<夢の浮世(改定版)D> 世の中に蚊ほどうるさきものはなし
教師:さて今日は、・・・・(フリップ「世の中に蚊ほどうるさきものはなし」を黒板にはる)。
生徒:「何それ?」「蚊って、あの血を吸う蚊だよね?」「何かのおまじない?」
教師:これはね。狂歌といってね、世の中のことをひやかしたり茶化したりして批判する和歌の一部なんだ。
生徒:「へえっつ!!歌?。」「何を言いたいの?。」
教師:うん。誰が何を批判して詠ったものかが今日の問題なんだよ。それはおいおいとやって行くことにして、今日はまず、ノートの復習問題をやってみよう。江戸時代がどんな時代だったのかの復習だ。
○復習:「江戸時代とは、どんな時代だったのか?。」 長い戦乱のあとで全国が【@ 】されて、250年にもおよぶ【A 】が続いた江戸時代は前の時代とはおおきく違う時代となった。各地に【B 】が出来たので町にすむ人が増え、【B】をむすぶ【C 】や年貢米を運ぶための水路などが幕府や大名の手で整備されたので、【D 】が発達し、諸産業が栄え、商人や職人の暮らしも豊かになった。また幕府や大名が各地に【E 】を築いて洪水を防いだり、【F 】を築いて新田開発をしたりし、これに加えて【G 】が安くなったので、農民の暮らしも豊かになった。こうして江戸時代は【H 】中心の華やかな文化が栄え、今の世をあらわす「うきよ」を【I 】と書くようになった。 |
(各自問題に取り組む)
教師:そろそろいいかな?。・・・・じゃあ、答えあわせをしよう。1番は?。
生徒:「統一!!」「全国統一だ!」「秀吉だね」「違うよ。家康だよ!」
教師:そうだね。家康による全国統一。・・・では、江戸時代は、250年にもおよぶ何が続いた時代なの?。
生徒:「戦争のない時代!」「平和!!!」
教師:そう。戦争のない平和な時代だね。・・・では3番。各地に何が出来たの?。
生徒:「町!!」「城下町!!」「都市!!!」
教師:そう。城下町を中心とした町、都市だね。・・・では4番。この時代に都市と都市を結ぶ何ができたのかな?。
生徒:「街道!!」「五街道!!」「道!!!」
教師:うん。五街道などの道、街道だね。・・・では、5番。この街道や水路が設けられることで何が発達したの?。
生徒:「交通!!」「運送業!!」「商業!!!」「人や物を運ぶ産業!!」
教師:うん。まとめていうと交通が良いかもしれないね。・・・では、6番。洪水を防ぐために作ったものは?。
生徒:「堤防!!!」
教師:そう。堤防だね。・・・では7番。荒地を開墾して新田に開発をするために作ったものは?。
生徒:「用水路!!!」「二ヶ領用水!!」
教師:そう。二ヶ領用水などの用水路が各地に作られたんだね。・・・では8番。これが安くなったので農民の暮らしを良くしたものとは?。
生徒:「年貢!!!!」
教師:そうだね。年貢。年貢の量を一定に決めたために収穫が増えることで、結果として年貢は減ったのと同じになったんだね。・・・では9番。江戸時代の華やかな文化は、何が中心だったのかな?。
生徒:「・・・・・?。」「町人?。」「商人でも良いかも?。」「上方?。」「あっつ、京大阪!」
教師:うん。問題があいまいだね。・・どんな人々が文化の中心かと考えると?。
生徒:「町人!!」「商人!!」
教師:商人も含む町に住む人ということで、町人かな。・・・・じゃあ、江戸時代の文化の中心的な町は?と考えると?。
生徒:「江戸?。」「ちがう。京都・大阪!」「上方だ!!」
教師:うん。文化活動の中心は京都・大阪の上方地方だったんだね。江戸時代に末には江戸も中心の一つになるけどね。・・・では最後の10番。この世をあらわす「うきよ」という言葉を、どんな字で書くようになったの?。・・・はい。##くん。
生徒:「はい。水に浮くということの浮くに、世の中の世です。」
教師:そうだね。浮世(板書する)。・・・・これってどんな意味だっけ。・・・はい。@@さん。
生徒:「うきうきするほど楽しい世の中ってことです。」
生徒:「はい。追加!!」
教師:はい。&&くん。
