:「・・・・・鳥羽!!!」 

教師:そうだね。鳥羽。そしてこの地図にあるように、日本全国あちこちに港ができて、そこを結んでたくさんの海路が出来ている。江戸時代は船で行くのが最も便利だったんだ。

生徒:「へえーっつ」

教師:ではその東海道中膝栗毛の本文を読んでみて当時の歩く旅の様子をつかもう。資料Aを見てください。・・だれか読んでくれますか?。・・・はい。■■さん。おねがいします。

  弥次郎兵衛の偽侍(十返舎一九著「東海道中膝栗毛」より)

 大井川は駿河(静岡県中央部)と遠江(静岡県西部)の国境にあって、江戸の頃、「あの世とこの世の境を見るようだたといって怖がられた。

 大雨が降ると、そのたびに川の流れが変わり、川の姿が定まらないので、橋をかけることができなかったし、渡し船もなかった。弥次郎兵街、北八は、想像以上の大川を目の前にすると、昨日、安倍川で恐ろしい目に遭ったのを思い出した。

「これだけ人目が多いから、わざと深いところをよって渡って、怖い目に遭わせたりはできないだろうよ」

「旦那ア、お安くしますよ」

と、人足(にんそく)が寄ってきて言った。人の肩で渡るのは怖いので、

「蓮台(れんだい)でいくらだ」

と聞いた。蓮台というのは、四方へてすりのついた台の上へ客を座らせて、四人の人足がかつぐのである。

「二人乗りの蓮台で、八百文いただきます」

 旅館の泊まりがニ百文、それだのにハ百文は高すぎると思って、弥次郎兵衛が、

「俺は歩いて渡るよ」

と言った。人足は、「へ、へ、へ」と馬鹿にしたように笑って、

「渡れるものなら渡ってみなよ。土左衛門(どざえもん)になったら、拾いあげて、土手のきうりのこやしにすらア」

と、憎まれロをたたいて行ってしまった。

「弥次さん。ほんとに歩いて渡る気かよ。おいらは嫌だ」

「俺だって嫌だよ」

と弥次郎兵衛はせせら笑ってから、

「北八よ。お前の道中差(どうちゅうざし)を貸しなよ」と言った。

 旅行中は町人でも、護身用に脇差(わきざし)を差すものもいた。

「貸せと言われりや、貸さないこともないが、いったい道中差をどうする気だよ。」

「お前の道中差を借りて、俺は侍になるんだよ」

「侍に?

「見ていろよ」

 道中差には、ひきはだという袋がかぶせてあった。袋がないと、雨が降ったとき刀が濡れてさびるからだ。また、転んだりすると刀が抜けて、自分が怪我をすることがあるからでもある。弥次郎兵衛は、自分の脇差のひきはだをひっぱって後ろへのばして、長脇差のように見せかけてから、北八の脇差も差したので、侍が大小を差しているように見えた。

「侍になって、問屋(といや)で川越えをすらア」

 宿場宿場にはかならず問屋があって、馬も駕寵も問屋の世話で次の宿場まで乗ることになっていた。大井川には川越えの問屋があった。問屋は料金が決まっていた。つまり公定料金だから、ふんだくられる心配はなく、また、普通の料金より安かった。しかし、大名行列が主なお得意で、武士は個人的な旅行でも問屋を利用できたが、百姓、町人は立ち寄れなかった。つまり、問屋は徳川幕府が大名行列のためにもうけた制度であった。

「北八、お前は俺の供になって、俺の荷物もー緒にかついできなよ」

「えへへ、これは大笑いだ。うまくゆきますかね」

 それでも北八は二人分の荷物をかついで、弥次郎兵衛に従った。弥次郎兵衛は問屋の店先へ来ると、言葉まで侍言葉になって、

「身どもは大事な主用でまかり通る。川越し人足を頼む」

と、ふんぞりかえって言った。番頭は偽侍(にせざむらい)とは気づかず、

「はい、かしこまりました」

と言うと、さっそく帳面を出して、片手に筆を持って、

「お荷物は、いく駄(だ)でございますか」

 つまり、何頭の馬に荷物を乗せてきたかと聞いたのだ。弥次郎兵衛は、まさかこんな質問をされるとは思いもしなかったので、あわてふためいたが、いまさらひっこみがつかないので、落ちついたふうに装って、

