<夢の浮世(改定版)C> 日本列島大改造


教師:さて今日は、・・・・(フリップ「日本列島大改造」を黒板にはる)

生徒:「何それ?」「にほんれっとうだいかいぞうって何?。」

教師:それはね、・・・・・授業をやっていくうちにわかるさ。・・・今日は、江戸時代のこの地域の様子をまず見てみよう。(資料C「江戸時代の地域の様子」を配布する)

資料C−1江戸時代の地域の様子

教師:まず今の資料の表。詳しい地図が書いてあるほうを見てご覧。・・・これは明治時代の初期に作られた20000分の1の地図に、江戸時代の地名を入れたものなので、だいたい江戸時代の終わりのころの、この地域が描かれていると思う。これを見て、当時の様子を考えてみよう。

生徒:「二子や溝口にある上宿とか下宿というのは何ですか?。」

教師:これはね、宿というのは宿場ということなんだ。

生徒:「あの街道沿いに幕府がつくったという宿場?。」

教師:そう。その宿場。宿屋や乗り物を手配する店や、旅に必要なものを売る店のある宿場だね。・・その宿場がね、上下二つの町に分かれていてね、月ごとに交代で、町の政治を行って居たんだよ。

生徒:「へーええっ。町を自分たちで治めていたんだ。」

教師:そうなんだ。幕府や大名は、法律の範囲内で動いてもらえれば、村や町の政治には口出しをしないんだよ。百姓や町人が困ったことや手におえない問題だけ、幕府や大名があつかうってことなんだ。

生徒:「じゃ、この上宿とか下宿には役人はいなかったの?。」

教師:街道沿いに番屋というものがあって、そこに武士が数人いるだけ。あとの役人は町人なんだ。

生徒:「へえーっつ」「この溝口と二子を通っている街道って何というの?。」

生徒:「それくらい常識だろ」「大山街道だよ」「あっつ、そうか」

教師:そうだね。大山街道。江戸から大山までお参りに行くのに使われた街道。でも正式の名前は矢倉沢往還。江戸と京都をむすぶ東海道のわき道で、箱根の矢倉沢という所を通って山を越え、静岡県の沼津で東海道に繋がる道路なんだよ。

生徒:「二子や溝口は、その矢倉沢往還の宿場町だったんだ。」

教師:そうだね。今の資料の裏を見てご覧。資料C−2。ここに東海道に平行して4本の道が書いてあるだろう。

資料C−2

生徒:「ある、ある」

教師:この鎌倉道と中原往還と矢倉沢往還と津久井往還の4本の街道が、東海道の脇街道っていうんだ。

生徒:「脇街道ってなんですか?。」

教師:東海道は主に、大名が参勤交代のために使われたので、商人たちが主に行き来するために作られたのが脇街道なんだよ。

生徒:「じゃあ、矢倉沢往還には商人がたくさん行き来していたんだ」「商品をつんだ馬や荷車もたくさん通ったんでしょ。」

教師:そのとおりだね。・・・・・・

生徒:「もう、このころには二ヶ領用水はあったんだね。」

教師:うん。二ヶ領用水は江戸時代の始めに作られたからね。

生徒:「久地の横堤って何ですか?。」

教師:うん。これはね。二子や溝口の町を守るための堤防なんだ。・・・良く見ると大山街道と平行に走っていて、ちょうど多摩川の本流と直角の位置にあるだろ。

生徒:「ほんとだ!」「二ヶ領用水の山の所から、多摩川に大山街道がぶつかるところまで続いているね。」「ほんとだ!」

生徒:「ということは、大山街道と町を多摩川の洪水から守るためにあるの?。」

教師:そういうことです。・・・江戸時代のはじめにはこの横堤はなかったんだ。それでしばしば町や田畑が洪水でひどい被害を受けたんだね。それでね、江戸時代の中ごろに作られたのが久地の横堤。