生徒:「はい。暮らしも楽になったし、楽しいことも一杯あって、普通の人でも遊んだりできる楽しい世の中ということです。」
教師:そうだったね。・・・ちょっと資料集を開いてみよう。・・・101ページが良いかな。・・・ここに「人気ふっとう」という題がついて、いくつかの絵がのっているけど、これは何を描いた絵だったかな?。
生徒:「お芝居だ!!」「歌舞伎だよ!!」
教師:そう。歌舞伎だね。お芝居。ただ、人間がお芝居をする歌舞伎以外にも人形浄瑠璃というお芝居もあったんだね。その下の絵の舞台を見てご覧よ。
生徒:「あっつ、人形が舞台にいるよ!」「小さいな」「後ろから見えるのかな?。」「だから見るところが狭いじゃないか?。」
教師:そうだね。・・・・そしてどんな人達がこれらの劇を見ているかというと。・・・上に絵を拡大したのがあるね。
生徒:「いろんな人がいるね。」「武士もいる!」「町人もいる!」「どうやって見分けるの?。」「刀を持っているかいないかだろ」「あっつそうか」「結構良い服を着ているね」「いろんな色のね」「それだけ暮らしが楽だったということだね。」
教師:そう。浮世だもんね。うきうきする楽しい世の中。これが江戸時代だったわけだ。・・・ここで問題です。「この浮世を楽しむことが出来なかったのはどんな人たちか?。」
生徒:「えっつ、そんな人いるの?。」「誰?。」「それが問題だろ!!」「わかんないよ!」「・・・・?。」「ヒントないの?。」
教師:うーん。ヒントね。・・・・いくつかあるな。こういった楽しみを楽しむには必要なものがあったね。
生徒:「おっつ、わかったぞ!」「えっつ何?。」
教師:それから、それがあっても、今見たような楽しみをしてばかりいると怒られる人もいたな。
生徒:「うん。わかった!」「えっつ何?何?。」「自分で考えろよ!」
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:よさそうだね。・・・では答えてもらおう。・・・はい。◎◎くん。
生徒:「はい。浮世を楽しめなかったのは貧乏な人だと思います。楽しむにはお金がいるからです。」
生徒:「貧乏な人って誰のことだよ」
生徒:「それはお金がない人のことで・・」
生徒:「だからどんな人がお金がなかったんだよ」
生徒:「・・・・・?。」
生徒:「はい。私がかわりに答えます!!」
教師:はい。▼▼さん。
生徒:「はい。貧乏だったのは農民だと思います。理由は年貢が重くて遊ぶ金なんかなかったし、それに規則で遊ぶことを禁止されていたからです。」
生徒:「はい。今のに意見!」
教師:はい。■■くん。
生徒:「はい。復習でもやったけど、江戸時代の年貢はどんどん軽くなっていたから、農民だって遊ぶ金もあったと思います。」
生徒:「私も追加!!」
教師:はい。**さん。
生徒:「はい。それに去年の授業でもやったけど、農民達はいろいろ工夫してたから収穫も増えていたし、結構仕事に休みの日があって、遊ぶお金もひまもあったと思います。」
生徒:「今の意見に反論!」
教師:はい。▼▼さん。
生徒:「はい。たしかにそうかもしれないけど、教科書の127ページにあるような慶安のお触書というのがあって、お茶を買って飲むなとか、芝居ばかり見ている女房は離縁しろだとかとか、着物は麻と綿しか着てはいけないとか、きびしい規則で縛られていたから、お金やひまがあっても遊べないと思います。」「あっつほんとだ。そう書いてあるぞ。」
生徒:「はい。今の▼▼さんの意見に反論です。」
教師:はい。&&くん。どうぞ。
生徒:「はい。たしかに慶安のお触書にはそう書いてあるけど、こういう禁止があるってことは、結構お茶を買って飲んでいたってことだし、芝居見物に行く女たちもいたということ。それにたしか去年の授業でやったけど、このお触書が出されたのはひどい飢饉のあったあとだから、こんなことをしていると暮らせなくなるぞという注意だったと思います。飢饉がくれば楽しんでいることはできないけど、飢饉さえこなければ、農民の暮らしは結構楽だったと思います。」「うん。たしかそうだったな。」