「十五駄ほどあったが、道中が邪魔だから、江戸表へおいてきた」

 番頭はおかしなことを言う侍だと思ったが、それでも大真面目な顔で、

「お侍衆の人数は?

「侍が十二人、槍持ち、はさみ箱(身のまわりのものを入れて供に持たせる木製の箱)、草履(ぞうり)取り、合計三十人余りじゃ」

「その三十人余りのお方の姿が見えませんが・・・・」

「江戸表を出立したときは、それだけの人数だったが、途中ではしかにかかって、宿場宿場へ病人を残してきた。今は主従二人じゃ。二人乗りの蓮台を頼もう」

 番頭は、弥次郎兵衛の様子が普通ではないのがわかったが、それでも相手は客だから、

「四百八十文でございます」

 八百文と言われたのが、四百八十文になったのだから、三百二十文の儲けである。それでおとなしく乗ればよかったのに、いつものくせで、

「それは高値じゃ。ちとまけとけ」

 番頭はむっとして、言葉まで急に乱暴になって、

「大井川の渡し賃に、掛け値を言うことはねえよ。馬鹿を言わずに早う行くがいい」

「侍に向かって、馬鹿を言うなとは無礼(ぶれい)な」

「ハハハハ、おかしな侍じゃ」

「武士をばかにするとは、ふとどきせんばん」

「なんの侍なもんか。腰の刀のさやの末を見るがいい」

と言われて、弥次郎兵衛が腰の刀を見ると、袋だけで中身のない長刀の先が、入り口の柱につかえて曲がっていた。まわりにいた川越し人足たちが、声をそろえて笑いながら、

「曲がった刀を差した侍がおるわ」「どうやって刀を抜くのかな」「珍しい侍だ」などとはやしたてた。番頭は、

「貴様ら、問屋をだましにきたなツ。ただではすまんぞ」

 そばから北八が、

「弥次さん、逃げよう。このぶんでは袋だたきにされるよ」

と、弥次郎兵衛の手をひっぱった。あわてて問屋を出た弥次郎兵衛は、

 出来あひのなまくら武士のしるしとて

             刀の先の折れて恥づかし

と、即座に狂歌を詠んだ。それを聞いた番頭や人足たちが笑い出したので、弥次郎兵衛、北八はとがめられることもなく見のがしてもらえた。

 ふたりは人足と交渉して、二人乗りの蓮台を六百文で決めて、無事に大井川を渡った。川べりから眺めたときは、これほどとは思わなかったが、蓮台の上から下を見ると、流れのすさまじさに目がまわるようであった。

 蓮台に乗りしはけつく地獄にて

            降りたるところがほんの極楽

と、いつものように、弥次郎兵衛はまた狂歌を詠んだ。

教師:・・・という旅だったんだ。じゃあ、ノートにそって江戸時代に旅の様子をまとめておこう。

(各自ノートの問いを考える)

教師:ではいいかな?。・・・じゃ@.どこに泊まったのかな? 

