<夢の浮世(改定版)E> 天は人の上に人をつくらず


教師:さて今日は、・・・・(フリップ「天は人の上に人をつくらず」を黒板にはる)

生徒:「何それ?」「あっつ!わかったぞ!はい!!」

教師:◎◎くん、どうぞ。

生徒:「はい。『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』という言葉の一部で、人間は平等だ差別はいけないということで、福沢諭吉の言ったことだそうです。」

生徒:「へえー!!良く知っているな!!」

教師:そうだね。福沢諭吉の言葉。正しくは『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、と言えり』だ。

生徒:「どこが違うの?」

教師:うん。「言えり」で終わっているから、「・・・と昔から言われている」という意味になり、これは福沢自身の言葉じゃないよ、ということを示しているんだ。

生徒:「じゃ、誰の言葉なの?」「ヨーロッパ人の考えじゃないの」「どうして?」「福沢ってヨーロッパのことを勉強した人だろ」

教師:うん。そう言われているね。でも最近、この言葉は日本で昔からある地方に伝えられている言葉で、福沢がある人からこのことを聞いて、「こりゃあいい」と自分の書いた本に入れたと言う説を発表した人もいるよ。

生徒:「どこのだれ?」

教師:うん。それは東北地方の青森県の津軽の人なんだけど、これを説明していると長くなるから、今日はやめておこう。

生徒:「なーんだ、残念!!」

教師:じゃ、今日は、最初に、ノートの復習問題をやってみて、それから江戸時代のまとめをしてみよう。

各自ノートの問題に取り組む

 ○復習:「江戸時代、ひとびとはどんな暮らしをしていたか?」

  250年にもおよぶ平和が続いた江戸時代は、諸産業が発展し、人々の暮らしが【@    】になった時代であった。そして幕府が法令で生活を厳しくとりしまったのは【A     】と天皇貴族だけであったので、庶民はおのおのが持つ【B    】に応じて、さまざまに色染めした絹や木綿の服を着て、毎日の暮らしを楽しんだ。よく、農民の暮らしを厳しくとりしまった法律と言われた【C    】は打ち続く飢饉の中で、農民が生活に困らないように、ぜいたくをいましめただけのものであった。

教師:そろそろいいかな?。・・・・・じゃあ答えあわせをしておこう。1番。250年もの平和が続いて人々の暮らしはどうなったのか?。

生徒:「豊か!!!」「楽しく豊か!!!」「平和で豊か!!」

教師:うん。「豊か」でいいね。けど、あとの問いを考えて見ると、『楽しい』というのも入れるとより良いし、『平和』でもあるから、どれもいいんじゃないかな?。・・・・では次。2番。幕府が法令で生活を厳しく取り締まったのは、天皇貴族と、あとは何?。

生徒:「武士!!」「大名!!」「武士と大名!!!」

教師:「武士」でいいね。大名とその下の家来たちを別の身分だとすると「武士・大名」でもいいかもしれない。・・・では次。3番。庶民、農民や商人だね

生徒:「職人もいます!!」

教師:そうそう。職人もいるね。そういう武士や天皇貴族ではない人を庶民と呼ぶのだが、この人達は何に応じて暮らしを楽しんだのかな?。

生徒:「身分!!!」「お金!!!」「身分だよ!」「違うよ!!お金だろ!!」

教師:どっちだ???・・・はい。□□さん。

生徒:「はい。幕府が身分に応じて生活の規則を決めたのは武士と天皇貴族なのだから、庶民である農民や商人・職人には身分に応じた決まりはなかったということです。だから身分じゃありません。」「なるほど!!」

教師:そうですね。だから暮らしを楽しむしかたが人によって違うのは、その人が持っている

生徒:「お金!!」「財産!!!」「地獄の沙汰も金次第!!!」(笑い!!)

教師:その通りですね。・・・じゃあ最後の4番。農民の暮らしを厳しく取り締まった法律といわれていたのは?