生徒:「それで二子と溝口は洪水から守られるけど、横堤の外にある久地の村はどうなってしまうの?。」

生徒:「あっつほんとだ!」「あぶないぞ!」

教師:そうだね。良いところに気がついたね・・・でもよく見てごらん。多摩川本流に直角にある堤は、久地の横堤だけかな?。

生徒:「・・・・?」「あっつ見付けた!!」「どれどれ?。」

生徒:「久地村のもっと左。二ヶ領用水って字が書いてある左の堰村の上に、長い堤があるよ!!」

生徒:「どれ?どれ?」「あっつ。あった!!!」

教師:よく見付けたね。・・・これは今は向の岡工業高校の前の道になっているけどね、洪水から堰村と久地村とを守るためにある堤防なんだ。

生徒:「へえーっつ」

教師:ついでにいうとね。この地図の久地村は、もともとの久地村じゃあないんだよ。

生徒:「じゃあ、どこにあったの?。」

教師:あの久地の横堤と二ヶ領用水が交わるところに、山との間に狭い土地があるだろ。ちょうど今の久地神社と久地不動尊の前のあたり。

生徒:「そんな狭い所?。」

教師:そうさ。・・・今の久地村の所の大部分は、多摩川の水があふれると沼地になる荒れた河原だったんだよ。・・・でも堰村の北にある堤ができれば・・・

生徒:「洪水が来ない」「沼がなくなる!!」

教師:そう。・・・だから久地村の人々は、もと沼だったところを切り開いて、新しい田んぼにしたんだ。

生徒:「久地新田か!!」「よく知ってるな!」「おれの住んでるところだ」(笑い!)

生徒:「先生!質問!!」

教師:何ですか?。

生徒:「二ヶ領用水って何のためにつくったの?。」

生徒:「そんなの簡単じゃんか。」「田んぼに水引くために決まってるだろ」「でもさ、それなら、どうして二ヶ領用水は田んぼの所ではなく、山のそばに流れているの?。」「それはさ、水をもっと上流の宿河原とか中野島から引いてるからだろ」「なんで多摩川がすぐそばなのに、直接川から水を引かないで、上流から、わざわざもってくるの?。」「それはさ・・・・・?。」

教師:良いところに気がついたね。・・・さっきの資料のC−2のもう一つの地図をみてごらん。

資料C−2

生徒:「二ヶ領用水全図ってやつ?。」

教師:そう、それ。・・・二ヶ領用水はね、この付近の田畑に水を引っ張るだけではなく、川崎全体の田畑に水をやるために作ったんだ。取り入れ口は川崎の最も上流の中ノ島の上ノ口と、そのちょっと下流の宿河原の下ノ口。ここで川から引きこんだ水は、途中でちょっと枝分かれしながら、やがて久地の所にきて4本に分かれる。

生徒:「あっつ、円筒分水のところか!」

教師:そう。今はサイホンの原理を使って自動的に水が決まった量で4本の水路に流れて行くけど、昔は板で区切って、流れをわけていたんだね。

生徒:「へえーっつ」

教師:その円筒分水の所から4本に分かれた二ヶ領用水は、下流に行くにしたがってどんどん枝分かれして川崎中の田畑に水を供給して、最後は悪水となって海に流れ出すようになっているんだよ。

生徒:「悪水って?。」

教師:汚れた水ってことだよ。一番下流の海の所に悪水ってあるだろ。

生徒:「うん。ある。ある。」

教師:他にもね、途中で悪水となった水は、多摩川に流れ出すように二ヶ領用水はできているんだ。・・・・ところで考えてほしいのは、どうして川崎の上流部に多摩川の水の取り入れ口を作って、下流に水を流すようにしたかってことだよ。

生徒:「・・・・・・?」「・・・あっつ、わかった!!」

教師:##くん。答えてみて。

生徒:「はい。川の水は高い所から低いところに流れます。だから川崎の一番上流のところに取り入れ口を作らないと、川崎全体に水が行き渡るようにはならないからじゃないでしょうか。」