生徒:「宿場!」「宿場の宿屋!」 

教師:そうだね。ではA。その宿泊代金は何ではらうの?。

生徒:「お金!!!」「一人200文!」「今の4000円ぐらい!」

教師:そうだね。ところでちょっと江戸時代のお金について勉強してみよう。資料集のp95をあけてごらん。

教師:一番右の「寛永通宝」というのが「一文銭」だ。真中の「一朱銀」が「一文銭406枚分」のお金、その上の「一分銀」が「一朱銀4枚分」のお金。一文銭でいえば406×4倍、つまり「一文銭1624枚分」のお金だ。まあ普段はここまでのお金しか使わない。その二つ上のお金の「小判」になると「一文銭6476枚分」だからかなり高額のお金になるんだ。さっきの宿泊代を「一文銭」ではらうと何枚はらうの?。

生徒:「・・・・400枚!」「二人で800枚だ!」「うへー、重そう!!」 

教師:そうだね。今の5円玉よりちょっと重いぐらいだからすごい量と重さだ。もう少し少ない数のお金ではらうとすると?。

生徒:「一朱銀1枚はらって6文のおつり!」 

教師:そうだ。計算が早いな!!。二人分だと?。

生徒:「・・・・一朱銀2枚で12文のおつり!!」 

教師:そういうことになるな。 じゃあ、次のB。旅は歩きが基本だが、時々は何に乗る?。

生徒:「船!!」

教師:そう。急ぐ人はね。普通は歩き。でも疲れた時とかは?。

生徒:「かご!」「馬!!」「牛!!!!」 

教師:残念ながら牛には乗らない。牛は荷車を引っ張るだけだ。で、駕籠代っていくら?。

生徒:「200文!」「平塚から小田原までで200文!!」 

教師:そうだ。ということは「一文銭」で何枚?。

生徒:「200枚!」 

教師:そうだ。「一朱銀」ではらうと?。

生徒:「・・・・一朱銀一枚で206文のおつりだ!!」「おつりの枚数が多いよ!」 

教師:ほんとだね。じゃあ次のC。 旅の途中で疲れたらどこで休む?。

生徒:「宿屋!!」「茶店!!」 

教師:そうだ。茶店って何売っているんだろう。

生徒:「だんご!!」「お茶!!」「お酒も売ってる!!」「お菓子も売ってるぞ!!」 

教師:お酒いくらだ?。

生徒:「一合32文!」

教師:お菓子は?。

生徒:「1個3文!!」

教師:では次のD。橋のない川を渡るときはどうするんだっけ?。

生徒:「自分で歩いてわたる!」「人足におぶってもらう!」「蓮台に乗る!!」

教師:人足におぶってもらうといくらだ?。

生徒:「一人64文!!」 

教師:蓮台だと?。

生徒:「二人で600文!!」 

教師:一文銭ではらうと? 

生徒:「600枚!」 

教師:一朱銀で払えば?。

生徒:「・・・2枚で206文のおつり!」「・・・1枚と394文払えばいい!」 「うーっつ面倒くさい!」 

教師:ほんとだね。・・・旅にはたくさんのお金が必要だけど、それを全部「一文銭」で持って行ったのだろうか?。

生徒:「・・・・・・・そんな重いよ!」「じゃ、どうするんだ!!」「紙のお金!」「そんなのあるのかよ」「資料に書いてあるじゃん」「藩札ってやつか?」「そうだよ」

教師:残念ながら藩札はそれを発行した藩の中だけしか通用しないんだ。

生徒:「・・・小判1枚持って行った!」「どうするんだよ。12万円だぞ。おつりが大変だ」

教師:そうだね。今なら大きなお金しかなかったらどうする?。

生徒:「銀行で替えてもらう!」「銀行なんかあるのか??」

教師:そう。あったんだ。

生徒:「銀行が?」 

教師:銀行とはいわない。お金を小さいものに替えることを何て言う?。

生徒:「・・・・・両替!!」 

教師:そうだ。よく知ってるな。両替商というんだ。当時の銀行のことを。宿場宿場には両替商がいてね、宿に泊まると両替商が『両替の必要はありますか?』て来るんだ。

生徒:「へえーっつ。便利だね」 

教師:いや、もっと便利だぞ。お金なんか持って行かないんだ。

生徒:「どうするの?」 

教師:今ならどうする?。

生徒:「キャッシュカード!!」 

教師:そうだね。そのキャッシュカードみたいなものがあったんだ。両替商にお金を預けてその証明書をもらう。それを持って旅をして必要になったら両替商でお金に替えてもらうんだ。いや持って行かなくてもお金が足りなくなったら家へ手紙を送ってそのお金を預けた証明書を送ってもらえばいいんだ。