生徒:「・・・・・?」「慶安の御触書!!!」「あっつ、そうそう!!!」

教師:そう。慶安の御触書だったね。あれは何年も飢饉が続いたあとに幕府が飢饉対策として暮らしのしかたを示しただけのものだったんだね。だから農民をはじめとする商人や職人などの庶民は、服装などの生活の規制を受けていなかったんだよ。

教師:そこで今日の最初の問題。『「庶民」なのに服装などの生活の規制を受けたのはどんな人々か』。

生徒:「えっつ!!そんなのいたか?」「おかしいじゃん。庶民なのに。」「あっつわかったぞ!!」「何何・・」「ほらあれ!小学校でやったじゃないか!!」「あっつ、思い出したよ!!。差別だろ!」「ええっつ!何?。わかんない!!」

各自問題の答えをノートに書く

教師:そろそろいいかな・・・・。じゃあ・・・@@さん。

生徒:「はい。たしか『えた・ひにん』と呼ばれて人間あつかいされていない人がいたと思います。この人達じゃないでしょうか。」

教師:なるほど。・・・・はい。▼▼くん。

生徒:「はい。どの人が人間ではないということを示すには服装とか髪型などを別にして一目でわかるようにしたんだと思います。だから「えた・ひにん」の人達は、生活のことを厳しく規則で縛られたのじゃないかと思います。」

教師:なるほど。そういう理由で生活を規制した。・・・・はい。##くん。

生徒:「質問ですが、「えた・ひにん」って何ですか。どんな人たちなの?。人間あつかいされないって?。」

教師:そう、そこが問題だね。

生徒:「じゃあ、庶民なのに生活の規制を受けたのは、『えた・ひにん』なんだ。」

教師:そうだよ。・・じゃあ「えた・ひにん」についての資料を配るから読んでみてください(「資料F「えた」「ひにん」とは」を配る)

資料F 「えた」「ひにん」とは?
 1.非人(ひにん)とは?

 「乞食(こじき)」や、裁判所の下で犯罪者を処刑(しょけい)したりその死体を処理する役目のものをいう。

 奈良時代の昔から、この人々は死の穢れ(けがれ)などの恐ろしいものを清め追い払う不思議な力を持った人々と信じられていた。

 2.穢多(えた)とは?

  本来は、「かわた」(皮多)とか「ちょうり」(長吏)とよばれ、病気や怪我や寿命で死んだ牛馬の死体の処理と皮製品の製造を職業とする人々のこと。

  この人々も昔から、死の穢れ(けがれ)などの恐ろしいものを清め追い払う不思議な力をもった人々と信じられていた。

※穢れ(けがれ):人の死などの異常なことがおきると、それに立ち会った人々に何か恐ろしいもの(=穢れけがれ)が取りつき、そのままにすると死にいたると信じていた。

※えた(穢多): 「穢れけがれのたくさん取りついた人々」の意味であり、この人々を差別する言葉。

 3.差別の実態:

 ・7才以上の男女は、5寸4分方(縦横18cm)の毛皮を前にさげて往来し、家には毛皮をさげるように。

                                               (大洲藩)

 ・百姓町人の風俗とまぎれぬように、穢多非人は、晴雨にかかわらず着物のすそをはしおり、草鞋わらじをはくこと(たびをはいたり  草履ぞうりをはいたりしてはいけない)。雨天にのみ菅笠すげがさを用いる事。

 ・男女とも木綿以外は着用せぬこと。女の髪はたぶさを出さず(まげを結わず)草束(長い髪をひもでしばるだけ)とし、木のくし以  外は使わぬこと。

 ・勧進相撲かんじんずもう興行こうぎょうなどは一切見物せぬこと。

 ・平人(庶民)と火を交えぬ事(結婚してはいけない)。

 ・用があって他の村に行くときは(家にあがらず)土間にむしろを敷いて用をすませ、食事は握り飯にしろ(食事をごちそうになって はいけない)。

                                               (松代藩)

生徒:「死体を処理する仕事が中心だね。この人達の仕事は。」

生徒:「先生。質問!!」

教師:はい。$$さん。何ですか?。

生徒:「はい。皮多っていうのは、死んだ馬や牛の皮を扱うことが多いからついた名前だと思うけど、長吏ってなんですか?。」

教師:あっつ、良い質問だね。長吏っていうのはね、役人の中の偉い人につけられる呼び名で、例えば大きな御寺の一番偉い人なんかは、○○寺の長吏って呼ばれて人々の尊敬を受けたんだよ。

生徒:「じゃあ、死んだ馬や牛の死体を処理していた人達はえらい人だと思われていたってこと?。」

生徒「死体に触っても穢れがとりついて死ぬことがないからじゃない?。」

生徒:「つまり不思議な力をもっていた人ということだ」「だから偉い人なんだね」

教師:そう。おそらくそうだと思いますね。そして死体の処理をするということを政府から認められ任命されていたんじゃないかな。だから偉い人の代名詞である「長吏」という呼び名もつけられたんだと思いますね。