生徒:「じゃあ、農民じゃなければだれだ?。」「一番下の身分って農民だろ?。」
生徒:「わかった!!」
教師:はい。%%さん。
生徒:「たしか小学校で習ったのだけど、農民より下に、えたとかひにんとか呼ばれる人達がいて、この人達は酷く差別されていて、着るものなども自由がなかったっていいます。それに田畑を持つことも禁止されていたというから、きっと貧しかったんだと思います。」「あっつ、たしかそう習ったぞ」
教師:なるほど。差別された人達ね。これも答えの一つにしていいかもしれないね。
生徒:「まだあるの?。」
教師:ある。ある。みんなは身分の低い人達が浮世を楽しめなかったと考えているみたいだね。身分の低い人ほどお金もないし規則で縛られていると・・・・。
生徒:「そうじゃないの?。」
生徒:「わかった!!。わかったぞ!。今のヒントで!!。先生!!おれに当てて!!」
教師:はい。◎◎くん。
生徒:「はい。浮世を楽しめなかったのは武士です。」
生徒:「そんなわけないよ。」「さっきの歌舞伎の絵にも武士が見に来ていたじゃないか!!」
教師:たしかに歌舞伎を見に来ている武士もいたけど、実は武士こそ自由に歌舞伎を見に来れない人達だったんだよ。
生徒:「うっそーっつ!!」「ほんと!!!」(爆笑)
教師:さあ、そこで問題です。なぜ武士は浮世を楽しめなかったのか?。
生徒:「ええっつ???」「わかったぞ!!」
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:そろそろ書けたかな?。・・・じゃあ班にしてその理由をまとめてみよう。
(各班で討論する)
教師:そろそろまとまったね。・・・じゃあ発表してもらおう。・・・はい。4班お願いします。
生徒:「はい。私たちの班では、武士は厳しい規則で生活を縛られていたから、それで遊ぶ自由がなかったということになりました。」
生徒:「その規則なんて言ったかな?。」
生徒:「武家諸法度だよ。」「そうそう。やったね。」
生徒:「6班も同じです!!」「1班も同じです!!」「3班も同じです!!」「2班は違います!!」(笑い!)
教師:はい。違う意見の2班お願いします。
生徒:「はい。たしかに規則で縛られていたけど、武士の大部分は貧しかったと思います。」
生徒:「農民から年貢とっていくじゃないか!!」
生徒「たしかに農民から年貢をとって行きますが、その年貢の率は下がっていくから、農民などに比べれば収入が増える率は低いです。それに武士の中の大名なんかは結構贅沢に暮らしていたと思うけど、武士の大部分は今で言えばサラリーマンだから、頑張った分給料があがるというものじゃないので、貧しい人も多いと思います。」
生徒:「今の2班の意見に補足!!」
教師:はい。5班どうぞ。
生徒:「はい。□□くんはよくテレビの時代劇を見るそうですが、そこには浪人という職を失った武士がたくさん出てきて、その人達は、お金をかせぐために傘の紙をはったり、将棋の駒をつくったり、勉強の得意な人なら寺子屋という学校の先生になったりしているけど、住んでいる所は一戸建ての家ではなく、貧しい人達の住む長屋と言う何軒も繋がった一つしか部屋のない家に住んでいたみたいです。それに失業していない武士でも、給料があがらなくて家で内職をしていたという話しもあるそうです。
教師:なるほど、テレビの時代劇ね。うまい所に眼をつけたね。じゃあ最初にでた武家諸法度のことだけど、詳しい資料を配るので見てください(資料D「武家諸法度の変化」を配る)
資料D 武家諸法度(元和元年―1615年定める) 一、 文武弓馬の道をもっぱらたしなむこと。 一、 集団で酒を飲んで騒いだり、女遊びをせぬこと。 一、 法度にそむくものどもを国々に隠し置いてはならぬこと。 (中略) 一、 幕府の許可なく結婚してはならぬこと。 一、 衣服は身分に応じたものを着るべきこと。 一、 誰でも輿に乗るのではなく、身分に応じたものにすべきこと。 一、 従者の数はなるべく増やさず倹約すべきこと。 一、 国主である大名は政務に清を出すこと。 |