生徒:「郵便で?」「違う飛脚だ!!」 

教師:そう飛脚でね。その証明書を『為替』っていうんだよ。

生徒:「便利なもんだね」 

教師:ほんとだね。・・・じゃ最後の問題のE。かごや馬や蓮台を手配する問屋というものが宿場や川にはあるけど、これを利用できるのは武士だけだったね。なんでだ?。

生徒:「参勤交代のためにつくったから!!」 

教師:そうだね。参勤交代というのは大名が江戸に1年毎に交代で詰めることで、そのために行列を組んで江戸と領地とを往復しなければならなかったわけだ。そのために街道はつくられたし、問屋もつくられたわけだ。・・・だいたい当時の旅の様子はわかったかな。では問題にうつろう。 「江戸時代、庶民が旅行できるようになったのはなぜだろう?」。さあ、みんな考えてごらん。

(各自ノートに自分の意見を書く)

教師:できらかな。・・・じゃあ、ちょっと時間をあげるから班でまとめてみよう。

(各班で討論してまとめる)

教師:では、どんなことが考えられるかな?。・・・はい。4班。お願いします。

生徒:「はい。暮らしが楽になってきて、旅をする余裕が出てきたからだと思います。」 

教師:なるほど。他には?。・・・・はい。1班。どうぞ。

生徒:「はい。宿場ができて便利になったからだと思います。」

生徒:「はい。今のに補足!!」

教師:はい。5班。どうぞ。

生徒:「はい。両替屋もあってお金もたくさん持ってなくても旅ができるし、それに街道が整備されていて川に橋があったり、ないところは人足や蓮台もあるし、旅をするのに便利なものが整えられたってことだと思います。」

生徒:「まだもう一つ補足があります。」

教師:はい。2班。お願いします。

生徒:「はい。旅をするのに便利なものとして、全国に船が走る航路が設けられ、急ぐ人はそれを利用することもできたからです。」

教師:そうだね。・・・他にはあるかな?。・・・・要するにまとめると、一つは庶民の暮らしが良くなって旅をする余裕が出来たことと、もう一つは旅をするのに便利な物というかしくみが整えられたからだね。両替屋や宿場・街道、そして船の航路、それにさまざまな乗り物が。所でここで一つ質問があるんだけど、この、街道を整備し宿場を設け、川には橋をかけたり、航路を整備したのは誰だ?。

生徒:「幕府!!」「大名!!」 

教師:おそらくそうだろうね。・・・ところで幕府や大名は何のために街道などを整備したんだろう?。

生徒:「参勤交代のため!!」 

教師:うん。一つはそのためだろうね。ところで参勤交代って何だっけ?。

生徒:「・・・・・・大名が1年ごとに交代で江戸に詰めるので、1年ごとに江戸と領地を往復すること!」

教師:そうだ。よくわかっているんね。最初はそのために設けられた街道だったけど、だんだん商人や旅人が利用するようになったんだね。だから、あの宿場や川にあって駕籠や馬、そして人足や蓮台を手配するお店は武士専用だったんだ。何て言ったっけ。

生徒:「問屋(といや)!」 

教師:そうだね。ところでさ、海や川を船で行くにはなにを作る必要がある?。

生徒:「港!!」 

教師:そう。港。港ってなにするとこ?。

生徒:「船をとめるとこ!」

教師:なんのために?。

生徒:「荷物を載せたり降ろしたり、人を乗せたり降ろしたり」 

教師:まだあるんだよ。

生徒:「ええっつ、わかんないよ!」 

教師:うん。港はね嵐などに会ったときに海や川が安全になるまで避難するところでもあるんだ。他に船の安全を図る施設があるね?。

生徒:「・・・灯台!!」「そんなのあったの?」 

教師:あったさ。

生徒:「遠くまで照らす電気も?」 

教師:それはない。でも火をたいたんだ。

生徒:「へえー」

教師:ところでこの港や灯台も幕府や大名大名が作ったのだけど、それは何のため?。

生徒:「参勤交代!!」 

教師:うん。それもあるけどね。とくに江戸から遠い大名は途中までは海路を使ったことはたしかだが、もっと違う目的があるんだ。船って陸を行くのと便利さでどこかが違うだろ?。