教師:お見事!。正解です。そのとおりなんだ。川崎は多摩川よりも土地が高いから、川崎の田畑に水を引くには、上流から水を取り入れるしかなかったんだね。

生徒:「二ヶ領用水ができるまではどうしたの?。」

教師:うん。このあたりの多摩川に面したところは水をもってこれないので、良くて雨水に頼る畑だけ。多くは荒地だったんだ。

生徒:「田んぼはなかったの?。」

教師:田んぼはね、この地図でいうと、溝口下宿の町の左、西のほうに、ずっと田んぼが広がっているだろ。

生徒:「あるある」「あっつ下作延か!」

教師:そう。下作延。・・・ここは多摩川よりずっと小さな川が流れているから、そこから水を引いていた。

生徒:「平瀬川!!」「平瀬川って溝口を流れていたの?。二子を通って多摩川に繋がっているよ。今は。」

教師:今はね。30年ほど前に、あんまり溝口駅のあたりが洪水になるので、津田山をくりぬいて多摩川に直接入るようにしたんだよ。前はこの地図の通り、溝口を通って、もっと下流で多摩川につながっていた。

生徒:「へえーっつ、知らなかった。」

教師:その平瀬川のような小さな川のそばしか、江戸時代の始めまでは田んぼをつくれなかったんだよ。

生徒:「じゃあ、江戸時代のはじめまでは下作延のほうが溝口や二子より栄えていたんだ。」

教師:そのとおり。二ヶ領用水ができるまではね。久地も二子も溝口も荒地だったんだ。二ヶ領用水が出来て初めて川崎の大部分で水田ができるようになったんだよ。・・・・所で問題です。その水を使って川崎のお百姓さんたちは、何を作ったのでしょう。

生徒:「簡単だよ。お米に決まっているじゃないか」「そうだ、そうだ。」「でもよ、先生は、田畑に水を引くっていったよ」

生徒:「あっつ、わかった!!!」

教師:&&さん。お願いします。

生徒:「はい。お米だけじゃなくて、梨とか桃などの果物だと思います。川崎は多摩川梨の産地で有名だし、昔は桃も作っていたって聞いたことがあるから。」「うん。そういえば・・・」

教師:うん。果物っていう意味では正解かな?。

生徒:「正解じゃないの?。」

教師:梨を植えたのは、大正時代以後の話。20世紀になってからなんだ。・・・江戸時代に作られた果物は、この学校があるところの地名に関係しているんだよ。ほら、学校の前のバス停の名前・・・・

生徒:「分かった!!」「梅林!」「梅だ!!!!」

教師:正解です。梅なんですね。保存食料としての梅干を作る材料。・・・このあたりの畑では梅が栽培されていたんだ。あとは桃と大豆だね。そしてこの大豆を原料にして溝口や二子では醤油も作られていた。

生徒:「へえーっつ」

教師:うん。それからね川崎のお米はとてもうまかったので、将軍に献上されていたそうだよ。

生徒:「けっこう、農業が盛んだったんだね。」

教師:農業だけじゃないね。さっきの醤油もあるし、うまいお米に綺麗な水があるから・・・

生徒:「お酒だ!!」

教師:そう。お酒。・・・そしてね上流の多摩地方はたくさんの材木が取れたから、それを筏に組んで多摩川を下ってきてね。大山街道とぶつかる二子の渡しまで運んでくるんだ。そしてここから材木を江戸に陸路で運ぶ。そんなこともしていたんだよ。

生徒:「けっこう豊かな土地だったんだね。」

教師:そうですね。・・・そこで今日の問題に移ろう。・・・「この地域が栄えた原因はなんだろう」。ノートに自分の考えを書いてみてください。

(各自ノートに自分の考えを書く)

教師:そろそろいいかな・・・・。じゃあ、班でみんなの意見をまとめてみてください。

(各班で討論してまとめる)

教師:じゃあ、意見を発表してもらおう。・・・・はい。6班。お願いします。

生徒:「はい。この地域が栄えたのは、なんといっても二ヶ領用水が作られたことだと思います。川崎は多摩川より高い所に在るから、田畑に水をひくのは大変だったと思います。それが、この用水ができたことで、いろいろな作物を作れるようになって、豊かになったのだと思います。」

生徒:「1班も同じです!!」「5班も同じ!!」

教師:なるほど。他には・・・?。・・はい。3班。お願いします。

生徒:「はい。僕たちは、大山街道が出来たことが大きいと思います。街道が出来て、二子や溝口が宿場になったことで、たくさんの商人や旅人がここを通るようになったので、いろんな作物をつくってその人たちに売ったり、また、できた作物を街道を使って江戸に運んで売ったり、そういうことができるようになったからです。」