教師:これが武家諸法度だね。最初の文武弓馬の道というのは、武士として必要な学問や武芸のことを指していて、この学問や武芸を専ら励むということだから、これ以外のことに夢中になってはいけないということなんだ。
生徒:「これ以外って?。」「あっつ、遊びか。」
教師:そのとおりだ。この規則は、学問や武芸に励むことが定められているんだね。だからそれとの関係で、次の集団で酒を飲んで騒いだり女遊びにふけったりすることは、最初の文武弓馬の道に励むことに外れているからいけないというわけだ。つまり学問や武芸に励まないで遊んでばかりいてはいけないということだね。最後のほうの衣服や輿などの乗り物、また家来の数を制限したのは、贅沢は禁止ということだね。この武家諸法度は大名の生活に対する規則なんだけど、どの大名家でも、この規則に従って藩内の武士に対する規則を決めていたから、ずべての武士がこの規則に縛られていたといっても間違いではない。このように武士は結構規則でしばられているんだ。
生徒:「武士って結構大変なんだね。」
教師:そうだね。しかもこの規則が段々厳しくなっていくんだけど、最初の1条がどう変わったかを示したのが次の資料だ。
○武家諸法度の最初の一条の変化 @1615年:(二代将軍秀忠の時) 文武弓馬の道をもっぱらたしなむこと。 A1683年(五代将軍綱吉の時) 文武忠孝を励し、礼儀を正すべきこと。 B1710年(七代将軍家宣の時) 文武の道を修め、人倫を明らかにし、風俗を正しくすべきこと。 |
生徒:「2番目の『忠孝』て何?。」
教師:「忠」はご主人を敬いそのご主人のために働くこと。「孝」は親を敬うことだね。
生徒:「学問や武芸に励むだけではなくて、ご主人や親を敬えというわけだ。」「礼儀って?。」
教師:うん。礼儀正しくというだろ。あの礼儀。
生徒:「言葉遣いとか、挨拶とか、人に対する態度をちゃんとしろってことか。」「結構細かくてうるさいんだね。」
教師:そう。うるさい決まりだね。でもBになるともっと細かいだろ。
生徒:「人倫って何?。」
教師:人としての正しい行い、やって良いことと悪いこととをチャンと区別しろということ。
生徒:「そんなことまで規則に決めるんだ」「やってられないな」「風俗を正しくって?。」
教師:風俗とは、服装や髪型や身につけるものの色や形、それから言葉遣いや何を趣味にするとかそういうことかな。
生徒:「そんなことまで、決めるんだ。」「武士として正しい服装や髪型が決まっているんだね。」「色や形の決められているんだ。」
生徒:「おれたちの学校の規則みたいなもんだな。」「やってられねえな。」
生徒:「武士って規則で縛られているんだね。」「偉いのだからもっと自由かと思った。」
教師:そうだね。あんまり幕府がうるさく規則規則というもので、ついに武士の不満がこうじてね、それで最後の狂歌が出来たんだよ。
☆武士の不満をあらわした狂歌☆ 世の中に、蚊ほど(これほど)うるさきものはなし ぶんぶ(文武)というて夜も寝られず (1790年ごろ、十一代将軍家斉の老中、松平定信の政治をひにくったもの) |
生徒:「あっつ、これか。黒板に貼ってあるやつは。」「蚊がぶんぶんとうるさいみたいに文武文武とうるさいぞという意味だね。」
生徒:「規則を破ると武士はどうなっちゃうの?。」
教師:うん。いろいろな罰があるんだが、一番厳しいのは本人は切腹でお家取り潰しというものがある。
生徒:「お家取り潰しって何?。」
教師:あとでやるけど、それぞれの武士の家は家の格とそれに応じた収入が決まっているわけだけど、お家取り潰しっていうのは、その罪を犯した人とその家族から、その家の格と収入を取り上げるということだよ。
生徒:「じゃあ失業しちゃうわけだ。」
教師:そういうことだね。
生徒:「大名のお家取り潰しじゃ失業する武士が大勢いるわけだね。」「だから浪人が多かったんだ。」