生徒:「早い!!」「荷物をいっぱい運べる!!!」 

教師:そうだ。そこだ。船は人間を運ぶためより、荷物を運ぶためにある。じゃあ幕府や大名が船で運ぶ荷物って何だ?。

生徒:「わかんないよ!」「いや、わかった!!」

教師:はい。@@くん。

生徒:「はい。年貢です。年貢としてとった米を運ぶんですよ。」

生徒:「何のために?。」「どこへ運ぶの?。」「よくわかんないな?。」

生徒:「はい。説明します。」

教師:じゃあ、&&くん。お願いします。

生徒:「はい。大名や武士たちは生活のためにいろんな物がいります。だから、武士・大名・将軍は年貢米から自分たちの食料を引いた残りを売ってお金にしてそれで必要なものを買ったんだと思います。それで米を売るために運んだんだと思います。」

教師:そのとおり。で、どこに運んだか。

生徒:「・・・・・・?。」

教師:この時代に日本中の品物が集まった町があったね。

生徒:「天下の台所!!」 

教師:どこの町だっけ?。

生徒:「・・・大坂!」 

教師:そうだ。大坂だ。実はこの海路は年貢米を大坂に送りそこで得たお金で買った品物を江戸や領地まで運ぶために作ったんだよ。最初は大坂に年貢米が集まったんだけど後には江戸でも売られるようになったんだ。そのための海路だったんだよ。・・・・この当たりのことは、教科書の130ページに説明されているよ。・・・ちょっと読んでみよう。・・・・130ページの【交通路の整備】のところ。・・・だれか読んでくれますか?。・・・はい。じゃあ、##さん。お願いします。

【交通路の整備】 商品の生産や流通量が増えてくると、街道の往来や海上交通もさかんになった。幕府は、江戸を中心として五街道をととのえ、街道に沿って宿場をおいた。また、重要な場所には関所を設け、通行人を取りしまった。
 年貢や多量の品物を運ぶためには、船が便利であったので、河川や海上の交通もしだいに発達し、西廻り航路や東廻り航路が開かれた。江戸と大坂のあいだには、菱垣廻船や樽廻船による定期航路もできた。

教師:最後にノートの一番したの問題をやってみよう。

まとめ:幕府や大名は江戸を中心に【 @ 】を整備し、途中に宿泊や休憩、乗り物に乗るために【 A 】をもうけた。これは大名が江戸と領地を往来する【 B 】のためであった。また幕府や大名は川や海の海上交通を整備したが、これは【 C 】を江戸や大坂に送って売買するためであった。こうして【 @ 】や川や海の交通が整備され、【 D 】さえあれば旅が出きる時代になった。

教師:では答えあわせをしておこう。@は?。

生徒:「街道!!」「五街道!!」

教師:うん。そうだね。ではA。街道に置かれた宿泊や休憩のためのものって?。

生徒:「宿場!!」

教師:そうだね。ではこれらのもの整備したのは何のため?。

生徒:「参勤交代!!!」 

教師:よし。次C。海上交通を整備したのは何を送るため?。

生徒:「年貢!」「年貢米!!!」

教師:そうだね。では最後のD。何さえあれば良いの?。

生徒:「お金!!!!!」 

教師:よし。今日はこれでおしまい。次回はなんで庶民の暮らしが楽になったのかということをいくつか例にして考えてみます。


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