生徒:「もう一つ追加!!」

教師:はい。4班。何ですか?。

生徒:「二ヶ領用水も大山街道も重要だけど、そうやって出来た田畑や街道や町や村を守るものができたことが大きいと思います。」

生徒:「それは何?。」

生徒:「久地の横堤のような堤防です。これができて始めて多摩川の洪水から田畑や町や村を守ることができたからです。」

生徒:「なるほど!!」

生徒:「今の意見に追加!!」

教師:はい。◎◎さん。どうぞ。

生徒:「はい。堤防ができて田畑や町や村を守れただけじゃなくて、堤防で洪水の被害が減ったことで、久地新田のように、沼地や荒地だったところを田畑に変えることができたから、堤防のおかげで、取れるものも増えて、人々の暮らしが豊かになったのだと思います。」

教師:なるほど。その通りだね。・・・他はいいかな?。・・・はい。2班。

生徒:「はい。さっきどっかの班がちょっと言ったけど、江戸の町があることが大事だと思います。」

生徒:「どういうこと?。」

生徒:「いろんな作物を作って売るといっても、そばにたくさん人が居ないと売れないじゃあないか。だから江戸という大きな町がそばに出来たから、川崎は、そこにいろんな物を売って儲ける事ができたのだと思う。それに大山街道だって、江戸と他の町を結ぶためにできたんでしょ。江戸があってはじめて街道が出来たんだと思う。そして久地の横堤ができたのも、そうやってここが栄えてきたから、それを守るために出来たんじゃないかな。」

教師:なるほど。江戸と言う大都市がそばにできたことが全ての始まりだと言うわけだね。いいところに目をつけたね。・・・今の討論はこの川崎の発展の背景について考えたのだけど、実は同じことは全国的に起きていたんだよ。あちこちで大きな町が作られたことは前にやったね。それから五街道を始めとした街道が整備されたことも。そしてね。全国で、ここで二ヶ領用水が作られたような、大規模な工事がなされて、どんどん田畑が増えて、暮らしが豊かになっていったんだよ。・・・ちょっと資料集を出してごらん。・・・88ページ。

教師:右上のAの「全国の耕地面積の拡大」で分かるように、江戸直前のところから、江戸中期のところでの耕地面積に増え方がすごいだろ。

生徒:「うん。2倍に近いぞ!!」

教師:そのとおり。そしてその結果、全国の取れ高も、Bの「全国の石高の増加」でわかるように、太閤検地のころから江戸中期にかけても増えているね。

生徒:「先生。平安初期から太閤検地の所までのほうが増え方が激しいよ。」

教師:それはね、9世紀から16世紀の末までだから、約700年間のことだね。700年間かけて石高は約2.5倍に増えている。太閤検地は16世紀の末、江戸中期は18世紀の始め。ここはやく100年と少しだね。100年で約1.5倍だ。・・このスピードで700年やると・・・」

生徒:「約10倍!!」

教師:そのとおり。つまり平安時代から江戸時代までの700年間の石高の増え方より、なんと4倍の勢いで増えたんだね。

生徒:「すごい!!」

教師:それは全国で新田開発といって、荒地や沼地や海を、次々と田畑に変えていく工事が行われたからだが、それはいろんな人が行ったんだ。たとえばその資料の児島湾の干拓。干拓というのは海の中に堤防をつくって海を切り取り、そこの海水を干しあげて田畑にすることだが、この岡山県の児島湾の場合は、岡山藩の大名が自らお金を出して行った工事なんだ。そこに工事費用が書いてあるね。