教師:そういうことだ。特に江戸時代の初期には取り潰された大名が多かったからね。・・・・でも武士の生活のわずらわしさはこれだけじゃないんだよ。今の資料の裏のE「武士の中の身分差別」を見てご覧。
@「武士」の中の差別 【家の格による差別】 (1)御三家・御家門 ⇒⇒⇒ 「親藩(しんぱん)」大名 ※将軍家の一族 (2)御譜代さま ⇒⇒⇒⇒⇒ 「譜代(ふだい)」大名 ※将軍家の昔からの家来・この大名が幕府の政治を行う。 (3)お大名さま ⇒⇒⇒⇒⇒ 「外様(とざま)」大名 ※関ケ原の戦い以後に将軍家の家来になった大名 大名とは:領地の石高(こくだか)(米の取れ高)1万石以上を言う。 (4)直参旗本(じきさんはたもと)・御家人(ごけにん) ※将軍の家来のうち1万石以下の領地しか持たないもの 「旗本」:上級武士=将軍に直接会える。 「御家人」:下級武士=将軍に会えない (5)陪臣(ばいしん) ※大名の家臣 「侍」 :上級武士=大名に直接会える ※さらに細かく身分が分かれる 「下士」:下級武士=大名に直接会えない 「卒」 :足軽=武士なのに武士内部で武士あつかいされない A家の格で定められた収入と生活 (1) 家の格で定められた家来の数
(2) 家の格で定められた収入 大名:1万石以上 ※1万石とれる領地からあがった年貢収入 普通はこれの50%(=5000石) 上級武士:100石以上 下級武士:100石以下 ※大名から給料としてもらった米 卒(そつ) :○人扶持(ふち) ※○人が1年間に食べる米の量
1石(150kgの米)=60000円として収入を計算してみよう。 |
教師:武士は同じ武士でも、家の格にによって待遇に差別があったんだね。一番偉いのが将軍だけど、その家来である武士には大きく分けて5つの身分というか家の格があったんだよ。
まず大名といっての三つあって、一番偉いのが御三家・御家門様と呼ばれた将軍家の親戚である親藩大名。次が御譜代様と呼ばれる、将軍家の昔からの家来だった大名達。そして最後が普通のお大名様である、外様大名。これは関が原の戦い以後に将軍家の家来になった大名だね。
生徒:「ということは、外様大名って昔の敵だね。」
教師:そう。その通り。むかし天下を巡って徳川氏と争った大名達だね。・・・という具合に大名でも大きく分けて3つの家の格、身分があったんだ。
生徒:「まだあるの?。」「小さく分けるとどうなるの?。」
教師:うん。それはね、大名の領地の石高で違うんだね。大名というのは領地の石高が1万石以上の武士のこと。
生徒:「石高って何だっけ?。」「領地から取れるお米の量だよ。」「あっつそうか?。」
教師:そうだね。で、大名の収入はその石高のおよそ2分の一になるわけだ。その石高によって、10万石以上の大名は大大名。5万石以上10万石以下の大名が普通の大名。最後に5万石以下の大名は小大名といってね、それぞれで扱いがことなるんだ。
生徒:「へえーっつ」「知らなかったな」「加賀百万石なんてすごい大きい大名ってことだ。」
教師:そうだね。今の石川県と福井県の一部を治めていた前田家は100万石の石高の領地を持っていて日本一の大大名なんだ。
生徒:「じゃあ、幕府でもえばっていたんでしょ。」
教師:ところが違うんだ。大大名になると将軍家と結婚などの縁組が出きるけど、前田家は外様大名だから、幕府の政治には口出しできないんだよ。
生徒:「外様って一番しただから?。」「誰が幕府の政治に口出しできるの?。」
教師:それはね。譜代大名なんだ。幕府の政治を実際に分担して行うのは。
生徒:「じゃあ親藩大名は?。」
教師:親藩は口出しはできるけど、できたら何も言わないで欲しいということで、幕府の政治には直接関わらない地位に置かれたんだよ。
生徒:「あっつ、じゃまだからだ。」「何で?。」「親戚って将軍になることも出きるわけだからうるさいじゃないか。」「なるほど」