生徒:「勧進相撲興行って何?。」

教師:お相撲はね、今のようにいつは東京である時はは名古屋なんて決まっていなくてね、それぞれの地方の御金持ちたちが、江戸のお相撲さんたちにお金を払ってその地方に来てもらい、そこに土俵を作って、相撲を何日間かやって、その地方の人に見てもらったんだ。そうやってお金をもらって何か芸能をやることを勧進興行といったんだよ。相撲だけではなく歌舞伎なんかもそうやって地方で行われたんだ。

生徒:「ふーん。そうしないと地方の人は楽しみがなかったんだね。」

生徒:「じゃあ、『えた・ひにん』の人達は、そういう楽しみもやっちゃいけないっていう規則なんだね。」

教師:そういうことだね。・・・はい。%%くん。何ですか。

生徒:「はい。質問です。3に書いてある差別は江戸時代に始まったの?。」

教師:そうですよ。それも江戸時代の中ごろ以後。

生徒:「ということは、江戸時代の中ごろ以前には、この人達に対する差別はなかったということ?。」

教師:そうです。だから「乞食」とか「非人」そして「皮多」や「長吏」とは呼ばれていたけど、「えた」とは呼ばれず、差別じゃなくて不思議な力をもった人として尊敬され恐れられてもいたんだね。

生徒:「それじゃ神様みたいなものじゃない!」

教師:うん。するどいね。彼らは神に仕える人達で、神様に近い人だと考えられていたんだよ。

生徒:「じゃあ、どうして江戸時代の中ごろになって急に、尊敬されていた人達が急に人間じゃない、近寄るなって差別されるようになったの?。」

教師:うん。良い質問だね。だだしね、差別は急におこったことじゃないんだ。尊敬されていたのは鎌倉時代から室町時代の中ごろまで。それ以後はだんだん避けられる人になってきて、江戸時代の中ごろ以後は、今度は近寄るなっていう感じになったんだね。・・・そこで今日の問題だ。「なぜこの人々に対する差別がはじまったのか」

生徒:「ええっつ!むずかしいよ!!」「ヒントないの?」

教師:ヒント?。・・・この人達がどんな人であったかということ、それから急に江戸時代中ごろになって起きたのではなく、室町時代の中ごろ以後だんだん恐れられて最後は差別されたということ、もう1つは江戸時代の中ごろっていうのがヒントかな?。

生徒「むずかしっ!!」「いやわかった気がする」「ほんと?・・・」

各自ノートに自分の考えを書く

教師:よさそうかな。ある程度書けたら、班の座席に変えて討論してごらん。

各班で討論する

教師:・・・じゃあ、どの班から発表してもらおうか?。・・・・はい6班お願いします。

生徒:「はい。江戸幕府は最後に壊されちゃったんだから、江戸時代の中ごろから人々の間に幕府に対する不満がたまってきて、それがえた・ひにんを差別する原因になったのだと思います。」

生徒:「よくわかんないよ。ちゃんと説明して!!」

生徒:「はい。幕府に対する不満がたまってくるってことは、政治を行っている将軍や大名や武士に対して批判する人が増えると言うことです。だから幕府が批判されないように、幕府への不満が他にいくようにということで、庶民より下の身分をつくって、この人達を差別させれば、幕府にたいする不満が弱まると考えたのじゃないでしょうか。」

生徒:「なるほど!!」「いじめみたいなもんだな!」

教師:なるほどね。幕府に対する不満をそらすためね。江戸時代中ごろから差別が始まったというのをヒントにしたんだね。

生徒:「そうです。」

教師:では他に意見がある班・・・・はい。3班お願いします。

生徒:「はい。僕たちは、差別が始まったのは、人々がこの人達を恐ろしいと感じ始めたからだと思いました。」

生徒:「理由は?。」

生徒:「はい。普通の人は死体に触れると穢れがうつって病気になったり死んだりするのに、この人達はなりません。不思議な力をもっているからですが、それが尊敬の的だったのに、恐くなったのではないでしょうか。だから避けられてきて、最後は人間じゃないやつは近づくなということになった。要するに、この人達が不思議な力を持っていたことが原因です。」

生徒:「今の意見に質問!!」

教師:はい。△△くん。

生徒:「江戸時代の人たちは、死体に触れてもどうにもならないという不思議な力を信じていたんだろうか。僕は、ばい菌とかがうつらない限り死体に触れても病気になったり死んだりしないと思うよ。」