生徒:「米で1万5400石。銀で245貫438匁!」「これ今のお金だといくらなの?。」

教師:米1石は約150キロ。だから1万5400石は・・・

生徒:「231万キロ!!」

教師:今の普通のお米だと、10キロで5000円くらいかな。だとすると5000円の23万1000倍は・・・

生徒:「11億5000万円!!」「えっつすごい!!」

教師:これにあと銀の245貫438匁が加わる。銀1貫は1000匁だから、245貫438匁は、何匁かな・・・

生徒:「24万5438匁!!」

教師:銀55匁が金の1両だから、銀24万5438匁は、金にすると・・・

生徒:「4462両と1両の半分!!」

教師:金1両は少なく見ても今の6万円とすこし、多く見ると12万円。12万円で計算すると・・・

生徒:「5億3550万円!!!」「合計すると16億円とすこし!!」「すごーい!!」

教師:そう、すごいね。でもお金を出したのは大名だけじゃないよ。その下の箱根用水の場合は、お金を出したのはこの箱根山をぶち抜いて芦ノ湖の水をもってきた地域の田畑をもっているお百姓たちと幕府。工事を請け負ったのは・・・

生徒:「町人!!」

教師:工事費は・・・

生徒:「7300万両!!」「・・・・8兆7600億円!!」「ええっつ!!すごい!!」

教師:これだけ巨額のお金を、田畑を増やすために幕府も大名も百姓も出しています。・・・そして洪水対策もね。資料集の83ページをあけてごらんなさい。

教師:これは手伝い普請といって、幕府の領地の工事を大名がやった例だけど、その土木工事の中の「木曾三川治水工事」をみてごらん。薩摩藩がやった工事でね。余りの難工事だったので、工事に携わった薩摩藩の武士のうち、自殺者が53名、病死が33名も出た工事なんだが、その工事費は・・・・

生徒:「約40万両!!!」「480億円!!!」

教師:これだけのお金を費やして、洪水を防いで行ったんだね。

生徒:「どうしてこんなにお金をかけることができたの?。」「そんなの簡単じゃんか!!」

教師:うん。それが今日の最後の問題だ。・・・「日本列島大改造に巨額のお金をかけられたのはなぜか?。」・・・ノートに自分の答えを書いてみよう。

(各自ノートに答えを書く)

教師:そろそろいいかな?。・・・じゃあ、答えてください。・・・・はい。&&さん。

生徒:「はい。それは日本が平和になったからです。」

生徒:「はい。追加!!」

教師:はい。■■くん。

生徒:「はい。日本が統一されて、戦争がなくなったから、戦争に使っていたお金を、日本列島改造に使えたんです。」

生徒:「もう一つ、補足!!」

教師:はい。##さん。

生徒:「はい。それに、幕府が鎖国をして、外国とのつきあいを最小限に制限したことが、日本が植民地になることもなく、平和な国になれた原因です。だから鎖国をして平和を守ったことも、日本列島大改造にお金をかけることができた理由だと思います。」

生徒:「僕も同じ!!」「私も同じです!!!」

教師:うん。その通りですね。日本がそうして平和になったことで、都市や道路、そして堤防や用水路をつくり、田畑を広げることに大量のお金をかけることができた理由ですね。・・・今の日本の風景、正確には江戸時代の終わりから、第2次世界大戦の少し後までの日本の風景は、こうやって江戸時代の中ごろまでの大工事によってできたものなんですよ。・・・じゃあ最後にまとめの問題をやっておわりましょう。

○まとめ

250年続いた【@   】の中で、幕府や大名は巨額の【A  】を使って日本列島を改造した。各地の政治の中心として【B   】を作ったり、参勤交代や物資の輸送のために【C   】を整備したり、各地で【D  】を築いて洪水から田畑や村・町を守ったり、【E    】を建設して新しい田畑を開くことを可能にしたりした。

(各自ノートの問題にとりくむ)

教師:いいかな?。・・・では@は?。

生徒:「平和!!」

教師:じゃあAは?。

生徒:「お金!!!」

教師:うん。いいね。ではB。何を作ったの?。

生徒:「都市!!」「町!!」「城下町!!!」

教師:城下町がいいね。政治の中心の都市だからね。・・ではCは?。

生徒:「街道!!」

教師:そう。ではDは?。

生徒:「堤防!!」

教師:そうだね。・・じゃあ最後のEは?。

生徒:「用水路?」

教師:そう。正解。用水路です。次の時間は、もう少し江戸時代の人々の暮らしについてやっていきます。


授業2001へ戻る 次の授業記録を見る