教師:そういうこと。だから大名と言っても家の格と収入とで、出きることが違ったんだね。それから大名の下に将軍の直接の家来である旗本と御家人、その下が陪臣といって大名の家来だ。そして大名の家来の侍という大名に直接会える偉い武士と、下士といって直接は会えない身分の低い武士、最後は卒と言って、武士なのに武士扱いされない人。こんなように武士にはいろんな家の格・身分があったんだよ。
生徒:「同じ武士という言い方ができないんだ」「武士っていってもいろいろあるんだね。」
教師:うん。そうだ。・・・今出きることって言ったけど、出きることだけではなく、やらなきゃならないことも違うんだ。
生徒:「やらなきゃならないことって?。」
教師:うん。Aの家の格で決められた収入と生活を見てご覧。実は武士は、その家の収入に応じて、雇わなければいけない家来の数が決まっていたんだ。
生徒:「へえーっつ」「そんなことまで決まっていたんだ。」
教師:それだけじゃないよ。収入と家の格によって、家の大きさや門の形や、乗り物の形や大きさ、それから出かける時のお供の家来の数、さらには服装や持ち物など、みんな家の収入と格とで決まっていたんだ。
生徒:「じゃあその決まりの家来の数をそろえなければいけないわけ?」「決まった家や乗り物を使い、決まった服も着ないといけないの?。」
教師:そういうことだね。皆家の格と収入に見合った格好をしなければいけないんだ。
生徒:「家の格や身分で収入が決まっていたってことは、頑張っても高い給料はもらえないの?。」
教師:そのとおりだね。何になれるか、どんな仕事につけるか、いくら給料がもらえるかは、その人がどの格の家に生まれたかで決まるんだよ。一番低い身分の卒の家に生まれた人は、どんなに頑張って勉強しても、門番や庭の掃除や馬屋の掃除ぐらいしかさせてもらえないし、収入も増えない。
生徒:「偉い大名に生まれれば馬鹿でも偉くて収入も多いいんんだ。」「いいなあー」
生徒:「良くないよ。」「なんで?。」「偉い大名になんか生まれても、やらなきゃならないことや家や乗り物や服も決められているし、やりたいこともできないじゃないか?。」
教師:そうだね。暮らしは豊かでも自由は少ないね。
生徒:「武士って結構自由がないんだね。」「厳しいね。」
教師:じゃあ、今日の最後の問題です。「なぜ幕府は、武士だけ厳しい規則・身分で押さえたのか?。」。自分の考えをノートに書いてください。
(各自ノートに自分の考えを書く)
教師:じゃあ良いかな?。ではみんなの意見を聞こう。・・・・はい。##さん。
生徒:「はい。武士、特に大名は、将軍の昔の敵も含まれているわけだから、いつ将軍に逆らうかわからないので、押さえつけておくことにしたんんだと思います。」
生徒:「今の意見に補足!!」
教師:はい。▼▼くん。
生徒:「はい。武士だけが武器を持っているでしょ。この武士をほっておくと、天下を取りたいと思ってまた昔のように争いを始めて、戦争が起きてしまうと思うのです。だから規則で厳しく取り締まったのだと思います。」
教師:なるほど。・・・・はい。●●くん。
生徒:「僕は、武士は世の中を治め、悪い人を取り締まったりする人だと思うんです。だから、こういう人が贅沢をしたり遊んでばかりいたんんでは、世の中が乱れちゃうから、世の中の人のお手本になってもらわないといけないんだと思います。だから厳しい規則や身分があったんだと思います。」
教師:なるほど。お手本ね。・・・・はい。★★さん。
生徒:「今の意見に補足ですけど、武士があまりに贅沢な暮らしをしたり遊んだりすると、お金が足りなくなって、農民からの年貢をもっと多くしようとするから、そうなると農民達のくらしがきつくなって、一揆なんかやるようになって、世の中が乱れるからだと思います。」
教師:なるほど。武士の贅沢が世の中に争いを生み出すわけだ。武士は、武器を持ち、世の中を治める人だから、ちゃんとしていないと世の中が乱れるっていうことだね。だから「文武・文武」ってうるさく言って、しっかりしろとやっていたわけだね。
生徒:「蚊ほどうるさきものはなし!!」「ぶんぶといって夜も寝られず!!」(爆笑!!)
教師:じゃあ今日はここで終わりにしよう。まとめの問題はやっておいてください。