生徒:「だからそれは、ばい菌というものが発見されて、それが原因で病気になったり死んだりするということを人々が分かってからのことでしょ。」

生徒:「あっそうか。ばい菌っていつ発見されたの?。」

生徒:「教科書の174ページに、結核菌の発見が1882年、コレラ菌の発見が1883年って書いてあるから、それよりずっとあと、20世紀になってからじゃないの?。」

生徒:「なるほど!!!」

教師:そうだね。ばい菌が発見されるまでは人間が病気になったり死んだりすることが不思議だったのだから、江戸時代の人は確実に「死体に触れても病気にもならない」という不思議な力を信じていただろうね、。その力をもっていたことが逆にその人達が恐れられる理由になってそれで差別されたということだね。なるほど。・・・・他には?。

生徒:「問題が難しすぎてわかりませんでした!!」「うちの班も同じ!!」

教師:そうか難しいか・・・・・・はい。△△くん。何ですか?。

生徒:「質問ですが、たしか江戸時代はお金がないと生きていけない時代ですよね。」

生徒:「だから?」

生徒:「地獄の沙汰も金次第っていうようになったわけだから、お金で神様なんかどうにでもなるということでしょ。」

生徒:「だから、何が言いたい!!」

生徒:「だから、人間が神様の力をあまり信じなくなったというか、神様の力が小さくなったんじゃない?。」

生徒:「それで!!」

生徒:「えた・ひにんの人達は神様みたいな力を持っていると考えられていたわけだから、みんなが神様の力をあまり信じなくなってくると、えた・ひにんの人達の不思議な力もだんだん信じなくなってきて、汚い仕事をしている変なやつらってことになったんじゃないの?。」

生徒:「おおっ!!!」「すごい意見だ」

生徒:「でもそれじゃどうしてこの人達は死体に触れても病気にならないと説明できるの?。やっぱ不思議じゃない?。」

生徒:「うん。よくわかんないけど、不思議は不思議なんだけど、この人達が何か特別の力を持っているのじゃなくて、この人達が変だから、おかしな人達だから病気にならないんだと考えたんじゃないの?。」

生徒:「だから人間じゃないわけだ!」「神様じゃなくて変なやつ!!」「なるほど!!!」

教師:なかなかするどい議論になっていたね。そう。そういう考え方もある。お金が広がるとともに神様を信じる度合いが低くなってきて、それが不思議な力をだんだん信じなくさせて、その結果、死体をあつかう仕事をしている人達を「変な人」と見て差別するという。

生徒:「それじゃますますいじめと同じだよ。みんなと同じじゃないからといって変だというのはおかしい!!」

教師:そうだね。だけど少なくとも江戸時代の中ごろ以後は、そういう考え方が広がっていったということだね。

生徒:「だからその考えが広がったのを利用して、幕府に対する不満を弱めるために、この人達を差別する法律をつくって差別を広げたんじゃない。」

生徒:「なるほど!!!」

教師:なるほどね。差別的な考え方が先に広がってきて、それを幕府が利用して差別を拡大した。・・・それはありかもしれないね。江戸時代の人達の「穢れ」を恐れる考え方が強まったのが、江戸時代中ごろの5代将軍綱吉が出した「生類憐れみの令」だという意見もある。

生徒:「犬を御犬様っていって大事にしたあれ?。」

教師:そう。犬だけではなく、馬や牛も鳥も生き物はみんな大事にしろという法律。仏教的な考え方をすごく大事にして、それゆえ死ぬということへの恐れを人々に強く植え付けたとされているんだ。死ぬことを恐れるようになると、死体に触れても死なない人というのは、もっと恐れられるね。その上江戸時代には今まで大きな力を持ってきた貴族や御寺や神社の力を弱くなってきたから、この人たちの祭っていた神様の下で雇われて、神様に仕える仕事をしていた人たちが、神社やお寺の保護を受けられなくなったんだ。「かわた」や「ちょうり」それから、「ひにん」もこういう神社やお寺の下で神様のために働いていた人たちなんだ。だから江戸時代になってこの人たちは「神様の保護」を受けられなくなった。だから「神様に近い」人ではなくなったわけ。この人たちの不思議な力がだんだん信じられなくなるわけだね。これが江戸時代という時代なんだよ。

生徒:「なるほど!!!」「そういうことか!!」

教師:じゃあ今日はここで終わりにしよう。まとめの問題はやっておいてください。


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